聖域から――アテナから、仲間たちから、遠く離れた北の果て。 雪と氷と青い空以外に目に映るもののない世界に ぽつりと一つ建つ、孤独な城砦。 そこに たった一人で――もしかしたら、氷河は寂しかったのだろうか。 瞬は、最初のうちは そう考えていたのである。 心にもなく――あるいは、心底から そうしたいと望んで――あまり長居はせず、ここを立ち去るつもりでいると告げるたび、瞬を この砦に引き留めようとする氷河を見れば、そう考えるのが妥当で自然。 もし自分が氷河のような務めをアテナに命じられたら、自分は一人でいる寂しさに耐え続けることができないだろう。 そう思えるから一層、氷河は 寂しかったのだという考えを、瞬は強くしていった。 「氷河は、どうして 聖域から遠く離れたこんなところに一人でいるの」 「俺は ある大事なものを守っているんだ。それは聖域の内に置くのが危険なもので、扱いを間違えると 聖域や地上が大変なことになる。だから、聖域から最も遠いこの場所で、誰にも知られぬよう、それを守るのが俺の務めなんだ」 なぜ そんなことを訊くのかと氷河に疑われることを覚悟して瞬が尋ねたことに、氷河は何の ためらいもなく答えを返してくれた。 そんな氷河を、瞬は決して軽率とは思わなかった。 きっと彼は ただ寂しくて――だから、誰かと言葉を交わしていられることが嬉しいのだ。 瞬は そう思った。 もっとも、瞬が そうなのかと尋ねると、氷河は決して自らの務めを つらく寂しいと認めることはしなかったが。 「たった一人で――寂しいでしょう」 「別に。俺は もともと 人とナカヨクできない質だったから、俺に向いた務めを与えられたと思っている」 「でも、たった一人で……」 「こうして、おまえと知り合うこともできたし、ある意味 、幸運な務めだったな。気楽な務めでもある。おまえこそ――聖域から この北の果てまで、聖闘士でもないのに、よく来れたな」 「僕は、寒さには強いの。体温が高いのかな。生まれ故郷の村でも、みんなが寒い寒いって言ってる時にも、僕だけは平気だったんだ」 彼の務めに力を貸すことができるのなら ともかく、寒さに強いこと以外 何の取りえも力もない者の来訪を、氷河は喜んでいる。 口で どう言っても、やはり彼は この砦での日々を寂しく感じていたのだ。 氷河と言葉を交わすたび、瞬の確信は深まり強まっていった。 そもそも、一人でいることを嬉しいと感じる人間の存在が、瞬には信じられないものだった。 長い間 一人でこんなところにいたら、自分なら気が狂ってしまう――と思う。 たとえば たった今、氷河が この城砦の中から姿を消してしまったら――氷河に気付かれずに目的の壺を探しまわる好機が訪れたとしても、自分は壺より氷河の姿をこそ探し求めてしまうだろう。 そうなることに、瞬は絶対の自信があった。 「氷河、無理しないで。寂しいのなら、寂しいって言って。せめて僕の前では強がらないで」 「無理をしているつもりはない。ここには、人がいないだけで、陽の光も空気も水も空も風もある。大いなる自然の恵みというやつだな」 「そんなのが 友だちだなんて……。それらは本当に大事なものだけど、でも、氷河の友だちにはなれないでしょう」 「友だち? それは人間が生きていく上で絶対に必要なものではないだろう。陽の光や空気や水ほどには」 「氷河……」 氷河の その言葉が あまりに正しかったので、瞬は泣きたくなってしまったのである。 まるで荒野に ただ一輪で咲く野の花が必要とするものだけを 必要だと言う氷河が、その心が、 瞬は切なくてならなかった。 声と言葉を失った瞬の様子に、なぜか氷河が慌てたような表情を浮かべる。 彼は、自分の失言を取り繕おうとするかのように、あるいは弁解するかのように、言葉を継ぎ足してきた。 「無論、それは、あると困る、いると困るというものではないだろうが、アテナの聖闘士には、そういうものより アテナの命令の方が優先するわけで――」 「そう……そうですね。ごめんなさい。忘れてました。氷河はアテナの聖闘士なんだ……」 小さく そう呟き、氷河がアテナの聖闘士だったことを思い出し、更には、自分が何のために今ここにいるのかを思い出し――瞬の心は冷たく沈んだ。 氷河はアテナの聖闘士なのだ。 アテナの命に従い、地上の平和を守るために戦うという義務を負い、この北の果てで たった一人で自らに与えられた務めを果たしている。 そんな人を騙すことなどできない。 怪しげな薬で操ることは、なお できない。 かといって、地上の平和を守るために、自らの楽しみや喜び、もしかしたら幸福までをも断念している人を 理で説得することもできないだろう。 だいいち、その理を瞬は持っていないのだ。 では、どうすればいいのか。 どうすれば兄を救うことができるのか。 瞬には、自分のすべきことと 採るべき道が見えなかった。 「おまえが邪魔だとか、不必要だとか、そんなことを言っているわけではないぞ。陽の光があれば それで十分なんて思っていたのは、おまえに会う前の話だ」 氷河が 言い訳のように何事かを言っていたが、それは瞬の耳には届いていなかった。 |