「組み手や 打ち合いは やっぱりまだ嫌だから……氷河、一緒にジョギングに行かない? 二人で走ったら、ただのジョギングも とっても楽しいと思うんだ」
それは、これまでの瞬からは考えられないほど、果敢かつ大胆な申し出だった。
瞬は、懸命に勇気を振り絞って、氷河を誘った。
氷河は、急に前向きになった仲間の誘いを喜び 付き合ってくれるのか、突然の豹変を不気味に感じて、逆に避けようとするのか。
泣き虫の仲間の変化への氷河の対応は、そのいずれかだろうと瞬は思っていたのだが、氷河は瞬の積極的な態度を 喜ぶことも避けることもしなかった。
瞬に、珍奇なものを見る視線を向けて、その顔を明確に くしゃりと歪める。

「おまえ、昨日から すごく 変だぞ」
「変?」
「変だろ。いつもは俺の顔を見るだけで泣きそうになって逃げようとしてたのに、急に俺にべたべたして、やたらと俺の頭を撫でようとしたり、マーマ以外の誰かとキスしたことがあるかって訊いてきたり、俺にキスしようなんて言い出したり……」
「え……」
そういう氷河の頬は真っ赤で、どこか逃げ腰にさえ見える。
当然、瞬には、氷河に そんなことをした記憶はなかった。
だが、自分の意識が 大人の氷河のいる世界に行っていた間、こちらの世界で何が起こっていたのか、瞬には おおよその察しが ついたのである。
大人の氷河たちがいる世界で、氷河たちは 大人の瞬を取り戻すにはどうしたらいいのかというようなことを話し合っていた。
氷河に(子供の氷河に)キスしようとしたのは おそらく、子供の瞬と入れ替わっていた大人の瞬の意識であるに違いなかった。

氷河を恐がって逃げてばかりいた泣き虫の瞬が 急にそんなことを し始めたというのなら、氷河が瞬を『すごく変』と思うのも当然のこと。
瞬は、氷河に事情を説明しようとしたのだが、どう説明すればいいのかが、瞬には わからなかったのである。
弁解しようとして、弁解の言葉を思いつけず、謝罪しようとして、謝るべきことなどない事実に気付き――瞬は 結局、氷河に、説明も 弁解も 謝罪も できなかった――しようがなかった。

だから 瞬は代わりに、氷河に訊いてみたのである。
「氷河、マーマ以外の人とキスしたことあるの?」
と。
途端に 氷河は茹でダコのように真っ赤になった。
そして、その答えを瞬に手渡すことなく、氷河は脱兎の勢いで どこかに逃げていってしまったのだった。






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