というわけで、その夜 瞬が眠りについた頃、紫龍、星矢、氷河の三人は、ひそかにラウンジに集まって 極秘のミーティングを開催したのである。
議題は、『地上世界を存亡の危機から救うには どうすればいいか』。
敵襲がない時のアテナの聖闘士たちは、存外に暇なのだった。

「嫉妬させるというのはどうだ。瞬は おまえと自分の仲がいいことは認めているようだし、瞬が おまえの側にいたがっているのも事実だ。おまえを他の誰かに取られそうになれば、瞬は 既得権益を奪われるような気持ちになって、おまえを余人に奪われまいとするのではないか? 嫉妬というのは、恋を自覚するパターンとしては、極めてオーソドックスなものだが、それだけに効果も期待できる」
と提案したのは、龍座の聖闘士だった。

「あ、それはいいかもな。誰かに奪われそうになって初めて その大切さがわかるってパターンだ。この手のことは、瞬には、理屈を説明しても駄目な気がする。恋ってのは これこれこういうもので、今のおまえは その条件に当てはまってるから、おまえは氷河に恋してるんだって説明してやっても、多分、瞬は 訳がわからなくて きょとんとするだけみたいな気がするんだよな。こういうことって、やっぱ、理性じゃなく情動に訴えるべきなんだよ。俺だって、なんで肉まんが美味いのか誰かに説明されても、『なに言ってんだ、こいつ』って思うだけだろうけど、誰かが横から手を出して、俺の肉まんを食おうとしたら、俺は 問答無用で そいつをぶちのめして、俺の肉まんを死守するぜ!」
なぜ ここで肉まんが登場するのかという問題は さておいて、彼自身は 特段のアイデアも持っていないらしい星矢が、紫龍の提案に乗ってくる。
が、肝心の氷河は、あまり乗り気な様子を見せなかった。

「もし それが最善の策なのだとしても、俺は、瞬に嫉妬させるために、どこぞの女と付き合うなんてことをする気はない。そんなことができるわけがないだろう。そんなことをしたら、俺は瞬に嘘をつくことになる。瞬以外の人間の相手をするのは、俺には 苦痛以外の何物でもないし、だいいち、面倒くさい」
言葉通りに、氷河は いかにも面倒くさそうな口調で そう言った。
それが 本当に面倒くさそうだったので、この男は 彼の仲間たちが いったい誰のために深夜の会合を催してやっているのか わかっているのだろうかと、星矢は少々むかついてしまったのである。
「それくらい、面倒くさがるなよ! 瞬の機嫌を取るために、おまえ、5時間もケーキ屋の情報収集してたじゃん。せいぜい5、6分、瞬のいるところで、どっかの女の子と仲いい振りするだけでいいんだからさ」
「瞬のためだからだ。でなかったら、誰が あんなイチゴだのクリームだのの甘ったるい画像データを5時間も見続けたりなんかするか。だが、瞬の嫉妬心を煽るのは、瞬のための行為だとは思い難い。ゆえに、俺には そんなことはできん」

氷河にしては 比較的 筋が通り、理もある主張である。
氷河を勤勉な男にするには、『瞬のため』という金科玉条が必要らしい。
これを我儘というべきか、怠惰というべきか、あるいは瞬への誠意というべきなのか。
おそらく氷河の主張は そのすべてが ないまぜになって構成されている。
我儘で怠惰で 誠意ある男でもある氷河を見やり、星矢は長い息を吐いた。

「おまえの瞬への気持ちが恋なのは確実なんだけどなー……」
氷河の“好き”は間違いなく恋だが、はたして瞬の言う“好き”はどうなのか。
そこには、多少は恋の要素も含まれているのか。
本音を言えば、星矢は よくわからなかったのである。
他ならぬ瞬だから――その性格、価値観、考え方を熟知している瞬だからこそ、星矢はわからなかった。

瞬の友情は、恋より強く大きなものなのではないか。
瞬の隣人愛は、恋より深く強いものなのではないのか――。
星矢は、そんな気がしてならなかったのである。
そんな瞬に 恋の感情を求めること自体が、ナンセンスな所業であることのような気がしてならなかったのである、星矢は。
恋が 心だけで完結するものであるなら、氷河も現状に満足できるのかもしれない。
おそらく、恋の ややこしいところは、恋をするために唯一 必要不可欠なものである心を持つ人間たちが 肉体をも有しているという現実なのだ。
つまり、氷河は、瞬の心だけでなく、肉体も欲しい。
氷河の恋は、我儘と怠惰と誠意と助平心でできている。
それが、氷河の恋愛問題を解決困難なものにしていた。

「瞬に嫉妬させるなら、おまえが行動を起こさなくても どうにかなる。怠け者のおまえの代わりに、俺たちが動いてやろう」
と紫龍が言い出したのは、彼が 氷河の我儘や怠惰を致し方ないことと認め受け入れたからではなく、ましてや氷河の助平心のためでもなく、あくまでも 瞬に対する氷河の誠意に免じてのことだったろう。
氷河が瞬に嘘をつきたくないというのなら、仲間(と地上世界の存続)のために嘘をつける人間が嘘をつくしかない。
紫龍は、情より義のために生きる 悲しい男(ということになっている)。
ちなみに、“義”とは、儒教においては、利に対立する概念であり、義人とは、我が身の利害を顧みずに他者のために尽くす人間のことである。
“義に生きる男”とは、嘘をつけない正直者のことではない。
ゆえに 当然、紫龍は嘘をつくことができるのだった。






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