もちろん、氷河は対人恐怖症ななどではなかった。 自分に向けられる他人の視線や評価が恐いのではなく、彼自身が他人に興味を持てないだけだった。 自分が愛している人だけが重要で、自分が愛している人にだけ愛されたい、愛したい――その人とだけ愛し合いたい。 それ以外の人間は ただの夾雑物でしかない。 その夾雑物を取り除くことはできないから、無視する。 それが、子供の頃からの氷河のスタンス。 氷河のそれは、決して病気ではなく、単なる ものぐさなのだ。 あるいは 彼は節約家なのかもしれなかった。 他人のため、社会のために 自分の時間と労力を費やすことが、氷河には無駄に思えるのだ。 人間は幸福になるために生きている。 “幸福”の内容は人それぞれであるにしても、それが人間の生きる究極の目的。 その目的の実現に不必要なもののために時間を割くことは無駄である。 それが氷河の考えだったのである。 だから、氷河は、幼い頃には、瞬とだけ積極的に交わりを持った。 他の子供たちは、積極的に無視した。 氷河には それは極めて合理的な対応だったのである。 社会や他者と積極的に関わりを持つ行為は、自分に対する社会や他者の高評価を 自らの幸福だと考える人間たちが行えばいいことだと、氷河は考えていた。 別の言い方をすれば、氷河にとっての“社会”は、すなわち“瞬”だったのである。 瞬は、たまたま大人たちの無責任な会話から “対人恐怖症”という言葉を漏れ聞いて、氷河はそうなのだと思い込んでしまった。 それは幼い瞬には 初めて聞く言葉で、であればこそ、瞬の印象に残り、瞬の記憶に刻まれたのだろう。 そして、瞬の その誤解は 氷河にとって 非常に都合のいいものだったのである。 対人恐怖症という病気は、 「俺は他人というものが恐いんだ。だが、おまえだけは恐くない。なぜだろうな」 と不思議がって、氷河という男が 瞬とだけ関わりを持つ絶好の口実になったから。 氷河は、聖闘士としての自分の働きについては、『敵は、恐いから倒す』と 瞬に説明していた。 『逃げると追いかけてきそうだから、倒す。だが、一般人はそうはいかないから 対処に困るんだ』と。 一個の個人としても、聖闘士としても、対人恐怖症という病は 氷河に どんな不都合も不便も もたらさなかった。 大人になってからは特に、瞬の誤解は氷河にとって、一層 好都合なものになっていた。 『対人恐怖症を治さなきゃ、氷河は この先ずっと 社会生活に支障をきたし続けることになるんだよ』 と言いながら、心配顔で 仲間の病気を治そうとする瞬には申し訳ないと(少しは)思うのだが、氷河は自分の病気を治すつもりは全くなかったのである(振りだから、治しようもないのではあるが)。 「人の目なんて 気にしないのがいいんだよ。人のいるところに行っても、恐くなんかないよ」 と、しきりに外出を勧める瞬に、『嫌だ』『恐い』と言い張って、氷河は城戸邸の外に出ない。 瞬が どこかに出掛けようとしている時には、あえて引きとめはせず、心細そうな顔を作り、 「早く帰ってきてくれ。この家は他人が大勢いて恐い」 とだけ言う。 氷河に そう言われると、瞬は、それが女神アテナの命令によるものでない限り 外出をとりやめ、氷河の側にいることの方を選んでくれた。 対人恐怖症のくせに 一人になることを恐がる、でかい図体をした男――しかもアテナの聖闘士。 その不自然を、瞬はおかしなことだと疑いもせず、むしろ自分だけが氷河と他者の橋渡しができる人間なのだと、ある種の責任感をもって、氷河の世話をやき続けてくれていた。 「氷河は、星矢や紫龍は恐くないの?」 と問われた時には、 「他の奴等に比べれば 少しはまし――という程度だ。奴等は、俺の対人恐怖症のことを知っていて、だから 無理に距離を縮めてこないからな。だが、俺のことを知らない奴等は、突然 無遠慮に距離を詰めてきそうで、俺は それが恐いんだ」 と答えていた。 聖闘士になり、少し大人になって 瞬と再会し、幼い頃と変わらずに 瞬が自分の幸福にかかわる最重要人物だと確信した時から、氷河は 瞬の誤解を より強固なものにするための努力を 日々 重ねていたのである。 「聖闘士になって日本に帰ってきた最初の日の夕食の時、テーブルにパン籠を置こうとしたメイドの手が、俺の肩をかすめたんだ。俺は心臓が止まりかけたぞ。あんな下手な給仕があるか。あのメイドは、俺に悪意を持っていたに違いない」 とメイドをすら恐がってみせると、瞬は城戸邸に氷河を一人にしておけなくなってくれる。 まさに、“対人恐怖症”様々。 もちろん、白鳥座の聖闘士は対人恐怖症であるという認識が強固なものになればなるほど、瞬は 一層 熱心に仲間の病を治そうとするのだが、仲間の言葉を疑うことができない瞬を言いくるめることは、氷河には極めて容易な仕事だった。 「そんな……この家の中に 氷河に悪意を持ってる人なんて持ってるはずがないよ。ううん、この家の内に限らず、どこにだって 氷河に危害を加えようとする人なんているはずが――」 『ない』と言いかけて、アテナの聖闘士の敵のことを思い出したらしい瞬が口ごもる。 「その……アテナの敵は、ちょっと、その……」 もちろん、アテナの聖闘士の敵は アテナの聖闘士に対して害意を持っているだろう。 例外が一つあるということは、それは絶対ではないということ。 瞬が口ごもった訳を察して、氷河は少し 語調を 和らげた。 「最初から危害を加えることがわかっている敵は、平気なんだ。俺は、そうじゃない人間こそが恐い。腹の中で何を考えているのかが わからないから。親切そうな顔をして、いつ豹変するかわからない」 「大抵の人が氷河のことを好きだよ。氷河は綺麗だし、優しいし、氷河自身は人に対して悪意を持っていないでしょう? そういうのって、人は 敏感に感じ取るものなんだよ。女の人には特に、氷河は憧れの対象だと思うけど……」 「そんなことはない。多分、俺はどこか変なんだ。きっと みんなが腹の中では俺のことを馬鹿にして嘲笑っている」 「そんなこと あるはずないよ。氷河は自分の価値を見誤っている。氷河は、氷河以外の人が望んで手に入れることのできないものを、たくさん持ってるんだ。氷河を嘲笑える人なんて いるはずない」 「見誤っているのは おまえの方だ。俺は何も持っていない」 「氷河……」 すべてを持っている人間はいない。 同様に、何も持っていない人間もいない。 人は 誰もが 何かを持っていて、何かを持っていない。 自分が持っている人間か、持っていない人間か。 恵まれた人間か、恵まれていない人間か。 それを判断するのは、その人間の見よう、考えよう――その人間が どこに視点を置くか、どんな価値観を持っているか――なのだ。 ゆえに、人は 卑屈になるのも 傲慢になるのも自由自在。 神経症――心理的病理の類は、仮病を装うには最適かつ便利な病だった。 「星矢たちが平気なら、他の人たちとも、お互いを知り合えば、恐くないってわかって、平気でお話できるようになるよ」 「俺はおまえがいればいい」 「氷河……」 「他の人間は恐い。いっそ、おまえ以外の人間が皆 この世界から消えてなくなればいいと、俺は毎日 思っている」 対人恐怖症(の振り)の難点は、そこまで言っても、瞬に それを恋の告白だと理解してもらえないことくらいのものだった。 それは確かに大きな弊害ではあったのだが、しかし。 瞬は自分のことより 自分以外の人間のことを優先させる人間。 仲間が病に苦しんでいるのに、自分だけが幸福や 安穏とした日々を手に入れるわけにはいかないと考える人間である。 つまり、氷河が対人恐怖症の振りをしている限り、瞬は病気の仲間を気遣い、その病を治すことを第一に考え、自分の幸福を後まわしにする(はず)。 たとえ瞬が 白鳥座の聖闘士の恋の告白を それとわかってくれなくても、瞬は 病気の仲間を放っぽって 自分の恋に うつつを抜かすようなことはしない――できない。 氷河が対人恐怖症を患っている(振りをしている)限り、氷河は、瞬を他の誰かに奪われる心配はせずに済むのだ。 そう考えて、氷河は、全く進展しない自分の恋に あまり焦りは感じていなかった。 白鳥座の聖闘士が頼れる相手は瞬しかいないのだということ、それが どういうことなのかは、いずれ瞬にも わかるはず――白鳥座の聖闘士が瞬にだけ恋をしていることには、いずれ瞬も気付くはず。 自分は 病気の振りをして、その時を待っていればいいのだ。 そう、氷河は踏んでいたのである。 氷河の魂胆に感づいている紫龍や星矢たちが、時折 そんな仲間を非難してくるのは少々 鬱陶しかったのだが。 「瞬は おまえのことを本気で心配しているんだ。いい加減、本当のことを言って、瞬を安心させてやったらどうだ」 「なぜ そんなことをしなければならないんだ。俺は今の状態に おおむね満足しているぞ」 「おまえが満足してるかどうかなんてことは、この際、どうでもいいんだよ。俺たちは、瞬がかわいそうだって言ってんの。おまえを一人にすると おまえが心細そうにするからって、瞬は自由に外出もできないでるんだぞ。メイドが恐いなんて、大嘘つきやがって。おまえがそんな大嘘をついてる限り、カノジョができても、瞬はデートにも行けないだろ」 「そんなものに行かせてたまるか!」 白鳥座の聖闘士に改悛を迫る仲間たちの言葉を 柳に風で受け流し、氷河は対人恐怖症ライフを満喫していたのである。 そして、そんな氷河を、星矢と紫龍は 苦々しく思っていた。 氷河(と瞬)が いつまでも このままでいていいはずがない――と。 |