その出来事があってから、氷河様の あの笑顔に もう一度 会いたいっていう私の気持ちは 更に強く大きくなって、私は いよいよ瞬様の真似に いそしむようになった。 私の瞬様の真似は、もちろん上辺だけのことにすぎなかったけど、でも だからこそ それは周囲の人たちの目に あからさまに映ったらしい。 「蘭ちゃん、あなた、瞬様の真似してるの? なんか……なんだか、ものすごーく不自然よ?」 私の不自然な振舞いを奇異に思ったらしい先輩方に そう言われることが幾度かあった。 ええ、そう。 もちろん それは上っ面だけの――瞬様の表情や仕草を真似るだけのことだったんだけど、実は 上辺だけでも瞬様を真似るのは至難のわざだった。 瞬様って、仕草がやわらかいから気付かないんだけど――人に気付かせないんだけど――すごく敏捷なのよね。 何をするにも、全く無駄のない動きをするの。 氷河様、紫龍様、星矢様方もそうなんだけど、瞬様以外の方々の敏捷さは一目瞭然、特に注意していなくても すぐに そうと気付く。 けど、瞬様は、第一印象が“やわらかい”なもんだから、すぐには その無駄のない動きに気付かないの。 むしろ おっとりしてるように見えるくらい。 でも、事実は全く逆。 仕草を真似るだけでも、まず 体力と運動神経を養うところから始めなきゃならないのかもしれない。 そんなことを考えながら、私は瞬様を観察するようになってて、そのせいで私はまた粗忽の証明をすることになってしまったのよ。 私の今度のミスは、器物破損なんて軽微なものじゃなく、重大な過失傷害。 あろうことか、私は、瞬様の お身体を傷付けてしまったの。 その日、私は、ラウンジにいる ご主人様方に午後のお茶を運んでいく当番で、カップやポットやデザートを載せたワゴンを押して ラウンジに入っていった。 瞬様はソファに腰掛けて画集を広げてらして、氷河様が 横からそれを覗き込んでいたわ。 氷河様は 画集の あるページの絵を指し示して、その絵が好みだっていうようなことを おっしゃって――。 そういうの、気になるじゃない? その絵が誰の描いた どんな絵なのかがわかれば、瞬様のお好みと氷河様のお好みがわかるわけで、瞬様みたいになって、瞬様みたいに氷河様に笑いかけてもらいたいと思っている私には、それは超有益な情報なわけ。 だから、瞬様の膝の上にある画集が誰のものなのかを確かめるために、私は、テーブル脇に寄せたワゴンの上で、お二人が眺めていらっしゃる画集に ちらちら視線を投げながら、ポットからカップにお茶を注いで――要するに 私は、自分の仕事に全く注意を払わず、瞬様と氷河様の視線の先にあるものを盗み見しようと、そちらにばかり気を取られていたのよ。 そんな真似をしていたら、ろくなことが起こるはずがない。 私は 熱いお茶を、ティーカップじゃなくワゴンに注ぐという馬鹿なことをしてしまい、撥ねたお湯に驚いて、手にしていたカップとポットを放棄して、それらは地球の重力の為すがまま。 「危ないっ!」 床というより、私の足に向かって落ちていくカップとポットを払いのけてくれたのは、瞬様の手だった。 どうして そんなことができたのか――瞬様の手が どうして間に合ったのか、瞬様が どうして そんなに素早く動けたのか、その時 私には まるで わからなかった――っていうか、今もわかってない。 でも、ともかく、瞬様が払いのけてくださったカップとポットは 私の足元から1メートルも離れたところにまで飛んで落下することになり、カップに入っていた熱いお茶は 瞬様の腕に降りかかることになったのよ。 「瞬!」 瞬様同様、氷河様も 常人の それとは思えない素早さで動いた。 そして 何か冷たいものを生んで、瞬様の腕を冷やして――私は本当に、その数秒の間に 自分の目の前で何が起こっているのかを、まるで理解できずにいた。 瞬様が その腕を氷河様の手に預けたまま、 「大丈夫ですかっ」 って、私に訊いてくる。 「あ……あ……」 私は咄嗟に何を答えることもできなくて、 「お湯は どこにもかかってませんか?」 と、もう一度 問われて初めて、何とか瞬様に頷き返すことだけができた。 ええ。私は無事。 熱湯は一雫も 私に触れていない。 でも――私にかかるはずだった お湯は瞬様の腕を濡らしてて――わ……私、瞬様に火傷をさせてしまった? ど……どうしよう。 どうしたらいいの。 私は 自分のしでかしたことの重大さに気付いて――だんだん自覚できてきて、身体が動かなくなってしまった。 「ねーちゃん、大丈夫か?」 「本当に どこにも火傷はしていないか?」 星矢様と紫龍様が、はっきり火傷していることがわかっている瞬様じゃなく、私の方を心配して お声をかけてくださる。 どうしてなの。 頼むから、誰か私を責めて。 私を怒鳴って、怒って。 でないと、私は いたたまれない。 瞬様、氷河様、お願い! それは、誰かに責められ叱られることで、自分のしでかしたことの重大さを忘れたいっていう、すごく卑怯な願いで――本当に卑怯な願いだったのに、私の その願いを叶えてくれたのは、あろうことか氷河様だった。 「なに、ぼーっとしてるんだ。そこを片付けろ!」 氷河様が私を睨んで、懸命に腹立ちを抑えようとして 抑えきれずにいるのがわかる声で、私に命じる。 「モップ、取ってきます!」 私は出来の悪い操り人形みたいに かくかくした動きで頷いて、ラウンジを飛び出した。 用具室に向かう途中で田中さんに会った私は、事情を手短かに彼女に説明して、 「どうしよう、どうしよう」 って、田中さんの前で 泣き喚いたの。 田中さんは、 「あなた、今は使いものにならないから、後始末は私がします。気持ちが落ち着いて、来れるようになったら いらっしゃい」 って言って、私からバトンを受け取ったリレーランナーみたいに用具室に向かって早足で駆け出した。 私は一人、その場に ぽつんと残されて――。 『気持ちが落ち着いて、来れるようになったら いらっしゃい』って 田中さんは言ってくれたけど、結局 私は恐くてラウンジに戻れなかった。 できることは何もないにしても、私は 戻らなきゃならなかったのに。 氷河様の怒りが恐かったわけじゃないの。 そうじゃなく――瞬様の火傷の具合いを知るのが恐くて、私は 瞬様の指定席に逃げ込んだのよ。 |