“我儘な王子”。 それが、ヒュペルボレイオス王国の王子 氷河の異名だった。 極めて意思的で、決断力と その決断力に伴う行動力を備え、常に前向きで、諦めることを知らない。 それらは、大国ヒュペルボレイオスの未来の国王に ふさわしい、非常に有益な資質である。 氷河の場合、問題なのは、それらの資質が どんな分野でも、どんな場面においても発揮されるということだった。 衣食住等の日常生活の場面、学問の分野、芸術の分野、剣術や弓術等の戦闘に関する分野、各種運動競技、為政者・王家の一員としての振舞いが求められる場面。 そして、もちろん恋の場面でも。 「北の大国ヒュペルボレイオス王家の者と、南の大国エティオピア王家の者が仲良くするのは いいことのはずだ!」 それが 氷河の主張だった。 その主張は正しい。 北の大国ヒュペルボレイオス王家の者と 南の大国エティオピア王家の者が“仲良く”なく、対立し 敵対し合っていたら、それは両国の友好と平和の妨げになる。 その対立が激化し、まかりまちがって戦争にまで発展してしまったら、それは南北の大国だけでなく その周辺国をも巻き込んだ世界戦争になるだろう。 もちろん、北の大国ヒュペルボレイオス王家の者と 南の大国エティオピア王家の者が“仲良く”することは 良いことなのである。 問題は、その“仲良く”の内容――北の大国ヒュペルボレイオス王家の者と 南の大国エティオピア王家の者が、どう“仲良く”するか、だった。 北の大国ヒュペルボレイオス王家の者と 南の大国エティオピア王家の者が、運命の神の導きによって出会ってしまった。 出会っただけなら まだしも、恋に落ちてしまった。 “我儘な王子”氷河は、当然のごとく、その恋を成就するために、“極めて意思的で、決断力と その決断力に伴う行動力を備え、常に前向きで、諦めることを知らない”という彼の資質を駆使し始めた。 その恋の障害となるもの、その恋を祝福せず反対する者たちを すべて蹴散らす勢いで、氷河は 己れの恋に邁進することを始めたのである。 「俺と瞬の恋を邪魔する者は、たとえ それが叔父上であっても許さない。瞬と結ばれないようなことがあったら、俺は ぐれるぞ。ぐれにぐれまくって、とんでもない暴君になって、やりたい放題をしてやる!」 「やりたい放題? 今以上にか……?」 氷河の叔父で、現ヒュペルボレイオス王国の国王であるカミュが、頭痛を こらえるように額に右の手を当てて、低い呻き声を洩らす。 大国ヒュペルボレイオスの玉座に着いている人間の人生が これほど苦渋に満ちたものだということを、地位も権力も財も持たない平民たちは知っているだろうか――想像したことがあるだろうか。 大国ヒュペルボレイオスの国王の苦渋を知る者は、この広い世界に ただの一人もいないのだと思うと、カミュ国王は、自分が生きていることが ひどく切なく やるせないことに思えて仕方がなかった。 しかし、カミュ国王は 彼が国王であるがゆえに、いつまでも のんびりと国王の切なさに浸ってはいられなかったのである。 彼は、ヒュペルボレイオスの次代の王を 分別のある男にしなければならなかった。 「おまえは、いずれ この国の王になる男なのだぞ。何を そんな子供のようなことを言っている。そもそも 男同士で恋に落ちたも何もあったものではないだろう!」 問題は、北の大国ヒュペルボレイオス王家の者と 南の大国エティオピア王家の者が、どう“仲良く”するか――なのである。 それが友情なら何の問題もない。 むしろ、それは“いいこと”でさえある。 しかし、氷河が恋に落ちた“南の大国エティオピア王家の者”は 王子――王女ではなく王子――なのだ。 “王子”というものは、男子と相場が決まっている。 氷河が恋した瞬王子も もちろん男子。 それが、カミュ国王の苦渋の原因だった。 そして、氷河が、彼の叔父であり ヒュペルボレイオス王国の国王でもある人間の苦渋を、全く理解しようとしないことが。 「叔父上には、ぜひとも その言葉を 万神殿の祭壇の前で、堂々と申し述べていただきたい。神々は、叔父上の考えに いたく感じ入り、我が国に 大いなる祝福を与えてくれるだろう」 「ぐ……」 “極めて意思的で、決断力と その決断力に伴う行動力を備え、常に前向きで、諦めることを知らない”氷河は、その上 更に、“弁が立つ”という才能にも恵まれていた。 もちろん、それも 他の資質同様、望んで得られるとは限らない素晴らしい才能である。 その使いどころを間違いさえしなければ。 万神殿は、ギリシャのすべての神々を祀っている大神殿。 そこでは、美少年ガニュメデスをさらってきた大神ゼウスも、美青年ヒュアキントスを愛した太陽神アポロンも、そのヒュアキントスに横恋慕していた西風の神ゼピュロスも祀られている。 氷河の勧めに従ったら、ヒュペルボレイオス国王は、同性愛の趣味のある それらの神々の怒りを買い、彼の国は 強大な力を持った神々の手によって たちどころに滅ぼされてしまうだろう。 ヒュペルボレイオスの国王に そんなことができるわけがない。 “できるわけがない”と わかっていることを、わかっているからこそ、氷河は挑戦的な目をして 哀れなヒュペルボレイオス国王に言っているのだ。 カミュ国王は、おそらく 人類の歴史が始まって以来 誰も洩らしたことがないほど長く深い溜め息を“我儘な王子”の前で披露した。 我儘な王子の我儘を正すことができる人間は、おそらく この地上世界には存在しないに違いない。 そう考えたカミュ国王が、氷河に、 「では、万神殿で 神の御意思を仰いでみようではないか。おまえの恋を、もし神々が許したなら、私も何も言わない」 と提案したのは、いわば苦肉の策、藁にも すがる思いから出たことだった。 氷河の我儘に対抗できるものは、もはや 神々の我儘――自分の同性への恋を棚に上げて 氷河の恋を否定する、氷河以上に我儘な神々の我儘――しかないと考えてのこと。 カミュ国王は、我儘に我儘で対抗することを考えたのである。 王家の者には、支障なくスムーズかつ速やかに 王位を次代の者に引き継ぐ義務がある。 一国の王(未来の王)が 同性との恋に耽溺して子を成さず、誰もが認める王位継承者を残さないのは 内乱の元。 ヒュペルボレイオスのような大国で王位継承権争いが勃発するようなことがあったら、それは地上の平和を乱す争乱を招くことにもなりかねない。 神々が そんな面倒事を望むはずがないのだ。 そんな時間があったら、その時間を自分の恋のために費やしたいと考えるのが、ギリシャの(大部分の)神々(のはず)だった。 神の意思を問う――その提案には さすがの氷河も少なからず怯むことになるだろうというカミュ国王の期待は空しいものだった。 氷河は神々の意思を恐れる様子も見せず、それどころか自信満々で、 「世にも稀なる美形が二人、互いに熱烈に恋し合っているんだ。その恋を美しいと思わないのは、よほど 美意識が欠如しているか、そうでなかったら もてなさすぎで根性のひねくれた神だ。俺と瞬の恋を否定することは、自分の美意識の欠如や 根性の悪さを認めること。プライドがあったら、俺たちの恋を禁ずる神などいないはずだ!」 と、カミュ国王に豪語してみせたのだ。 自信満々の氷河の主張は、突っ込みどころが多すぎて、どこから突っ込めばいいのかが わからないほどの与太話、大口を叩くのも大概にしろと言いたくなるほど ふざけた発言だった。 カミュ国王は、氷河の言い草に突っ込む前から激しい疲労感に支配されてしまったのである。 立場上、突っ込まないわけにもいかないので、『もう氷河の相手はしたくない』と訴える自らの理性と感情を懸命に なだめすかして、カミュは 何とか氷河の発言に突っ込みを入れることをした。 「何が『余にも稀なる美形が二人』だ。自信過剰も いい加減にしろ。いや、エティオピアの瞬王子が美しいという話は 私も聞いているぞ。だが、瞬王子は おまえとは正反対、控えめで心優しく、清らかで 思い遣りと慈悲の心にあふれているというので有名な王子だ。そんな瞬王子が、どうして おまえなんかを好きになるんだ。そもそも瞬王子は 本当におまえを好きなのか? それ自体が おまえの勝手な思い込みなのではないか?」 氷河が自信満々で 既定のこととして 自分と瞬王子との恋を語るので、何となく そうなのだろうと思っていたのだが、二人の恋が そもそも氷河の勝手な思い込み、氷河の一人相撲にすぎないという事態は、決して ありえないことではない。 今更ながらに 猜疑心いっぱいで、カミュ国王は氷河に探りを入れてみたのである。 自信過剰で思い込みの激しい氷河のこと、二人の恋の真偽がどうであれ、『瞬は俺に夢中なんだ』くらいのことは言ってくるかと思っていたのだが、カミュ国王への氷河の答えは 意外や 謙虚なものだった。 「それは……実を言うと 俺も、なぜ瞬が俺なんかを好きになってくれたのか、よくわかっていないんだ。俺と瞬が 初めて会ったのは、叔父上も知っての通り、半年前 アテナイのパンアテナイア祭を見にいった時で……。あの時、瞬が、他の女と違って、俺にマーマの自慢話をされても 嫌な顔をしないから、俺は つい調子に乗って喋りまくってしまったんだが……。瞬は 終始にこにこして 俺の話を聞いていてくれた。そして、『氷河はお母様に深く愛されて、お母様をとっても愛してらっしゃったんですね』と、優しく言ってくれて――」 瞬との出会いの様子を語っているうちに、みるみる氷河の鼻の下が伸びていく。 締まりがなく緩みきった その顔を見て、カミュ国王は、『その顔の どこが“世にも稀なる美形”なんだ』と、別の突っ込みを入れたくなってしまったのである。 そしてまた 同時に、そんな出来事があったのなら、二人が恋に落ちたという氷河の言葉も、あながち氷河の勝手な思い込みではないのかもしれないと、カミュ国王は思うことになったのだった。 「瞬王子は、物心つく前に 両親を亡くし、兄王に育てられたようなものらしいから、同じ身の上のおまえに親近感を抱いたのかもしれんな。自分は母の思い出を全く持っていないから――おまえに対する母の愛、母に対する おまえの愛に、憧憬と同情を覚え、その気持ちが恋になっていったのかもしれん……」 もし そうなのであれば、瞬王子の恋は 切なく、悲しく、清らかで――もし そうなのであれば、瞬王子の恋は、氷河の我儘ごときでは揺るがないものであるかもしれない。 決して瞬王子の健気な思いを責めるつもりはないのだが、その推測はカミュ国王の心を暗鬱にした。 そんなカミュ国王の心を、 「だとしたら、この恋はマーマが結びつけてくれた恋。マーマの愛にかけて、俺は瞬との恋を必ず成就させるぞ!」 という氷河の決意表明が、更に重く憂鬱にする。 ありとあらゆることを――不都合な事態も、不利な状況も、旗色の悪い形勢も、氷河は見事に 自分に都合よく解釈してみせる。 大義名分をつけて、ただの我儘を あたかも正義であるかのように見せかけることも、氷河は やすやすとしてのける。 “我儘な王子”の面目躍如。 あまりに前向きすぎ、楽天的、楽観的すぎる氷河の宣言に、カミュ国王は疲れ果てていた。 エネルギッシュな人間というものは、 ただそこにいるだけで 周囲の人間から力を奪うものだというのに、氷河のエネルギー源は 瞬王子への恋と母への愛なのだ。 体力は有限だが、恋や愛の力は無限。 普通の人間に太刀打ちできるわけがない。 張り切る氷河に、疲れ切った身体と心と声で、 「では、おまえのお薦めの万神殿の神託所で、神の ご意思を仰いでみよう」 と言えただけでも、カミュ国王は 立派な国王だったろう。 |