メイドのお仕事






「面食いは病気よ。それも、かなり人生に有害な病気」
「そうそう。いくら顔がよくたって、好きな人に優しくしてもらえないんじゃ、ココロがすさむわ。自分を不幸にするだけよ」
「そりゃあ、あんな綺麗な顔したオトコと並んで街を歩いていたら、みんなに注目されるでしょうし、いい気分を味わうこともできるでしょうけど、そもそも 我々に彼と並んで街を歩く機会なんてあるはずもないんだし」
「どうせ面食い病を発症するなら、瞬様にしなさいよ。瞬様は 綺麗で可愛いらしいだけでなく、誰にでも 分け隔てなく お優しいから」
「紫龍様も、お顔立ちは端正よ。その上、理知的で落ち着いてらして、紳士的」
「星矢様も よくよく見ると いい お顔をなさってるのよね。あの明るさ、屈託のなさは、一緒にいる人間の気持ちを浮き立たせて 元気にしてくれるわ」
それが先輩方の統一見解、そして忠告だった。
「とにかく!」
「氷河様はやめときなさい!」
――というのが。

そんなふうに先輩方に揃って忠告され、我知らず たじろいでしまった私の名前は、鈴木 蘭。
5月1日生まれの芳紀まさに20歳――というか、弱冠20歳。
5月1日は、フランスでは“スズランの日”なんだそうで、大切な人にスズランを贈る習慣があるんだって。
で、この日、スズランをもらった人には幸運が訪れるって言われてて、だから、私の両親は、略称がスズランになるように、私に“蘭”という名前をつけたらしい。
出生届を出してから、私が大きくなって結婚して苗字が変わったら、スズランじゃなくなるってことに気付いて慌てたらしいけど、そんな うっかり者の両親の血を受け継いで、私も かなりの粗忽者。
そんな粗忽者の私が グラード財団総帥の私邸に住み込みのメイドとして雇ってもらえることになったのは、やっぱりスズランの花が運んできてくれた幸運のせいなのかもしれない。
補充求人1名のところに12人の応募があって、その中から なぜか大した取りえも特技もない粗忽者の私が選ばれたんだから、これは一つの奇跡。
スズランの花のご加護としか思えないわ。

それは さておき。
私に 有難い忠告を垂れてくれた先輩方というのは、だから当然、全員 城戸邸のメイドさん。
ちなみに、城戸邸には 住み込みのメイドが私の他に5人いる。
今時の日本で、住み込みのメイドなんて、なりたくても簡単になれるものじゃないから、私たちって、ある意味 エリートなのかもしれない。
まあ、仕事の内容は、要するにハウスキーパー、家政婦なんだけどね。

今 ここにいないメイド頭さんは この道20年超のベテランで、先輩というよりは私の上司。
他の4人の先輩は、全員20代半ば。
妙齢の若い女性たちばかり。
メイド喫茶のメイドの仕事が どんなものなのかは知らないけど、個人宅のメイドの仕事は結構大変よ。
繰り返しになるけど、結局はハウスキーパーだもの。
だけど、この家の ご主人様の城戸沙織様は、世界に冠たるグラード財団の総帥。
お客様も政財界のVIPが多くて、メイドも相応の品格が求められるの。
言ってみれば ばりばりの庶民が 上流階級の人たちに接することのできる稀有な仕事なわけだしね。
それって、時代錯誤な言い方をすれば、仕事をしながら行儀見習いというか、花嫁修業ができるようなもの。
城戸邸で何年かメイドを勤めたら、間違いなく いいところにお嫁に行けるって、この業界では伝説みたいに語られてるわ。

まあ、私は、そんな玉の輿を期待しているわけじゃなく、子供の頃に読んだイギリスの小説のせいで メイドさんに憧れるようになって、現代の日本では狭き門と知りつつ、この仕事に就くことを希望し続けていたんだけどね。
そのために、秘書検定1級、調理師と管理栄養士の資格も取った。
城戸邸はお給料もいいし、何よりメイドの お仕着せが理想の英国風。
黒いミディワンピースに白いビブエプロン。
私にとっては、夢の職場といっていいわ。
適性検査を受けて 難関突破、かなり厳しい秘密保持契約を結んで、城戸邸に雇われることになり、私が 憧れのメイド生活を始めたのが 今から3ヶ月前のこと。
お客様やご主人様たちの前では お澄まししてなきゃならなくて、粗忽者の私には毎日が緊張の連続。
この3ヶ月間は、お仕事を覚えるのに必死で、5月病になる余裕もなく、ほんとに あっというまに過ぎていったわ。
どうこう言ったって、所詮は駆け出しの新米メイド、本来の お仕事は そんなに大変なものじゃなかったんだけど、大きな家には、その家ならではの お約束や決まり事があるのよね。
ご主人さまの お好みとか――むしろ嫌がることを覚えて、それをしないように気を遣わなきゃならないの。
そこで神経をすり減らすのが、この仕事の最大の難点かもしれない。

もっとも、私の本来のご主人様である城戸沙織様は、この3ヶ月間、ご自邸の方にはお帰りになってなくて、私はまだ沙織様のお顔を見たこともないんだけど。
先輩たちの話によると、かなりの美人らしい。
まあ、沙織様には いずれ お会いできるでしょうけど、そういうわけで、この3ヶ月間の私の実質的ご主人さまは、沙織様が家族同然にしている4人の家人だった。
他に あと一人、同じ立場の家人がいらっしゃるらしいけど、その方は独立心が強いというか、放浪癖があるとかで、滅多に こちらのお屋敷には寄りつかないらしいわ。

うん。
ともあれ、そういう状況で 3ヶ月の試用期間が無事 終わり、私は、明日から めでたく本採用という仕儀に相なった。
で、先輩たちが お祝いの席を設けてくれたわけ。
お祝いの席といっても、ごく ささやかなものなんだけどね。
城戸邸に勤めているメイドは、お屋敷の3階にお部屋をもらっているの(決して広くはないけど、個室よ個室)。
先輩たちが それぞれ食料と飲み物を持って、私の部屋に集合。
そして始まった、私の本採用 祝いの宴。
ほどよく盛り上がってきたところで、先輩の一人に、4人のご主人様方の中で 誰がいちばん 好みかって訊かれたから、私は『氷河様』って答えたの。
そうしたら、先輩方が血相を変えて有難い忠告を垂れてくれ始めた――というわけ。

あ、『好み』っていっても、『特別に好き』とか『本気で好き』とか、そういう意味じゃなくて、お気に入りは誰かっていうことよ。
言うなれば、場を盛り上げるための お遊び、座興。
なにしろ、瞬様、氷河様、紫龍様、星矢様――私たちの4人のご主人様方は全員10代、私たちより年下なんだから。
もっとも、紫龍様や氷河様は、私なんかより はるかに貫禄があって――ううん、むしろ迫力というべきかな――まるで年下っていう気はしないんだけどね。
でも、瞬様、星矢様は 本当に可愛らしい方々よ。
特に瞬様は、“綺麗”と“可愛い”が同居している稀有な容貌の持ち主で、私より よっぽど純白のスズランの花みたいな方。
先輩方に教えてもらうまで、何の疑いもなく、私は 瞬様を女の子だと思っていたわ。

「でも……優しくしてもらえないっていっても、別に氷河様は意地悪なわけじゃないし……」
先輩方の有難い忠告。
だけど 私は食い下がった。
別に『特別に好き』なわけでも『本気で好き』なわけでもないけど、自分の好きな物や人を 頭から否定されたら、それって ちょっと切ないじゃない?
ここで『そうですよねー』って、先輩方の忠告を すんなり受け入れちゃったら、自分っていうものがない太鼓持ちみたいだし。
先輩方は 生意気な後輩の前で、嘆かわしげに首を横に振った。

「確かに、氷河様は 意地悪なわけじゃないわ。けど、氷河様の“意地悪じゃない”は、つまり 私たちなんて眼中にないってこと、視界に映してないってことよ。“嫌い”ですらなくて、無関心なの。ま、それが 私たちメイドに対してだけじゃなく、誰に対しても そうだから、見下されてるって感じはしないけど、でも 氷河様のあれは それ以前の問題」
「氷河様は、誰に対しても優しくないのよね」
「そうそう。氷河様は、すべての人間が心を持ってるってことを知らない、他人の気持ちや感情を意に介していないって感じ」
「そうかなぁ……」
相手は仮にも私の先輩方で、私より長い時間 氷河様を見てきたわけだし、そうそう強く我を張り通すわけにもいかない。
私は、テーブルの上にあるピスタチオのクッキーと 栗鹿の子の どっちを食べようか迷いながら、あやふやな答えを返した。
迷いなく まっすぐ ウサギ屋のドラ焼きに手をのばした先輩が、きっぱり頷く。

「そうよ。私はもう こちらに3年以上勤めてるけど、氷河様に話しかけられたことなんて、1度もないわ。お茶を運んでいくと、瞬様や紫龍様、星矢様は『ありがとう』って言ってくださるのに、氷河様だけは いつも無言なのよね」
「その代わり、用を言いつけることもないけどね」
「そのうち、蘭ちゃんにもわかるわよ。3年間 存在を無視され続けたら、相手がどんなにイケメンでも、しっかり不支持派になれるから」
「氷河様が 意地悪じゃないにしても、優しい人じゃないことなんて、3ヶ月もあれば十分 わかりそうなもんだけどねー……」
ゴルゴンゾーラチーズを口に放り込んだ もう一人の先輩が、軽く首をかしげて、まじまじと私を見詰めてくる。
先輩は、そんなこともわからない人間に、生の人間相手の仕事の究極といっていいメイド稼業が務まるわけがないと言いたげな顔をしてた。






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