なぜ そんなことが起こり得るのか。 どうすれば そんなことが起こり得るのか。 氷河に会うのは、あらゆる可能性を推考してからの方がいいだろうと思い、考えを巡らせていたせいで、時間を余計に費やした。 瞬が氷河の店のドアを開けたのは、開店から2時間後。 客が最も多い時間帯だった。 「珍しいな。こんな時刻に」 氷河の声の響きは、いつもと全く変わらないようで、いつもとは少し違っている。 何かを疑っているような、憤っているような、憂えているような、呆れているような。 「ん……。ちょっと いろいろあって」 おそらく自分の声も、氷河のそれと同じようなことになっているに違いない。 そう思いながら、瞬は店内を見まわした。 客の入りは6割。 幾度か この店で出会ったことのある年配の紳士が、瞬のためにカウンターの中央の席を開けてくれた。 瞬に親切にしてやれば、この店では1杯 余計に飲めることを、彼は知っているのだ。 いつもなら遠慮するところなのだが、今日は礼を言って、瞬は その席に着いた。 今夜は、この席の方が都合がいい。 見まわした店内に、あの女性はいなかった。 だが、誰かがいるはずなのだ。 誰かが、今夜 ここにいなければおかしい。 「ね、氷河」 「おまえのところに、変な男が行かなかったか」 「ううん。氷河のところに、変な――ん……と、綺麗な女の人が行かなかった? 長めのストレートの黒髪の――そう、右耳の下のところに小さな ほくろが2つあった」 そう言ってから、氷河に対して 何と無駄な情報を提示したものかと、瞬は自分に苦笑した。 氷河が、人のそんなところを見ているはずがない。 「いや」 「そう。そうだろうね」 「瞬、おまえ……」 氷河の声の歯切れが悪いのは、十中八九、氷河の許にも 彼の仲間と同じ変事が訪れたからだろう。 そう確信して、瞬は腹をくくった。 背に腹は代えられない――この問題を解明せずにおくわけにはいかない。 何か物言いたげな――だが、何も言いたくなさそうにも見える氷河に、 「氷河、キスして」 と、瞬は言った。 それを瞬らしくないことと思ったのだろう。 氷河が 僅かに瞳を見開き、先程 瞬に席を譲って 脇の椅子に移動してくれた紳士が ぎょっとした顔になる。 瞬の意図を承知しているのか していないのか、氷河はすぐに瞬の求めに応じてきた。 カウンターテーブルの向こうから、氷河の唇が 瞬の唇の上に おりてくる。 最初は触れるだけのソフトなキスだったのに、いつのまにか氷河の右手は 瞬の うなじにまわり、左手は瞬の右腕を掴み、引き寄せ――それは 到底 ソフトともライトとも言えないキスになっていた。 無表情、無感情、無感動、無愛想で売っていた この店の主の衝撃的な振舞いに、店内がざわつく。 フロアの最奥のテーブル席に着いていた一人の女性が、それなりに重量のあるソファを蹴倒す勢いで立ち上がったことを、瞬は認めた。 「何よ、何よ、何よっ! これ、どういうこと !? どうして こうなるのっ!」 その女性が、鋭い癇声を店内に響き渡らせる。 その騒ぎに動じる様子もなくキスを続けようとする氷河の舌を軽く噛んで、瞬は何とか氷河を自分から引き離した。 「やはり、いらしてましたね」 声に、困惑と憐憫の響きが混じる。 中断されたキスに不満そうな氷河に、瞬は、 「氷河、その方をスタッフルームに お連れして」 と指示した。 強面の店主が、華奢な客の命令に、文句も言わず 速やかに従う。 氷河と氷河に捕われた女性の姿がスタッフルームのドアの向こうに消えると、瞬はフロアにいる客たちに丁寧に一礼した。 「すみません。氷河は 2、30分ほど席を外します。お時間に余裕のある方は、しばらく お待ちください。お急ぎの方は、そのまま どうぞ。お代は僕が払っておきます」 「このまま この顛末を確かめずに、帰れるわけがないだろう」 「いくら 奢ってもらえるったってねえ」 「すごいもの、見ちゃった」 フロアの客たちが、あちこちで呟く。 閉店まで粘られても、おそらく顛末を知らせることはできない――と思いながら、瞬は氷河たちのあとを追って、スタッフルームに移動した。 |