あれからまた 別の者たちに考えを変えてくれと言われたのか、その夜 瞬の部屋にやってきた氷河は、日中 庭で出会った彼と大差なく――やはり 少し気が立っているようだった。 ナターシャに倣って、決して国政のことに口出しはすまいと決めていたのだが、ナターシャの命がかかった問題となれば、話は別である。 一度だけ 禁忌を破って、氷河に『復讐を忘れ エティオピアとの交易を再開してくれ』と頼んでみようと、その夜 瞬は決意していた。 「瞬……!」 部屋の扉を閉じるまでは その所作はゆったりしたものだったのに、扉を閉じた途端、氷河は性急な男に変容してしまった。 瞬が口を開く前に、小さなネズミに飛びかかる猫のように素早く、氷河が瞬を抱きしめ、唇を貪ってくる。 氷河の唇と体温のせいで 気が遠くなりかけている自分に 慌てて活を入れ――瞬は何とか少しだけ 氷河の胸を押しやった。 「氷河、その前に……」 「ん? 何だ? おねだりなら嬉しいが」 「ほしいものは、全部持ってる。そうじゃなくて……冬が来るね」 「冬? ああ、そうだな。暗く寒くて つらい季節、皆が春を待ち焦がれる忍耐の季節だ」 瞬の言葉に返事を返してはくるが、氷河の手は既に 瞬の身体への愛撫を始めている。 頬や耳、うなじや背中への愛撫は当然のこととして、神経の通っていない髪に触れられることですら、身体の中心に疼きを生む要因になるのは なぜなのだろう。 瞬は、一度 きつく目を閉じた。 「まあ、俺には、春そのものの恋人がいるから、忍耐とは無縁だが」 氷河は、瞬の そんな多感を心得ていて、抵抗が弱まる その一瞬に、瞬の身体を寝台に横たえてしまった。 「氷河、待って。その前に――」 「あとだ。言ったろう。俺は 忍耐を知らない。耐えることも待つことも苦手だ。苦手なのに、民のため、国のため、憎しみを抑えている。この上、おまえにまで 忍耐を求められたら、俺は理性が追いつかなくなって 途轍もない暴君になってしまう」 「氷河、でも、お願い……ああ……っ!」 耐えることが苦手な男の手は熱く、唇も熱く、身体も熱い。 その熱さに抗うことは、瞬には無理だった。 抗おうという意思があっても、その意思より先に、感情と身体が氷河に屈し、氷河に従わされてしまうのだ。 自分を暴君だと自覚していない暴君は、瞬が自分の意思で すべてを恋人に委ねているのだと思い込み、瞬に対して極めて奔放に振舞う。 自覚のない暴君ほど 質の悪い暴君はない。 氷河の最も質の悪い点は、奴隷を自分の意に従わせるための愛撫を、恋人への奉仕だと、彼が本気で信じていることだった。 自分のために、瞬の身体の至るところに触れ、撫で、摘み、舐めさえして、瞬から その意思と意識を奪っておきながら、それらすべてを瞬のための献身だと、氷河は信じているのだ。 「おまえのためなら、俺は何でもする。だから、俺に耐えろなどとは言わないでくれ」 氷河に そう言って求められれば、瞬は彼に頷く以外のことはできないのだ。 自分の奉仕と献身の成果を喜んで、氷河は嬉しそうに 瞬の中に入ってきた。 『愛している』と言い、『おまえのためなら何でもする』と言いながら、氷河は 結局 何もかもを自分の思い通りにする。 瞬が泣いて『痛い』と訴えても、氷河は瞬から離れない。 瞬が喘ぎ身悶えながら『早く』と懇願しても、氷河は平気で 瞬を苦しい状態のまま放置しておく。 命も身体も心も すべてを投げ出して頼んでも、復讐を忘れてくれないくせに、氷河は平気で『おまえのためなら何でもする』と言い続けるのだ。 『綺麗で優しくて誰からも好かれる おまえが、どうして俺なんかを受け入れてくれるんだろう』 氷河は、真顔で、心から不思議そうに、瞬にそんなことを尋ねることさえあった。 そんな氷河が好きで、瞬は どうしても 氷河の我儘を許さずにいられない。 「あああああっ!」 氷河が愛だと信じているものが 瞬の身体の奥に注ぎ込まれ、その一部は 瞬の身体の中に染み込み、その一部は 瞬の身体の内から 洩れあふれる。 その熱、その感触に陶然としながら、小さな点のように僅かに残っている意識の力で、瞬は思ったのである。 愛する人に 本当に幸福になってもらうためになら、自分は 何でもするだろう。 身体だけでなく、心だけでなく、言葉だけでなく――すべてを氷河のために投げ出すことが 自分にはできるだろう――と。 |