不滅の剣






他国を攻め滅ぼし、自国の領土を広げ、国力を増す。
それが故国のためであり、国の民のため。
国も王も強いことが正しいことで、弱いことは罪。
そう考えることが当たりまえとされる世界だったから、氷河は その当たりまえのことをしてきただけだった。
その行為が不正義なのではないかと疑ったこともなければ、迷ったこともない。
強くなければ、自分と自分の国の民が、他の国に滅ぼされる。
そうならないために、氷河は隣国を攻め、滅ぼした国の領土と国民を 自国の領土・国民とし、更に領土を広げるために戦い続けた。

この世界ができた時から、それが この世界での常識で、ごく自然な価値観だったのだ。
氷河の父祖も、その常識と価値観に従って戦うことを続け、国を強大にしてきた。
戦で負けることを知らない強い国王を、国の民は誇りに思い、敬い、愛し、賛美と感謝の言葉を王に捧げ続ける。
戦で負けたことがないゆえに、氷河は、滅ぼされる側の人間の心を知らず、おもんぱかったこともなかった。

何百年何千年――この世界ができた時から、この世界の国々は分裂と併合を繰り返し、地上世界から戦が絶えたことはなかった。
それが、この世界の常態だったのだ。
しかし、そんな世界の在り方も まもなく終わりの時を迎えるのかもしれない。
人々は そう思うようになってきていた。
かつては五百以上の国があった この世界も、今では三つの国が残るのみ。
五百以上存在した国が三つにまでなったのだ。
今三つある国が一つになることも あり得ないことではない。
むしろ、そうならない方がおかしい。

広い世界に、ただ一つの国。
この世界の人間が誰も経験したことのない状況が、地上に現出する。
そうなった時、世界はどうなるのか。
それは誰にもわからないことだった。
世界が一つになった時 この世界はどうなるのかという問題よりも はるかに容易な問題――現在存在する三国の中のどの国が この世界の覇者になるのかという問題の答えさえ、誰にも予測できないでいるのだから、それは当然のことだったろう。

現在 この世界に存在する三つの国のうち、二つの国は強大な軍隊を持つ大国である。
その軍事力を背景に 侵略と拡大を続けてきた北方の新王国と、南方の古王国。
新王国といっても、国が生まれたのは古王国より50年ほど遅いだけで、それぞれ建国から500年以上が経っている二国の歴史に大した差はない――国の名に さほどの意味はない。
この世界では、国の命は人間の命以上に儚いもの。
生まれても すぐに死んでしまうかもしれないものに大層な名をつけても無意味なのだ。
人々は国の名など、いちいち記憶に留めない。
その位置関係から“西の国”“東の国”と呼ばれていた二つの国で、東の国を滅ぼした西の国が 更に西にある国から“東の国”と呼ばれるようになることは、ごく頻繁に行われていた。
そんな世界で、たまたま 今は“新王国”“古王国”と呼ばれる二つの国があるというだけのこと。
いずれ、“新王国”が“北の国”、“古王国”が“南の国”と呼ばれるようになる事態になることも、大いにあり得ることだった。
その時が来るまで、二つの国が両立していれば。

そんな世界の中で、唯一 意味のある名を――不変で絶対の名を(相対的ではないという意味で、絶対の名を)――冠しているのが、三つ目の国である。
いみじくも、その名は“トリトス(第三)の国”。
とはいえ、このトリトスという名は、地上世界に存在する三番目の国という意味ではなく、天界、冥界に続く第三の国という意味で命名されたものらしかった。
古王国より 更に古くから――この世界ができた時から――存在し続けているトリトスの国に、誰がその名を与えたのかは定かではない。
いずれかの神による命名というのが、人口に膾炙している最も一般的な説だった。

あまりに国の興隆と滅亡が頻繁なために作られることのなかった世界地図が もしあったとすれば、現在の地図は、世界の北半分を新王国が占め、南半分を古王国が占め、その国境の中央に 小さな豆粒のように第三の国が記されることになるだろう。
他の二国に比べると、国土の広さも人口も、文字通り比べものにならないほど 狭く少なく小さな国。
それがトリトスという国だった。

トリトスは、気候がよく、農業が盛んで、食料は自給自足ができている。
これまで他国の侵略を受けたことがなく、自ら他国に戦を仕掛けていくこともせず、常に平和な国。
トリトスは、戦で滅ぼされた国の王家の者と その子孫たちが国の人口の5割を占めているという説もある。
高い文化と技術力を持ち、この世界で“美しいもの”といえば、すべてトリトスで作られたものとさえ言われていた。
各種工芸品、装飾品、建築の技術、文芸、美術、音楽――その分野は多岐に渡っている。
軍隊を持たない小国トリトスが これまで他国からの侵略を受けず 独立を保つことができていたのは、それらの“美しいもの”が この地上世界から失われることを惜しむ者が多かったから。
あるいは、自国が滅ぼされた際に逃げ込む場所を確保しておきたいと考える王族や武人が多かったから――とも言われていた。

だが、今、世界の様相は 以前とは違ってきている。
二つの大国が地上世界の覇権を争って、遠くない未来に最後の戦いが始まることは必須。
二つの大国の間にあるトリトスは、その決戦に邪魔な存在。
二つの大国は、できればトリトスを自国の領土にしてから、その決戦に挑みたいと考えていただろう。
しかし、二つの大国には、トリトスの侵略に踏み切れない理由があった。

これまで軍隊を持たない小国トリトスが他国の侵略を受けず 独立を保ってこれたのは、“美しいもの”が失われることを惜しむ人々の心、いざという時の避難場所を確保しておきたい王族や武人たちの思惑という二つの、ある意味では消極的 受動的 他律的な理由の他に、第三の 積極的 能動的 自律的な理由があった(あるとされていた)。
その第三の理由は、第三の国トリトスには、国を守る伝説の剣がある――というもの。
その剣は“滅ぼし得ざる剣――不滅の剣”と呼ばれる剣で、トリトスに その剣がある限り、誰も どの国も トリトスを滅ぼすことは叶わないという伝説を持った剣だった。

かつてトリトスを我が物にしようとして 兵を送った国は、その剣を振るう英雄によって、その ことごとくが退けられたと伝えられていた。
トリトスの英雄が不滅の剣で倒したのは 侵略軍を率いていた国王一人だけだったのだが、神によって授けられた剣で守られているトリトスに反抗を企てた者と同類と思われることを恐れた大多数の兵や民が領内から逃げ出したため、その国は 国としての体を成さなくなって自然消滅に至ったという伝説もあった。
最も最近のトリトス侵略は、今より100年ほど前、現在の新王国や古王国に勝るとも劣らない力を持った大国によるもので、その国の王は数十万の兵をトリトスに送り込んだのだが、やはり伝説の剣を振るう英雄に翻弄され、うのていで故国に逃げ帰ることになった。
その敗北を機に衰退の一途を辿った大国は、1年の時を待たずして滅んだと伝えられている。

伝説の剣は、邪悪や戦乱によって人間が一人残らず死滅することを案じた戦いの女神から送られたもので、あらゆる敵、あらゆる邪悪を断ち切る剣であるらしい。
邪心や悪心を持つ者は、たとえ不死の神であっても、その剣の前に切り捨てられるとも言われていた。
その剣がなければ、トリトスは、なにしろ軍隊を持たない国、兵が千人もいれば容易に踏みつけてしまえそうな小国なのである。
雌雄を決しようとしている二つの大国にしてみれば、第三の国トリトスは、目の上のこぶ、周囲を飛び回る羽虫のようなもので、脅威ではないが鬱陶しく目障りなこと この上ない国だった。






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