美しいものだけでできている国で 最高の技術を持った者たちが作った 最高の作品が並べられている部屋。
瞬の言葉通り、トリトスの王宮の宝物殿に陳列されている品は、どれも見事なものばかりだった。
絵画や彫刻といった、いわゆる芸術家の感性が主体となる観賞用の美術品は比較的 少なく、技術と根気と時間を費やして作られる工芸品の方が圧倒的に多い。
到底 人間業とは思えない超絶技巧を駆使した金属工芸品、ガラス工芸品、いったい何人の人間が何十年の時間をかけて完成させたのかを考えると気が遠くなるような刺繍作品、小物入れに嵌め込まれている宝石一つにしても、どうやってカットしたのか想像もつかないほど複雑で不可思議な形状と輝きをたたえている。

この部屋に入った異国の者が、これらをトリトスの驕りや自慢と思うことはないはずだった。
そんなことを感じている余裕はない。
ただ、美の洪水に溺れるような錯覚を覚え、目に痛みを感じるほどの美に 神経が麻痺するだけで。
この中の一つの作品を どこか別の場所で観賞するのであれば、その出来栄えに感心するだけで済むのかもしれないが、至高の作品が ところ狭しと並べられている様は、ほとんど狂気の沙汰としか思えなかった。
そんな美の狂気の洪水から目を逸らし、瞬の姿を見ると、ほっとする。
瞬の優しい姿、その温かさ、やわらかな印象――それは、人の手が 偏執狂的と言っていいほどの技術を駆使して作った作品ではなく、自然が作った最高傑作。
そこから感じられるものは、技術の巧みさではなく、心の深さ、温かさ。

人間の手に成る狂気のような美の傑作など欲しくはない。
そんなものより、心安らげる瞬の瞳こそが欲しい。
瞬だけを見詰めていたい。
氷河は、心から そう思ったのである。
そして、思ったことを実行しようとした時。
氷河は、宝物殿の最奥に、ささやかな彫刻さえ施されていない素朴な棚があり(それは、この部屋の中では極めて異質なものだった)、その上に 水晶で作られた長方形のケースが置かれていることに気付いたのである。
ケースを載せている棚の素っ気なさとは対照的に、棚に載せられている水晶のショーケースは、花と鳥をモチーフにした極めて精緻な彫刻で飾られている。
ケースの底には黒い絹の布が敷かれ、その上に、素晴らしい宝剣が、鞘から抜かれた状態で 鞘と並べて横たえられていた。

長さは、氷河の片腕ほど。
短剣ではない。
鞘は白金と金で、幾つもの海の色をした宝石で飾られている。
剣の柄の部分には不死鳥のレリーフ。
両刃ではなく、片刃。
刀背にも 植物の葉をかたどった彫刻が施されていたが、それは装飾というより、刃に凹凸をつけることで、血の流れる道を作るためのもののようだった。
この宝物殿にある、唯一の武器、唯一の刀剣。
美しいものだけでできている平和な国では無用の長物。
それは、ここに あってはならないはずのものだった。

「もしかして、これが伝説の剣なのか?」
「えっ」
氷河が その剣に興味を持ったことに、瞬は少なからず動揺したようだった。
細い肩が、大きく一度 前後に揺れる。
「そうではありませんが、この剣は差し上げられません。他の物を。あれは兄が王位に就いた時に、兄が特別に作らせたもので、僕の一存では……。氷河、やっぱり伝説の剣に興味があるの……?」
「それは無論。伝説の剣がどんなものなのかを知っていれば、その剣を持つ者に逆らうのは無謀だと判断して、俺だけでなく家臣たちにも 慎重に振舞うよう指示できるじゃないか」
「え……あ……ああ、そうですね」

不安そうな目を 異国の王に向けてくる瞬に、伝説の剣への関心は全くないと答えるのは あまりに白々しい。
伝説の剣への関心を 肯定しつつ否定して、氷河は瞬の不安を払拭してやったのである。
翌日には、不安よりも もっと悪いもの――信頼を裏切られた人間の悲傷を、瞬の小さな胸に抱かせてしまうことは わかっていたのに。






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