瞬を傷付け悲しませないために 真実を すべて告解すべきではないという紫龍の忠告に従うべきか否か。 その答えに至れないまま、氷河は紫龍の許に向かったのだが、その迷いは 迷うだけ無駄だった。 氷河と紫龍が 瞬のいるラウンジの前に着いた時、室内では、瞬に降りかかった災難の責任と原因は すべて氷河に帰すると決めつけた星矢が、怒りにまかせて 事実をすべて瞬の前に暴露してしまっていたのだ。 「氷河は病気なんかじゃないってーの! 対人恐怖症の男が、どうやって聖闘士になるための修行をしたんだよ。氷河の師匠はクマやセイウチじゃなく、人間だったんだぞ!」 「それは……恐くても、頑張って……。それに氷河は、星矢や紫龍は 氷河の事情をわかってくれてるから平気だって言ってた。僕以外にも、少しは平気な人もいるんだよ」 「少しは平気な奴もいるんじゃなくて、氷河は みんな平気なの! 氷河は、シベリア行くのに、泳いで行ってるわけじゃねーんだぞ。飛行機で行ってるんだぞ。他人が うじゃうじゃ乗ってる飛行機でな。対人恐怖症の人間が、そんなもんに平気で乗ってられると思うか。そんな都合のいい病気があるかよ!」 「でも……」 「あいつは 聖域にだって平気で行くじゃん。メイドが数人どころか、実際のところは何を考えてるか わからない他人が大勢 ひしめき合ってる聖域に」 「それは――聖域にいる人たちは、アテナの掲げる理想と目的に同心している人たちだけだから……。氷河を悪く思う人はいないって わかってるから、氷河も安心していられるんだと――」 「アテナへの忠誠心や敬愛と、アテナの聖闘士個人への好悪の気持ちは 全然別物だぜ!」 今の星矢は理性的ではなく、冷静でもないが、その発言は論理的である。 星矢の非難、星矢の主張は、全く正しい。 こうなったら、すべてを瞬に打ち明けて 瞬の許しを請うしかないと覚悟を決めて、氷河はラウンジのドアを開けたのだった。 氷河の病気は仮病。 氷河は 仲間を騙していた。 反論の難しい事実(事実なのだから、反論できないのは当然なのだが)を突きつけられた瞬は、紫龍の推察通り、悲しそうな目をしていた。 「氷河……」 星矢の告げる事実を否定してほしいと願っているのか、本当のことを教えてほしいと思っているのか。 瞬の切なげな眼差しの意味を――氷河は 咄嗟に読み切ることができなかった。 だが、こうなってしまっては、嘘を 偽りの言葉で飾り ごまかすことは もはや不可能。 そう判断して口を開きかけた氷河を遮ったのは、おそらく その場にいる者たちの中で最も冷静な思考力と判断力を有しているだろう紫龍だった。 彼の最大の目的、最優先事項は、瞬を傷付けないこと。 その点で 全く ぶれがない紫龍は、青銅聖闘士一の嘘つきだったかもしれない。 「瞬。氷河は嘘はついていない。氷河は本当に病気なんだ」 動じたふうのない落ち着いた声で、紫龍は瞬に告げた。 「紫龍!」 この上 まだ嘘を続けるつもりなのかと、馬鹿正直な星矢が、仲間を非難するように その名を呼ぶ。 が、紫龍は泰然としたものだった。 「ただし、それは対人恐怖症ではなく、恋の病という病気だ。おまえ以外の人間が鬱陶しく感じられて、視界に入らなくなる病気だな。氷河は、それを対人恐怖症だと思い込んでいたらしい。馬鹿な勘違いをしたものだが、馬鹿にも 生きて存在する権利はあるし、人を好きになる権利もあるだろう」 「病気だと勘違い……?」 一瞬 戸惑いの色が浮かんだ瞬の瞳が、少しずつ明るさと穏やかさを取り戻してくる。 瞬に 事実を突きつけていた星矢自身、事実を知らされたせいで 今にも泣き出しそうな面持ちになっていた瞬に、内心では大いに慌て、後悔しかけていたらしい。 瞬だけでなく 星矢も、紫龍の嘘に助けられた気分を味わっていた。 嘘も方便。 目的が私利を貪るためのものでなければ、嘘は極めて便利で有益なツールである。 紫龍の冷静な嘘に感謝して、氷河は 瞬の前に立ち、そして、彼にとっての事実、彼にとっての真実を瞬に告げたのである。 「俺はおまえが好きだ。おまえなしで生きていられないから、ずっとおまえを守る」 「氷河、対人恐怖症じゃないの」 「そんな病気にかかっていたら、おまえを守れない」 「よかった……」 瞬が『よかった』と思うのは、仲間が病気でなかったことに対してなのか、氷河が『おまえを好き』でいることに対してなのか。 勝手に その両方だと決めつけて、氷河は、瞬と仲間たちの前で 偉そうに宣言した。 「俺は これからは、おまえの行くところには、ボディガードとして 必ず ついていくぞ。世間では、善良な市民の中に本物の病人が さりげなく紛れ込んでいることが よくわかったからな」 『おまえという足手まといさえ ついていなければ、瞬は おまえより よほど強い』と言ってしまわないだけの思い遣りと優しさは、星矢も一応 持ち合わせていた。 |