さて。
好ましくない状況を解消する際には、PDCAサイクルにのっとるのが お約束である。
すなわち、PLAN(計画を立て)、DO(実行し)、CHECK(評価し)、ACT(改善する)――の繰り返しである。
瞬への嫉妬誘発計画を立てて その計画を実行した紫龍と星矢は、その結果についての評価を行なうべく、その日 再び 氷河を交えて深夜のミーティングを開催した。
仲間たちから 瞬の“好き”の内容についての報告を受けた氷河が、紫龍同様、“わからない”顔になる。
三人のミーティング出席者のうち、この実験によって何か わかったのは(何か わかったような気になっているのは)星矢一人だけだった。

「俺は、瞬も おまえのこと好きなんだと思うけどなー。俺は肉まんを愛してるし、そのことは 瞬も よく知ってるけど、瞬は肉まんに興味を示す気配も見せない。おんなじ友だちにしちゃ、俺と氷河への対応が違いすぎるじゃん。なんで、コーヒーは気になるのに、肉まんは駄目なんだよ」
というのが、星矢の主張だった。
確かに一理あると、紫龍は 星矢の見解の妥当性を認めないわけにはいかなかったのである。
「ああ。それで言ったら、俺も――俺は 最近、食糧供給問題解決の一環として、花粉交配用蜜蜂について研究しているんだが、瞬が蜜蜂に興味を持った様子は全くない」
「でも、それって変だろ。地上の平和第一、常に 世界中の子供たちの幸せを願ってる瞬が、人類の食糧危機問題に見向きもせず、ポロックだかブロックだか――とにかく、食えないものの方を気に掛けてるなんて。それって、絶対 変なんだよ!」

食欲がプライオリティ・ナンバーワンの星矢の評価には 多少の偏向が感じられないでもないが、それは 極めて妥当である。
星矢が そこまで力強い声で自らの主張を主張するのは、彼が瞬と最も親しい“友だち”だから――という事情もあるようだった。
星矢は瞬と同い年、仲間内でも特に親しい友人として 瞬と接する機会が多く、様々な場面での瞬を誰よりも頻繁に見てきたのだ。

「瞬の奴はさ、俺が晴れた空を見て『いい天気だなー』って言えば、『氷河の瞳の色だね』って答えてくるんだよ。こないだは、クリスマスローズとかいう花を見て、寒さに強くて 雪の中でも咲くところが氷河みたいだとか言ってたし、『クロワッサンにはカフェオレ』とかいう宣伝ポスター見て、『氷河はコーヒーは好きだけど、カフェオレだのカフェラテは飲まない』とかって、訊いてもいないのに言い出すしさ。あいつ、何を見ても、何を聞いても、氷河を連想するらしくて、何かっていうと、氷河、氷河、氷河。何でも かんでも氷河に結びつけるんだよな。瞬のあれが 友だちへの態度だっていうんなら、俺は瞬にとって ただの通行人Aのレベルだぜ。だから 俺は、氷河と瞬は そういう仲なんだと思ってたんだ。それなら、俺だって、瞬の友だちとしての立場を保てるだろ。それなら、俺は 通行人Aなんかじゃなくなる。なのに、何だよ、ほんと!」

これまで彼が出会ってきた様々な場面での出来事を思い出し、星矢は 元凶は氷河の不甲斐なさにあるという気になってきたらしい。
徐々に 口調が刺々しくなっていく星矢を、紫龍は 少々慌てて なだめにかかった。
「落ち着け、星矢。つまり、状況証拠は腐るほどある。瞬は自分の“好き”が恋だと自覚できていないだけ――というのが、おまえの意見なわけだな?」
「死ぬほど悪趣味だとは思うけどな! ったく、瞬の奴、氷河みたいに不甲斐なくて情けない男の どこがいいんだか!」
明確に立腹した様子で、星矢は紫龍に大きく頷き返してきた。
ついでに、行き掛けの駄賃とばかりに 甲斐性なしの氷雪の聖闘士を睨みつける。

“瞬の友だち”としての星矢の立場を守るためにも、ここは どうあっても 瞬に恋の自覚を持ってもらわなければならないところだと、紫龍は思ったのである。
PDCAサイクルのP(計画)とD(実行)に対するC(評価)を、ひとまず そこで終えて、紫龍は、議事を PDCAのA(改善)の段階に進めることにした。
「では、俺たちは、瞬に 自分の“好き”が恋なのだと自覚させるにはどうすればいいのか、その策を練らなければならないというわけか。しかし――」

しかし、既に恋に落ちている人間に、それは“恋”という気持ちだと自覚させる作業は、嫌いな相手を好きにさせることよりも難しい作業なのではないか。
紫龍は、そんな気がしないでもなかったのである。
せめて瞬に 氷河の100分の1でいいから助平心があったなら、それも不可能なことではないだろうが、(氷河に恋しているはずの)瞬は現状に満足し、特に不都合や不足を感じている様子もない。
瞬は、氷河と一緒に入られれば それで満足――という考えでいるようなのだ。
そういうタイプの恋人である瞬には、自分の“好き”が友情なのか恋情なのかということは、どうでもいいことであるに決まっていた。
それが“恋”だとわかったところで、瞬自身は得るものは何もない――瞬自身は何も変わらないのだから。


「“好きな友人”は、どういう きっかけで“恋人”にバージョンアップするものなんだろうな。“恋”と“友情”のボーダーラインはどこにあるものなのか――」
紫龍が、普通の人間なら悩みもしないようなことを――実際、紫龍は、これまで そんなことを考えたこともなかった――今更ながらに しみじみとした口調で呟く。
答えは意外なところから――青銅聖闘士の中では その手のことに最も興味なさそうな星矢から――返ってきた。
「氷河のが恋だっていうのなら、その二つを分けるのは、当然 助平心があるかないかだろ。つまり、行為だよ。やってもいいかどうか」
「また随分と 即物的にきたな」
「でも、そうなんじゃねーの? 好きだけど やってもいいと思わないなら、それは友情で、好きで やってもいいと思うなら、それは恋なんだよ」
「世の中にはプラトニックラブというものもあるぞ」
「それは、何か できない事情があるんだろ。それに、俺が言ってるのは、やるか やらないかじゃなくて、やってもいいと思うかどうかってことだぜ。もちろん、“好き”が大前提」
「なるほど」

星矢の言うボーダーラインは、あながち間違いとは言い切れないかもしれない。
面倒な理屈や 形而上学的な概念を あれこれ持ち出すまでもなく、恋と友情のボーダーラインは そんなところにあるのかもしれない――と、紫龍は思った。
だが、そうだとしたら――そうだとしても、問題は全く解決しないのだ。
「で? 瞬に訊くのか? おまえは氷河とやってもいいと思っているか? ――と」
「う……」
それまで淀みない河のように流れ出ていた星矢の声と言葉が、ふいに その流れを止める。
それは、“猪突猛進、当たって砕けろ”で売っている星矢にも、『おし、俺が瞬に訊いてやるぜ!』と安請け合いできることではないようだった。
敵(?)は、“地上で最も清らか”のお墨付きを神から与えられているアンドロメダ座の聖闘士なのだ。

もちろん、瞬が清らかなのは その魂のことであって、肉体のことではない。
ハーデスのお墨付きを 瞬に告げたら、瞬は まず間違いなく、『僕の手は血で濡れている』と答えてくるだろう。
だが、だからこそ――だからこそ、言えないのだ。
“氷河が好き”という気持ちだけで 何の不足も不都合も感じていないらしい清らかな瞬に、『氷河と やってもいいと思うか?』とは。
それは、へたをすると瞬の中に 氷河への警戒心を植えつけることにもなりかねない、危険な疑問文だった。

「ほんと、面倒くせーな。それが恋かどうなのか、体脂肪率みたいに測定できる方法があればいいのに。測定値が10を超えたから、今日から おまえは氷河に恋してることが判明しました、とかさ」
「10を超えたら、聖闘士失格だろう」
紫龍が そんな場面で そんなことを言い出したのは、先程からずっと 氷河が沈黙していることに、遅ればせながら彼が気付いたからだった。
灰色の重い雲が空全体を覆っているような不吉な空気。
冷たくもなければ 暖かくもない、無温とでも言うしかない、全く氷河らしくない その空気、その小宇宙。
希望を持てずにいる人間は こんなふうになるものかと唸らずにはいられない 存在感のなさ、あるいは重すぎる存在感。
もしかしたら、氷河は自分の恋に見切りをつけたのかと疑わずにいられないほど、墓場のように静かに沈黙を守り続ける氷河は不気味だった。

「だから、体脂肪率のことじゃないってーの」
紫龍が何を気にかけているのかに 少しの間を置いて気付いた星矢が、紫龍の冗談(?)に とりあえずの落ちをつけてから、極小にして極大の存在感を示している氷河の顔を、恐る恐る 窺い見る。
氷河の存在を一種異様なものにしている原因は、絶望か諦観か、それとも このミーティングの発展性のなさに気力を殺がされたせいなのか。
氷河が一人で ふらりとシベリアに行ってしまったのは、その翌日のことだった。






【next】