「我が国から奪ったものを返していただきたくために、参上しました」
瞬が 新王国の王宮の玉座の前に立ったのは、氷河が 別れの挨拶もなくトリトスの国を去ってから1ヶ月後。
瞬は たった一人。
新王国の10人の重臣と その3倍の数の衛兵が立ち並ぶ玉座の間で、恐れ怯える様子もなく――むしろ毅然とした表情、目、声で、瞬は部屋の正面奥の玉座に着いている氷河を見やり、そう言った。
少女と見紛うほど華奢な肢体の年若い少年の、気後れを微塵も感じさせない態度に、謁見の場に居並んだ者たちは、驚くより訝ることをしたのである。
最も玉座に近いところに控えていた初老の侍従長が 最初に我にかえり、少しく遠慮がちな足取りで、瞬の側に歩み寄っていく。

「トリトスの王弟殿下。畏れながら――我が王から お言葉を賜る前に、お腰の武器は預からせていただきます」
今は侍従長の役職にあるとはいえ、10年ほど前までは大隊を率いて戦場を駆けていた将軍。
瞬より はるかに上背があり、体格も優れている。
そんな男に 武器を渡すよう求められても、瞬は動じた様子は見せなかった。
玉座に着いている氷河を見詰めたまま 腰の剣を掴み、 鞘に収まった状態で侍従長の前に突き出す。
「これは飾りです。剣ではない」
「飾り?」
オレンジやリンゴを割ることしかできそうにない細い短剣。
その剣を受け取った侍従は、瞬の言葉の真偽を確かめるために、その場で 鞘から剣を抜こうとした。
が、抜けない。

美しいものだけでできている国の王子の持ち物にしては 飾り気がなく、宝石の一つも埋め込まれていない鞘。
刀の柄にも、ささやかな浮彫一つない。
瞬の言う『飾り』の意味を、『美しさで己が身を飾る』ではなく『剣を使える者を装う』という意味だと解したらしい侍従は、だが、その剣を瞬の手に戻すのを ためらった。
「大変 失礼いたしました。しかし――」

剣を使える振りをするなど、この国では十分に軽蔑に値する行為である。
にもかかわらず、瞬に剣を返すことを ためらう侍従長の顔には、軽侮の色は浮かんでいない。
武器も持たずに、しかも単身で――新王国の国王の前に堂々と立っているだけでも、瞬の振舞いは、侍従長にとっては、軽蔑どころか尊敬に値することだったのだろう。
あるいは、そもそも“飾り”など必要としていない瞬の 清らかな美しさが、彼に気後れを感じさせているのかもしれなかった。

だが、侍従長と瞬のやりとりを 玉座から 見守っていた氷河には――氷河にだけは わかっていた。
瞬は、自分の信頼を裏切った男に、その罪の重さを知らしめるために、この城にやってきたのだということが。
「その剣は 瞬のものだ。瞬に返してやれ」
玉座から、侍従長に命じる。
王の命令を受けた侍従長は 両手で捧げ持つようにして、その剣を瞬の前に差し出した。
『なぜ返してよこすのだ』と言いたげな目をして、瞬が王命に従順な侍従長を見詰め、だが 結局 その剣を受け取る。
それで意を決することができたらしい。
瞬は、その視線を 真正面から まっすぐに 氷河の上に据え、ゆっくりと口を開いた。

「氷河、僕を騙したの。氷河が僕の国に来たのは、最初から 剣を盗むことが目的だったんですか」
「……そうだ」
瞬に嘘をつくことはできない。
見苦しい言い訳を連ねることもしたくない。
氷河は、怒りに燃えているような、それでいて 今にも涙を零しそうな 不思議な表情を浮かべている瞬の顔を見詰め、その事実を認めた。
おそらく まもなく自分は この可愛らしく美しい面差しを見ることができなくなる。
落命によって そうなるか、失明によって そうなるのかは わからなかったが、氷河は その時まで1秒でも長く 瞬の姿を視界に映し、その仕草の一つ一つを脳裏に焼きつけておきたかった。

「あの剣は、我が国最高の彫金師が作ったもの。美しい剣だったでしょう? もっとも、刀としては なまくらですけど。僕の国には、農機具等を作る鍛冶屋はいても、刀工はいないので」
新王国の国王の静けさ穏やかさを、瞬は、伝説の剣を手に入れた(と思い込んでいる)者の、愚かな余裕と解したのか、傲慢と解したのか。
そのどちらであっても、それ以外の何かであっても、瞬がその正体に気付いていないことは確実だった。
氷河が いかなる感情も伴わずに ただ瞬を見詰めている訳は――今 氷河を支配しているものの正体は――虚無感、諦観だったのだ。

「伝説の剣を盗もうとする者たちの目くらましにするために、僕の国では、王が即位するたびに剣を一振り あつらえるのが、代々の伝統なんです。氷河が盗んでいったのは、伝説の剣ではありません。偽物です」
そう。あの剣は 偽物だった――伝説の剣ではなかった。
もちろん素晴らしい宝剣で、あの剣を金品で贖おうと思ったなら、相当の重量の金が必要。
金でなかったら、荘園の一つ二つは手放さなければならないだろう。
だが、あの剣は、美しさ以外の価値も力も備えていない。
故国に帰り着いてから その事実に気付いた氷河は、瞬を騙し 偽の剣を盗んだことで、自分が すべてを失ったことを知ったのである。
希望も、自分自身の未来も、そして 瞬の信頼も。

「信じていたのに……」
瞬の瞳から零れ落ちた涙が、千の言葉 万の言葉より雄弁に、瞬の悲痛を氷河に伝え訴えてくる。
あらゆる感情を失ったつもりでいたのに、瞬の涙は 氷河の胸を つらくした。
「なぜ攻めてこないの。トリトスは軍隊も持たない小さな国。侵略するために 大層な軍備を整える必要もないでしょう」
伝説の剣という脅威を取り除いたと考えた氷河は、すぐにでもトリトスに攻め入ってくるに違いない。
そう、瞬は思っていたのだろう。
攻めてくるはずのものが攻めてこない。
その訳を確かめるために、瞬は 氷河の国にやってきた。
本来なら、新王国の軍がトリトスに攻め入った時、その場で与えるつもりだった罰を、卑劣な男に与えるために。
氷河は、瞬の罰を我が身に受ける覚悟はできていた。

「……何も言うことはない。おまえは、おまえの為すべきことをしろ」
氷河に促された瞬が、手にしていた剣を鞘から引き抜く。
その様を見て、瞬の手に その剣を戻したばかりだった侍従長は、玉座の間に 短い悲鳴のような声を響かせた。
自分には鞘から抜くことができなかった剣。
それをトリトスの王弟は、いとも たやすく抜いてみせた。
それだけで、その短剣が尋常の ありふれた剣でないことは明白である。
不思議な力を持つ剣――これがトリトスの伝説の剣なのだと、侍従長は――その場にいた すべての者が――気付いた。
そして、その剣を自然に扱う、少女とも見紛う姿をした華奢な少年が、神に選ばれ認められたトリトスの英雄なのだということを、その場にいる誰もが今 知ったのだ。

剣を握りしめた右の手を、瞬が天に向かって かざす。
「命まで奪うつもりはありません。我が身に罪ありと思う者、浅ましい欲ある者、邪まな心を持つ者は、目を閉じ、耳をふさぎなさい。汚れを知る者が この剣が放つ光を見、この剣が空を切る音を聞けば、その者は視力と聴力を失います」
力強く自信に満ちた声――だが、優しい声。
まっすぐに新王国の国王の上に据えられた険しく厳しい目――だが、可愛らしく澄んで美しい瞳。
氷河は、彼の家臣たちに静かな声で命じた。
「古王国の将軍たちと同じ目に合いたくなかったら、目を閉じ、耳をふさげ。瞬の言うことは脅しでも はったりでもない」

伝説の剣の力を恐れたからか、あるいは それが王命だったからか、玉座の間にいた者たちは皆 氷河の言葉に従い、目を閉じ 耳をふさいだ。
ただ一人の男を除いて。
その男だけが、瞬の持つ剣が放つ光を見、その剣が空を切る音を聞いた。
彼の家臣たちに、目を閉じ 耳をふさげと命じた当人だけが。






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