「気を失うなんて久し振りだったな。初めの頃はよくあったが」 瞬の身を案じているようではあるのだが、声音は どこか弾んでいる。 ただ、瞬を見詰める大人の氷河の目は やはり“優しい”としか言いようのないもので、瞬は大人の氷河の気持ちが まるでわからなかった。 自分の意のままにできる人形を好き勝手に扱うような惨酷な振舞いの すぐあとに、どんな躊躇もなく優しさを示してくる大人の氷河。 その豹変が 瞬には理解できなかったのである。 子供の氷河にも、言葉と態度と心が裏腹であるように感じられることは しばしばあった。 しかし、子供の氷河は ここまで あからさまな豹変を見せることはなかった。 瞬を泣かせてしまったあとに気まずそうな顔を見せることはあっても、すぐに満面の笑みを向けてくるようなことはなかった。 だが、大人の氷河は、自分が傷付け泣かせた相手に、すぐに平気で屈託のない笑みを見せ、その身を ねぎらうような素振りをさえ示してくる。 まるで、たった今まで自分が何をしていたのかを忘れてしまったかのように、優しい眼差しで瞬を見詰め、その髪や肩に いたわるように触れ、撫でてみせる大人の氷河が、その気持ちが、瞬には理解できない。 理解できない氷河の優しい眼差しは やがて、瞬の中に 畏怖に似た感情を運んできた。 本当は優しいのだとしても、優しさこそが彼の本質なのだとしても、理解できないことは恐いし、大人の氷河は 瞬の知っている氷河とは違う人間だった。 それだけは、瞬にもわかった。 「兄さん……」 どれほど優しい眼差しで見詰められても、どれほど気遣わしげに髪を撫でてもらえても、知らない人。 瞬は、気心の知れた仲間や兄たちの許に戻りたかった。 「なに?」 瞬が兄を呼ぶと、優しかった氷河の眼差しは、急に険しいものに変化した。 大人の氷河の感情の動きが どうしても理解できず、瞬の瞳に涙が盛り上がってくる。 「兄さん、助けて……恐いよ……。氷河、星矢、紫龍、助けて……」 「瞬……? 瞬、どうしたんだ……」 瞬の様子が尋常のものではないと、さすがに 氷河も気付いたらしい。 おそらく彼は、今 初めて、本気で瞬の心身を案じ始めた――案じ始めてくれた。 それは瞬にも感じ取れたのだが、氷河の気遣いは もはや遅すぎた。 「兄さん、兄さん、氷河……みんな……助けて。僕、帰りたい……帰りたいよ……!」 一度 堰を切って漏れ出した嗚咽は、意思の力では止めることができない。 大人の瞬の身体に触れてくる大人の氷河の手を振り払い、瞬はベッドの上に突っ伏して、わんわん大きな声をあげて泣き出してしまったのだった。 |