「星矢に、おまえが ヴェネツィアン・グラスの展示会を見に行きたがっていると聞いたんだが」
氷河は、実は、馬鹿ではない。
星矢や紫龍に苦言を呈された数日後、氷河が瞬に そう尋ねたのは、彼が、瞬の自由を奪うことではなく 二人の恋のことを考えるようになったからだった。
「あ、あれはいいんだよ。どうしても見たいっていうほどのものじゃないから」
氷河に尋ねられたことに、瞬が ごく さりげない口調で応じてくる。
それが、必ずしも無理をしているふうではなく、自分が外出できないのは当然のことと考えている様子の応答だったので、氷河は 少々 胸の詰まる感覚に囚われたのである。
無理を無理と、我慢を我慢と感じなくなるほどに、これまで自分は瞬に無理と我慢を強い続けていたのだ――と。

これまでの氷河だったなら、『そうか』と安堵の表情を浮かべ、瞬が自分の側にいてくれることを喜んでみせていた場面。
そんな氷河を見て、瞬もまた微笑を返してきていた場面である。
だが、今日の氷河は、これまでの彼とは違っていた。
「俺と一緒に行かないか」
と、瞬を誘ってみる。
「え? でも、だって……」
思ってもいなかったのだろう氷河の お誘いに驚いたように二度三度 瞬きをし、そうしてから 瞬は、いわく言い難い眼差しと表情を氷河に向けてきた。
病気を治すことよりも、その日その日、その場その場をしのぐことだけに腐心しているようだった氷河に どんな心境の変化があったのかと、それを 瞬は訝った(むしろ 案じた?)らしい。

「おまえのために勇気を出すことにした」
『おまえのために』は嘘ではなく、瞬に恩を着せる意図もない。
それは ただの事実である。
氷河の その発言は むしろ、『勇気を出す』の方が嘘で、巧言で美辞だった。
実際は、『面倒だが、我慢して外出してやる』なのだから。
そんな氷河の言葉の真意を 瞬が理解しているとは思えなかったが、その言葉が 瞬を喜ばせ、嬉しがらせ、感動させたのは事実だった。
「ありがとう……。本当は 恐いんでしょう? ありがとう。氷河、大好き!」

諦めも 無理も 我慢も 心配も 屈託もない、完全に喜びと感謝の気持ちだけでできている、明るい瞬の笑顔。
毎日 瞬の笑顔を見ているつもりだったのに、自分が これまで見ていたものは、仲間の病気を案じる気持ちの上に無理に作られた笑顔だったのだということを、今、瞬の心からの笑顔を見て、氷河は知ったのである。
瞬が 喜んでいるのは、自分が外出できることではなく、仲間が勇気を出してくれたことの方。
そこに、『ありがとう』と『氷河、大好き』の おまけつき。
病気の振りをすることで得る益は 多大なものだったが、勇気を出す振りをすることで得る益は、それ以上である。
この展開は悪くない。
全く 悪くない――実に いい。
氷河は、しみじみと そう思った。

大嘘つきの策士らしく、
「おまえと一緒なら、恐くはない。その代わり、何かあったら、俺を守ってくれよ?」
「うん」
「約束だぞ?」
「うん、必ず!」
と、そんな約束まで 取りつけて、氷河は、彼にとっては邪魔で不要な人間が ひしめいている“街”という場所に、瞬と共に出掛けていったのだった。






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