「子供連れで、女の足で、随分 歩いてきたようじゃないか。どこから来たのかね?」 長い金髪を背中で一つに まとめた その女は、まだ若く美しかったが、憔悴しきっていた。 一目で彼女の子供と わかる明るい金髪の、10歳くらいの男の子を伴っている。 いったい どこから、どれほどの距離を歩いてきたのか――母子が身に着けている服は埃だらけ、履いている靴は すり切れて穴が開きかけていた。 村長に どこから来たのかと問われた母親は、疲れ切った口調で、 「ずっと……ずっと北の村からです」 と答えてきた。 「魔女狩りがあって、村自体がなくなってしまいました」 気の強そうな目をして、ほとんど睨むような眼差しを村長に向けていた彼女の息子が、気遣わしげに母親の顔を覗き込む。 彼は母親思いの息子であるらしい。 歳に似合わず 目つきが鋭いのは、母子が この村に辿り着くまでに つらい思いばかりしてきたせいなのに違いなかった。 「魔女狩りか……。魔女が現われた村は大変らしいな」 「ええ。ひどいものでした」 神の教えに背いて 悪魔と契約を交わし、特別な力を与えられた人間――魔女。 欧州で最初の魔女裁判が開かれたのは 今から200年ほど前のことと言われているので、裁判以前の行為――魔女の迫害や密殺――は それ以前から行なわれていたのだろう。 不思議なもので、民衆に対する教会の力が強まれば強まるほど、魔女と告発される人間の数は増え、魔女として処刑された人間は この200年で、5万とも10万とも言われていた。 処刑に至る前に、裁判すら受けさせてもらえず惨殺された魔女は いったいその何倍、何十倍いることか。 まるで世界中の人間が魔女狩りという病にかかってしまったように――その悲惨な話は、都会から遠く離れた この村にも日々届くほどだった。 一つの村に一人、魔女なのではないかと疑われる者が出ると、その村は3、4割の確率で滅びる――とも言われていた。 人口が100人、200人ほどの小さな村なら、その確率は ほぼ10割に 撥ねあがる――とさえ。 魔女の告発があると、裁判の前に 調査という名の拷問が行われる。 いつ、どんなふうに、何という悪魔と、どのような契約を取り交わしたのか、他に魔女の仲間はいないのか。 鞭打たれたり 骨を折られたり、身体に釘を撃ち込まれたり、指を切り落とされたりするくらいなら まだ軽い方、中には魔女の嫌疑をかけられた者を水の中に沈めたり、火の中に投じたり、ほぼ殺すことを目的としたような拷問もあるらしい。 悪魔との契約の内容や 仲間の魔女の名を白状するまで、その拷問は続けられるのだ。 拷問する側も、手心を加えて あらぬ疑いをかけられることを恐れるので、その拷問は苛酷かつ辛酸を極めていた。 大抵の人間は、拷問で命を落とすよりは ましと考えて、交わしてもいない悪魔との契約を捏造し、普段から仲の悪かった隣人や 妬んでいた知人の名を魔女の仲間として口走る。 そうして魔女の仲間として捕われた隣人もまだ同じように、以前から気に入らなかった村人や商売敵を魔女として告発し――その連鎖が どこまでも続く。 魔女の疑いをかけられれば、魔女でないことを証明するのは ほぼ不可能。 その結果、村の半数以上の人間が魔女であることになる事態も稀ではない。 村人の半数の人間が魔女として処刑されれば、その村は もはや一つの共同体として立ち行かなくなる。 そうして消えてしまった村が幾つもあるのだ。 魔女が一人出たら、その村は終わり。 そういう村から、この村に逃げ込んでくる者は多かった。 以前は人口200人ほどの小村だった この村も、今では300人ほどの人間を抱える村となっている。 最近では、この村に住みたいと望む者の話を聞き、その許可を与えるか 拒むかの判断をするのが、村長の最重要の仕事になっていた。 金髪の女は、家事一般の他に、機織り、仕立て仕事、刺繍や繕いもの、保存食を作る知識と技があると、村長に申告していた。 息子の方も、弓の腕前は大人のそれに引けを取らないほど、獣や魚を獲る仕掛け作りにも通じている――と。 「この村は平和だと聞きました」 「ああ。ご領主様が、魔女などいるわけがないと言って、魔女裁判の開催を許可していないのでね。いても いないことにしろ、魔女の存在など認めたが最後、他の廃村の二の舞になると、厳に命じておられるのだ」 「有難いことです」 「一概に そうとも言えない。魔女裁判を禁じられると、疑わしい者を裁判にかけることができないからな。まあ、ご領主様には、村が消えれば 納められる税が減るという、極めて実利的な事情があるわけで、そのご命令も当然のものなんだが」 「……魔女の疑いをかけられている人がいるんですか」 ここに流れてくる以前に済んでいた村の惨状を思い出したのか、若い母親が青ざめる。 平和な村と聞いてきたのに、この村も いずれ魔女狩りの嵐に見舞われ 滅びるのかと、彼女は それを案じ 恐れているようだった。 もし そうなるのであれば、この村も安住の地には なり得ない。 だが、こんなに疲れ切っているのに、では いったい自分たち母子は どこに行けばいいのか――。 そう問いかけるような目を、彼女は村長に向けてくる。 そんな彼女に、村長は 隠すことなく事実を告げた。 村の人口が増えるのは悪いことではないが、そうなれば その分 面倒事も増える。 母子が ここに残ろうが 立ち去ろうが、“どちらでもいい”。 本当に、どちらでもいい。 それが、この村の管理責任者である村長の本音だったのだ。 「ああ。そら、あの子だ。山で採った木の実や山菜やらを持って、毎日 この時刻に ここに来る。うちの家内が、パンと交換してやってるんだ。どこで覚えたんだか、薬草にも詳しいそうだ。わしはやめておけと言っているんだが、あの子の持ってくるものは重宝するらしくて、家内は言うことをきかん」 そう言って、村長が目で指し示した窓の外。 鶏が2、3羽 撒かれたエサを突ついている庭先で――家の中に入れるわけにはいかないのだろう――村長の細君らしき中年の女が、小さな子供の抱えた籠の中のものを吟味していた。 魔女の疑いをかけられているのが その子供――彼女の息子と大して歳の違わない幼い子供――と知って、彼女は驚き、目を見張った。 「小さな子供じゃないですか。何か それらしいことをしたんですか」 「瞬という名なんだが……10歳にもなっていない子供が、親もいないのに一人で生きていられるだけで十分に怪しいだろう」 「家族がいないんですか」 「両親は、かなり前に 病で亡くなった。兄が一人いたんだが、数年前に ふいにどこかに消えてしまったんだ。仲のいい兄弟だったから――弟の生活のために、自分の魂を悪魔に売ったんじゃないかという噂が立った」 「綺麗な子。あんな綺麗な子は見たことがないわ。まるで 天使のよう」 「だから不気味なんじゃないか」 「でも、噂が本当なら、悪魔と取引をしたのは あの子の兄で、あの子自身は魔女ではないんでしょう? なら、あの子が魔女にならないように、大人が見守っていてあげなければ」 よそ者の女の言葉に、村長は その眉をひそめることになったのである。 たとえ子供でも、魔女の嫌疑をかけられている者。 普通は 関わり合いになることを避けるのに――。 それが、彼の常識だったのだ。 そんな村長に、きつい目をした金髪の子供が、 「マーマは、前の村ではマリア様みたいだって言われてた。誰にでも優しいから。優しすぎるから」 と告げる。 「氷河……!」 「ほう?」 子供が得意げにではなく 淡々と語る母の評判。 その発言は、自分の母の人となりを自慢しようとしているのではなく、事実を報告しようとしてのことなのだろう。 『“優しすぎる”というのは、はたして美徳なのかどうか』という問題は さておいて、要するに彼女は、窮地にある人間を放っておけない、お人好しな お節介なのだろう。 彼女の非常識を疑う気持ちは、金髪の子供の言葉で、村長の胸から消えることになった。 「おまえの母さんは、マリア様のように 慈悲と慈愛の心が あり余っているというわけだ」 では、この若い母親には悪意や害意といったものはなく、この村に悪徳を持ち込むようなことはないだろう。 そう考えて、村長は、若い母親と その子供に この村の住人となる許可を与えることにした。 「村の西側に空き家がある。そこを使いなさい。以前 住んでいた男は、ネルトリンゲンにハンガリーやスペイン軍が攻めてきた戦いに志願していったまま、もう5年も帰ってきていない。多分 永遠に帰ってこないだろう。5年も放っておかれて 手入れもされていないから、雨風が しのげるだけの小屋のようなものだが……。坊主が大きくなったら、自分の家を建てればいい。畑を作るつもりがあるのなら、荒地を開墾するのは、ご領主様も奨励している。ただし、わしの許可を得てから。森の木を切る時も同様だ」 「ありがとうございます」 村に住む許可を与えられ、やっと 疲れ切った足を止めることのできる地に辿り着いたことを悟った若い母親は、幾度も村長に頭を下げてきた。 そうして、心から安堵したように、彼女は 彼女の息子を強く抱きしめた。 母子が、その足で向かった 村の西側にある空き家。 住む者とてなく 5年間 放っておかれた空き家は、村長が言っていた通り、雨風が しのげるだけの小屋だったが、掃除をして空気を入れ換え、乾いた藁を敷き詰めて仮の寝台を整えると、寝起きのできる立派な住居になった――らしい。 母子は翌日、村長に そう報告してきた。 彼女の申告は嘘でも誇張でもなかったようで、彼女の息子は翌日には山に入り ウサギとウズラを仕留め、村に住む許可をくれた礼だと言って、その獲物を母親と共に村長の家に持ってきたのだ。 大喜びする細君を見て、この母子は拾い物だったかもしれないと、村長は思うことになったのである。 そんなふうに――二度と流浪の身にならずに済むように、母子は村に溶け込む努力を始めたようだった。 |