「この辺りでは、何が採れるの?」 「え?」 ずっと空き家になっていた その家に新しい住人がきたことは、瞬も 村長の細君から聞いて知っていた。 その家の前を通って、村外れの自宅に(といっても、屋根と壁があるだけの小屋なのだが)帰ろうとしていた瞬は、最初 それが自分に向って発せられた声だとは思わなかったのである。 こちらから話しかけていっても 村人たちには無視されることが多いのに、まさか その親しげで優しげな声が自分を呼びとめるためのものだとは。 だが、周囲には自分以外の人間の姿はない。 数日前まで空き家だった家の前に立っている金髪の優しそうな女性は、確かに瞬を見ていた。 西の空がオレンジ色に染まり始める時刻。 彼女は洗濯物を取り込んでいたところだったらしい。 両手がふさがっている彼女の脇にいた金髪の子供が 瞬の側に寄ってきて、瞬が腕にかけている籠の中を覗き込み、彼女に その中にあるものの報告を始めた。 「エシャロットにセリ、山蕗。これはノビルかな」 「まあ! 氷河、ぜひ、生えている場所を教えてもらいなさい」 「教えてもらうのは いいけど――俺が採りにいくのか?」 「氷河は野山を駆けまわるのが得意で、好きでしょう。マーマには、家でしなければならない仕事があるのよ」 「それは わかってるけど……俺が得意なのは、動いてる獣や鳥を捕まえることで――」 見るからに活発で 山菜採りなどという地道な作業は苦手そうな子供が、洗濯物を抱えた女性を 不服そうに見やり、唇を引き結ぶ。 「あの……」 勝手に話を進めていく二人――母子なのだろう――に、瞬は困惑の目を向けることになった。 それに気付いた子供が、瞬の方に視線を戻してくる。 「あ、俺は氷河。あっちはマーマ。ここに住むことになったんだ」 「氷河ったら、マーマじゃ 紹介になっていないでしょう。私はナターシャというの。あ、でも、そうね。マーマでいいわ。よければ、マーマと呼んでちょうだい」 「氷河……とマーマ」 「あなた、瞬ちゃんでしょう? この辺りの野菜や薬草に詳しいと聞いたわ」 「あ……はい……」 「氷河とお友だちになってくれる? ちょっと腕白が過ぎて、我儘なところはあるけど、根は優しい子よ。歳の近い お友だちができたら嬉しいわ」 「お友だち……? あの、でも……」 これは冗談なのか、それとも 悪質な嫌がらせなのだろうか――。 そう 瞬は疑った。 だが、母子の表情や眼差しは優しく、悪意も感じられず――二人は 人に嫌がらせをするような人間には見えなかった。 とはいえ、今 彼等の目の前にいる子供が 野菜や薬草に詳しいという話を聞いているのなら、その子供が 魔女の疑いをかけられている者だということも、彼等は知っているはずである。 悪意や害意がなくても 我が身を守るために――普通の人間は、魔女の疑いをかけられているような人間と積極的に関わりを持とうとはしないものだということを、これまでの経験から 瞬はよく知っていた。 だというのに、彼等は魔女の疑いをかけられている子供との距離を、平気で縮めようとしてきた。 「綺麗だ。こんな綺麗な子、初めて見る」 「本当」 抱えていた洗濯物を籠の中に入れ、“マーマ”が彼女の息子の側にやってきて、大きく頷く。 瞬は、人から そんなことを言われるのは、これが初めてのことだった。 そして、これほど美しい母子を見るのも。 いったい 彼等は何者なのか。 それ以上に、今 自分の身の上に何が起こっているのか。 美しい母子に見詰められていることに どぎまぎして、瞬は 思わず その瞼を伏せた。 「あの、でも……氷河とマ……マーマの方が綺麗……です」 「ま!」 短い歓声をあげて、“マーマ”は楽しそうに破顔した――ようだった。 彼女は 弾んだ声で、 「氷河。これは何としても仲良くなりなさい」 と 彼女の息子に命じ、彼女の息子は、 「うん!」 と、元気よく 母の命令に応じた。 瞬が 恐る恐る顔を上げると、“マーマ”は にこにこしながら、氷河は 唇の端を少し上げて、瞬を見おろしている。 これは やはり、意地悪でも嫌がらせでもないらしい。 彼等は、魔女の疑いをかけられている子供と、本当に親交を結ぼうとしているらしい。 そうなのだと思うことができた途端、瞬の瞳からは ぽろぽろと涙の雫が 零れ落ち始めたのである。 「どうしたの……? 私たちは、何か ひどいことを言った?」 「ううん……ううん……」 泣きながら、瞬が首を大きく横に振る。 瞬は慌てて、もつれる舌で、そうではないのだと 彼等に訴えた。 「そ……そうじゃないの。お友だちになってなんて言ってもらえたのは 初めてで、びっくりして……」 「そうなの……」 「こんなふうに お話してもらえたのも、綺麗って言われたのも、初めてで……。みんな、僕のこと嫌うのに――」 魔女の疑いをかけられている子供を 村人たちが あからさまに排斥しないのは、ただただ 魔女という存在のせいで起こる騒ぎを厭う領主の厳命があるからだということを、瞬は知っていた。 どうしても瞬でなければならない用事がある時にだけ、しぶしぶ瞬に接してくる人間はいるが、それ以外の時、村人たちは、まるで 瞬が その場にいないように振舞う。 兄がいなくなってから ずっと、瞬は一人ぽっちだったのだ。 「泣くなよ」 氷河が、ぶっきらぼうなのに優しい声で、瞬を なだめ、諭してくる。 こんなに優しい人たちを――こんなに優しい人たちだから――二人を自分に近付けてはならないと、瞬は思ったのである。 「ご……ごめんなさい。氷河、マーマ、ありがとう。でも、駄目だよ。僕は 魔女かもしれないの……。知っているんでしょう?」 「え?」 「だから、駄目だよ。僕に近付いちゃ。氷河やマーマまで、みんなに冷たい目で見られることになるよ」 「瞬ちゃん……」 涙ながらに訴える瞬を、ナターシャは しばらく無言で見詰めていた。 やがて、その手を瞬の方にのばし、その髪を撫で、最後に彼女は 瞬を抱きしめた。 「あ……」 何年振りかで触れる 人の温もり、何年振りかで感じる 人の体温。 ナターシャの振舞いに驚いて――あまりに驚いて――瞬は息が止まるかと思ったのである。 「冷たい目で見たい人は、勝手に冷たい目で見させておけばいいわ。魔女なんているわけがないのに、みんな、狂っているのよ……!」 「マーマ……」 『魔女などいるわけがない』 『みんな、狂っている』 それは そうなのかもしれない。 瞬も、その言葉は正しいと思った。 だが、皆が狂っている世界では、正気でいる者の方が狂人とみなされるのだ。 そういう世界では、正気で い続けることは困難。 魔女の噂を立てられている人間に近付くのには 相当の勇気がいる。 それを、氷河とマーマはするつもりでいるらしい。 優しさと強さで できているナターシャの温もりの中で、瞬は、困惑と喜びと、恐れと感謝の念――色々な気持ちが入り混じり、整理がつかなくなって、気が遠くなりそうだった。 瞬が案じた通り、村人たちは、瞬と親しくする母子に眉をひそめることになった。 だが、ナターシャは、村人たちの白眼視に気付いた様子もなく(気付いていない振りをして)、誰にでも愛想よく振舞った――振舞い続けた。 氷河も、人目のあるところで 堂々と、瞬の友だちとしての態度を示した。 そんな母子を胡散臭そうに見ていた村人たちは、だが 結局、その状況を受け入れることになったのである。 ナターシャは誰に対しても、常に優しく親切。 しかも、彼女の機織りの技術は素晴らしいもので、美しい布地がほしい村の女たちは 彼女を無視し続けることができなかったのだ。 氷河は、山や森の小動物や鳥、魚を獲る術に長けていて、その技と知識は、村の大人の男たちのそれらを軽く凌駕しており、やはり無視できない。 その上、氷河と瞬が並んでいると、その様は まるで天使が二人 佇んでいるよう。 そこにナターシャが加わると、まさに 二人の天使と共にある聖母マリアの姿。 その“絵”は 村人たちには、今にも朽ち落ちそうな木の十字架と、ささやかすぎる説教壇、堅い木の椅子しかない、村の古ぼけた教会の佇まいより はるかに眼福、神聖で有難いものに見えたのだ。 だから――氷河とナターシャ、瞬の ありようは、徐々に村人たちに受け入れられていったのである。 |