書斎のテーブルの上に、ルイドール金貨で10万リーブル。
できれば これをセイヤに無言で手渡し、余計な説明をせずに済めば、それがいちばんいい。
そう思いながら、その日、ヒョウガは、家僕の一人に セイヤを呼んでくるよう命じたのである。
が、その家僕からは、意外な答えが返ってきた。
「セイヤ様は、さきほど シリュウ様と パリにお出掛けになりました。懐かしいので士官学校を見学してくると、そう おっしゃっていましたので、馬車をお出ししましたが」
「士官学校を見学? 昔を懐かしむ歳でもあるまいに……」

一大決心をして、賭けの敗北を認めることにしたのである。
この賭けを清算したら、ヒョウガは 自身の生活そのものを大きく変えるつもりだった。
国王からの呼び出しを受けたのでもない限り、宮廷への出仕をやめ、その時間をすべてシュンのために充てる。
親しいご婦人方とは きっぱりと手を切り、時間も心も、シュンのためだけに使う。
その上で、シュンに思いを打ち明け、恋人として受け入れてもらえたなら それが最善だが、もしどうしてもシュンの心身を我が物にできないのなら、せめて友人としてシュンの側にいられる状況を作る。
本気の恋に走った野暮で不粋な男と 誰に見下されようと、そんなことがどうだというのだ――。

その決意を一刻も早く実行に移したい。
そのために、さっさと賭けを終わらせてしまいたい。
そんな気持ちに急かされて、ヒョウガは、家僕に馬車を用意させたのである。
酔狂を起こした友人たちを追いかけ、掴まえるために。

そうしてパリに向かう途中、ヴィルロワ侯爵邸の前を通りかかった際、つい馬車をとめてしまったのは、恋する男としては致し方のないことだったろう。
ヒョウガの中には、この一大決心を実行に移す前に、シュンの顔を――あの瞳を見て、自分の心に弾みをつけたいという気持ちもあったかもしれない。
ところが、ヒョウガは、そこで――ヴィルロワ侯爵邸の庭で、不思議なものを見ることになってしまったのである。
自分が乗ってきたものとは違う、もう一台のシャンタル伯爵家の馬車を。
馬車の箱の扉に記された自分の家の紋章を認めたヒョウガは、ふいに嫌な感じの胸騒ぎに襲われた。






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