友好を結ぶために、まかり間違えば敵対することになるかもしれない国に 王一人でやってきたという氷河の言葉を信じて、瞬は氷河を歓待してくれた。
絵画、彫刻、音楽、各種工芸品――“美しいもの”を生み出すがゆえに、各国(その ほとんどは既に この地上に存在していないが)の侵略を免れてきた国には 美しいものがあふれており、瞬は異国の王をもてなす材料に事欠く様子を見せない。
新王国の国王は、自国が伝説の剣で脅かされることを危惧しているのだと考え、その危惧を払拭することが自分の務めだと認識しているらしい瞬は、氷河に対して 終始 腰が低く、優しく、親切。
そして、氷河が 見たい、知りたいと言えば、大抵の希望を叶えてくれた。
トリトス王国の王宮は その建物や内装自体が芸術品で、氷河は その事実を名目に 王宮のほとんど すべての部屋を見せてもらうことができたのである。
氷河が見学観賞した部屋の中には、国王や瞬の居間や寝室も含まれていた。

「いつか敵対することになるかもしれない国の王に、こんなに すべてを見せてしまっていいのか? 俺の頭の中には、この王宮の見取り図ができあがってしまったぞ。この国、この王宮に攻め入って、まず王の部屋に行き その命を奪い、おまえの部屋に行って おまえの身柄を拘束する――そんなことも、今の俺には容易にできる」
他人事ながら 瞬の無警戒を心配して、氷河が瞬に問うと、瞬は屈託のない笑顔で、
「でも、氷河は この城に攻めてきたりはしないでしょう?」
と答えてきた。
そして、やはり屈託のない笑顔のままで、
「氷河の曽祖父様の代に、氷河の国の王宮の設計と内装を手掛けたのは、僕の国の建築技師や職人たちです。氷河のお城の設計図が この城にはありますよ。修復を依頼された時に、それがないと困るでしょう?」
と、弟ではなく兄が言ったのであれば 間違いなく脅迫になることを、氷河に告げてくる。

もちろん、瞬に他意はない。
瞬は、互いに胸襟を開き 親しみ合うことが、二つの国の友好を強固なものにする行為だと信じ切っているのだ。
そして、氷河の曽祖父も、トリトスと敵対する意思が全く なかったから、居城の建築をトリトスの者に依頼したのだろう。
おそらく、他国の事情も 氷河の国と似たりよったり。
なるほど、トリトスが他国の侵略を受けることなく、その独立を保てていたわけである。
たとえ強力な軍隊を持っていなくても、腕のいい刺客を一人 放てば、トリトスは容易に敵国の王の命を奪うことができるのだ。
古王国が、たかが人口2万足らずの小国を侵すために16万もの兵を動員したのも、当然のこと。
古王国の王は、絶対に トリトス侵略を失敗するわけにはいかなかったのだ。
それほどの用心を重ねても、結果は惨憺たるものだったが。
そして トリトスは(少なくとも王弟は)、自国を侵略しようとした国への報復を考えてもいないようだったが。


絵画、彫刻、音楽、各種工芸品、そして 建築物――。
“美しいもの”だけでできている国の白眉は、だが、それらの作品や創造物ではなく、人間だった――瞬だった。
姿だけでなく――何よりも、瞬は その心が美しい。
人を疑うことをせず、人を信じることをする。
氷河が瞬を美しいと思うのは、その美しさを好ましいと思うのは、瞬が疑うことを知らない(・・・・)からではなく、人を信じることができる(・・・)できるからでもなかった。

瞬は無知でも暗愚でもない。
瞬には、知性があり、教養があり、自身の価値観と判断力を備えている。
当然 瞬は 疑うことを知っており、人を信じないこともできる。
にもかかわらず、瞬は疑うことをせず、人を信じることをする。
瞬は、そうすることを、自分の意思で選ぶのだ。
おそらくは、そうすることが、人間を幸福にし、世界に平和をもたらすことだと考えているから。
その考えが賢明なものなのか否か、現実的なものなのか否かは、重要な問題ではない。
それは瞬の強さであり、その強さが 瞬の美しさの核であり精華。
その細腕にもかかわらず、瞬が神に認められ選ばれた英雄なのだという話を、(それが事実であっても事実でなくても)氷河は 今では容易に信じることができた。
瞬をトリトスの英雄に選んだ神は、見る目のある神なのだ。

瞬が もし新王国の民だったなら、あるいは 古王国の民であったなら、氷河は今すぐにでも 瞬の前に跪き、その愛を乞うていただろう。
だが、瞬は新王国の民ではなく、古王国の民でもなく、第三の国トリトスの人間だった。
氷河が これから裏切ろうとしている国トリトスの人間だったのだ。






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