ギリシャの神々が 地上に住む人間たちと しばしば関わり合いを持っていた頃、そして、恋に男女の別がなかった頃のことです。 もちろん、それは今もありません――あってはならないものとされています。 現代と 当時のギリシャとで異なるのは、現代においては、性的指向のために差別が為されたりしたら、それは重大な社会問題として非難されますが、当時のギリシャでは どんな恋も問題視されたり特別視されたりすることなく、ごく自然で ありふれたものとされていたこと。 むしろ、当時のギリシャでは、異性愛より(男子同士の)同性愛の方が より高尚な愛と見なされていたこと。――くらいでしょうか。 いずれにしても、それは大した問題ではありません。 氷河が瞬に恋したのは、瞬が男子だからではなく、瞬がとても綺麗で可愛らしく、澄んだ瞳と優しい心を持っている人間だったから――でしたから。 氷河は、恋が生まれても全く不思議ではない出会いを、瞬と果たしただけだったのです。 氷河の恋は、白い小さな花が無数の星のように咲き乱れるアルカディアの野で始まりました。 ちなみに、アルカディアというのは、ギリシャのペロポネソス半島にある牧人たちの楽園のこと。 『理想郷』の代名詞にもなっている、豊穣の地のことです。 気候は温暖で、地を耕さなくても 麦や野菜が実り、面倒な手入れをしなくても 果樹は果実を たわわに実らせ、野に放っているだけで 山羊や羊たちも すくすくと育つ土地。 そこに住む者は、特別に神に愛されて 理想郷に生まれた幸福な者たち。 毎日 恋や音楽に うつつを抜かしていても飢える心配のない、祝福された者たちなのです。 そういう土地では、人は欲にかられることがありませんから、アルカディアには 貧乏人がいない代わりに お金持ちもいません。 皆が こじんまりとした家に住み、一日の4分の1くらいの時間を 麦や果実の収穫、パン焼きや乳搾り等の仕事に費やして過ごします。 あくせく働く人もいない代わりに、怠ける人もいない。 理想郷とは、そういうところなのです。 もっとも、命を永らえるための苦労がないから 人の心はいつも平穏――というわけにはいきませんけどね。 氷河のように、恋で胸を焦がす人間もいれば、肉親や友人の死を嘆き悲しむ者もいます。 『死はアルカディアにもある』という警句は、ギリシャの人間なら誰でも知っている有名な警句。 アルカディアは地上の楽園。 けれど、そして、それは 冥界の楽園であるエリシオンとは違う、現世の楽園。 アルカディアで暮らす人間のほとんどが幸福で幸運な人間であることは事実ですが、それは他の地に住む者より恵まれているという、あくまでも相対的な事実にすぎないのです。 そんな地上の楽園アルカディアで、氷河は瞬に出会いました。 出会いの時、アルカディアの野に咲くどんな花よりも可憐で 清らかな瞬の瞳と姿に、氷河の目と心は釘付けになりました。 その可憐な様に惹かれ、かなり積極的に 瞬に接近した氷河は、さほどの時を置かずに、瞬が その姿より美しい心の持ち主だということを知ったのです。 瞬に出会うたび、氷河の心は、険しいオリュンポス山を転がり落ちる岩のように急激に 瞬に傾いていきました。 そうして、募る思いが あふれ出て、もはや抑えがきかなくなった氷河は、ある日 瞬に 思いの丈を告白したのです。 『俺は おまえが大好きで、いつも いつまでも一緒にいたい』と、心を込め、情熱的に、氷河は瞬に訴えたのです。 ――と、ここまでは、氷河の恋は ごく普通の恋でした。 いいえ、そのあとも、ごく普通の恋だったでしょう。 一方は熱烈に恋しているのに、もう一方は それほどでもない――なんてことは、どこでだって、どんな時代にだって、よくあることです。 そう、氷河の恋は、瞬に受け入れてもらえなかったのです。 その上、氷河が瞬に好きだと告白した その日から、それまで氷河に対して いつも優しく親しげだった瞬の態度が急変。 瞬は、あからさまに氷河を避けるようになってしまいました。 村の道で氷河に出会うと、気付いた瞬間、回れ右。 家を訪ねれば、これまで すぐに氷河のために開かれていた瞬の家の扉は 微動だにせず。 嘘のつき方など知らないふうだった瞬が、氷河の訪問に居留守を使うようにまでなってしまったのです。 生涯ただ一人の永遠の恋人と決めた人の冷たい仕打ちは、氷河の心を深く深く傷付けました。 |