二日月物語






「要するに退屈しているんだな、宮中に出仕している公家共は。藤原摂関家の権力は揺るぎなく、不満分子もいるにはいるが、そいつ等に できることといったら、こそこそ隠れて日記に不満を書き散らすことくらい。そんな輩の憂さを晴らしてやるために派手な催しが必要――ってことだ」
帝がどこの家の娘を寵愛しようが、立后できるのは藤原摂関家に縁のある娘だけ。
どの娘との間に どれほど優れた皇子が生まれても、帝の地位に就くことができるのは 藤原摂関家の意に沿う親王だけ。
帝自身にも もちろん 藤原家の血が流れており、東宮に立てられるのも 藤原摂関家が推す親王だけ。
今、父方からしか藤原摂関家の血を受けていない氷河が東宮に立てられているのも、他に 藤原摂関家の意に沿う適当な年齢の親王がいないというだけのこと。
母の身分が低いため、いずれ 藤原摂関家に都合のいい皇子が生まれた際、容易に取り替えることができ、新東宮の脅威になることもないだろうと見なされていればこそのことだった。

野心がないわけではないが、現実も見えている。
氷河は、よほどのことがない限り――数百年前に、天然痘の流行で 藤原四子が相次いで病死した時のような奇跡が起こらない限り――自分が帝になることのできない東宮だということは十分に承知していた。
無論、形ばかりとはいえ 次期帝になるべき東宮の地位を、氷河は有効に活用してもいたが。

「だから、巷で絶世の美女と噂の高い姫を御所に呼び出し、俺と比較して、ああだ こうだと品評して 退屈しのぎをしようというのか」
「ま、そういうことだ。光る君」
紫龍と星矢とて、活躍の場を与えられず 鬱々と日々を過ごす 退屈している公家の一人であることに変わりはない。
絶世の美女という噂を鵜呑みにしているわけではないだろうが、憂さ晴らしを必要としているのは、彼等とて同じことなのだった。

氷河同様、かなり薄いとはいえ、彼等にも藤原家の血は入っている。
だが、藤原家は巨大になりすぎたのだ。
今 現在の藤原家長者から遠く、かろうじて藤原家の端に引っかかっているばかりの傍流の彼等には 出世の芽はない。
検非違使庁の少志という官職に就いてはいるが、半端に藤原家の血が流れているせいで、下っ端の検非違使として その武力を活用し暴れまわることもできない。
星矢と紫龍は 暇つぶしを求めている公家の代表格だった。
暇つぶしを求めている公家の代表格の彼等が、暇つぶしを求めている公家の代表として、友人である氷河の許に 絶世の美女観賞会の企画を持ち込んできたのは、極めて自然なことだったのかもしれない。

『絶世の美女と噂されている姫を、東宮の力で宮中に呼び、“雨夜の品定め”ならぬ“光の品定め”を催してくれ』というのが、星矢と紫龍の持ってきた有閑公家たちの希望。
それは暇を持て余している不遇の公家たちだけでなく、多忙な藤原摂関家の者や帝すらも 大いに興味を抱く、有意義な(?)催しになるだろう。
その催しを、東宮として主催、号令するのは、氷河にとっても悪くない話だった。
だが、その“光の品定め”とやらで 見世物になる者の一人が自分だということが、氷河は どうにも気に入らなかったのである。

「しかし、かぐや姫――輝く姫とは、大きく出たもんだな。その姫は禿げているのか」
「んなわけねーだろ。くだらない冗談 言うなよ」
「おまえだって、光源氏の再来、光る君と呼ばれているのに 禿げていないではないか」
「女官や公家共が 勝手に呼んでいるだけだ。俺には ちゃんと氷河という名がある」
「かぐや姫にも、瞬という名があるらしいぜ」

光る君と輝く姫。
光り輝く美貌を持つ二人を(一方は誰も その姿を見た者はないが)内裏に呼び、絵や歌や香の出来を品評するように 比較して暇つぶしに興じようというのが、有閑公家たちの考え。
まさに、『小人 閑居して、不善を為す』の いい実例である。
あるいは それは、不善――たとえば、藤原摂関家への反乱というような――を為さないために、閑居に刺激を求めようという自制の現われなのか。
公家たちにしてみれば、それは、かぐや姫の美貌が さほどのものでなかった場合には、『噂ほど信用ならないものはない』と笑い飛ばすことができ、噂以上の美形なら、『光る君も大したことはない』と氷河を貶めて、(特に藤原摂関家の者たちが)留飲を下げることのできる、愉快な催し。
かぐや姫は 昇殿も許されていない貧乏公家の姫にすぎないので、勝負の結果が政治方面に影響を及ぼすことは、まずない。
ゆえに“光の品定め”は 宮中の誰もが気楽に楽しむことのできる、恰好の娯楽なのだ――そうなるはずだった。

「しかし、かぐや姫は 未婚の姫なんだろう。顔を人目に さらすわけにはいくまい」
「そこを東宮の権力で何とか――ということらしいな。摂関家に不利益を生じるようなことでもないし、おまえが帝から勅命をもらってくれれば、話は とんとん拍子で進むだろう」
紫龍の言う通り、とんとん拍子に進むだろう。
氷河の異母兄に当たる現在の帝は 彼の伯父である藤原家の関白の言いなりだが、人の言いなりになることに慣れているせいか、氷河に強く出られると、それにも比較的あっさり従ってしまう。
彼は、我の強くなさが藤原家に気に入られて 帝の地位に就くことができたような人物だった。
この催しには関白も大いに興味を示すだろうと言えば、帝は素直に勅命を出してくれるに違いなかった。

だが、それでも氷河は気乗りがしなかったのである。
氷河の消極的な抵抗を見てとって、諦めるということを知らない星矢が、説得のために身を乗り出してくる。
星矢が この計画に意欲的なのは、どうやら、絶世の美女への好奇心のせいばかりではないようだった。
「でも、かぐや姫が かぐや姫って呼ばれるようになったのは、美貌のせいだけじゃないんだぜ。絶世の美女っていう噂を聞いて、かぐや姫のところには 大勢の求婚者が押しかけたんだけどさ、その中で特に熱心だった男共がみんな、かぐや姫の物語さながらに ひどい目に合ってるせいもあるんだ」

「ひどい目? その かぐや姫とやらは、噂を鵜呑みにしてやってきた求婚者たちに、龍の首の珠や 蓬莱の玉の枝を持ってこいと要求でもしたのか」
「んなこと言われたんだったら、今時の腰抜け公家共は さっさと大人しく諦めるだろ。龍の首の珠を手に入れるために嵐の海に船で乗り込んでいく男気や、職人を雇って 偽の蓬莱の玉の枝を作らせたりする狡知を持った男は、昨今 この都の内には 一人もいねーよ」
星矢は一応、『竹取物語』を一通り 読んでいるらしい。
武辺一辺倒と思っていたのに、これは案外 『源氏物語』も伝聞ではなく、ちゃんと自分で読んでいるかもしれないぞと、氷河はそんなことを考え、感心した。
今時の公家の男たちの軟弱を情けなく思っているらしい星矢が、嘆かわしげに左右に首を振る。

「噂の かぐや姫は、俺たち同様、藤原家の傍流の小さな家の姫君なんだけど、こっそり 姫の部屋に忍び込もうとした貴公子が、どこからか入り込んでいた野良犬に襲われて命を落としたとか、太刀を持って押し入った男が、どういう弾みでか 自分の太刀で自分の脚を傷付けちまって、一生 自分の足で歩けなくなったとか、姫の周囲には その手の噂が 幾つも流布してるんだよ」
「噂だろう、ただの」
「そりゃ、自慢して吹聴できるような話じゃないから、被害者当人から直接 聞いたわけじゃないけどさ」
「絶世の美女だが、へたに近付くと 命を落としかねない危険な姫。そんな姫を内裏に呼んで 犠牲者続出ということになっても まずいし、自分が その被害者の一人になりたくないなら、確かに そんな危険な姫は呼ばずにいた方がいいかもしれんな」
かぐや姫を宮中に呼び寄せた際の お楽しみは、姫の美貌の品評だけではない。何か面白い事件が起きる可能性がある。もちろん、その“面白い事件”の当事者に 氷河自身がなる可能性もあるが――と、紫龍は暗に言っていた。
その可能性に気付かされて、氷河は 俄然 かぐや姫観賞会に乗り気になったのである。

「その かぐや姫とやら、内裏に呼び寄せてみよう」
「おしっ!」
氷河の決断に、星矢が拳を握りしめて 瞳を輝かせる。
「やっぱり、おまえが見たいだけなんだな」
まんまと乗せられたていで、氷河は眉を ひそめた。
が、彼は前言を撤回することはしなかった。
かぐや姫が 噂通りに絶世の美女で、藤原摂関家の有力者が姫に血迷うような事態が発生したら、確かに面白いことになる。
極めて無責任に――積極的に無責任に――氷河は そうなることを期待していた。






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