「聖闘士になるには どうすればいいんだ?」
そう。それが肝心。
それを聞いておかなくちゃ。
「あ……それは、アテナ神殿に――もし近くにアテナ神殿がなかったら 万神殿に行って、聖闘士になりたいって、アテナに祈ればいいの。その願いが アテナの心に適うものなら、アテナは 君に 修行地と師を与えてくれる」
アテナを祀ってる神殿に行って、聖闘士になりたいって祈るだけでいいのか。
それなら俺にも すぐにできるな。
よかった。
何か、俺みたいな子供には手に入れるのが難しい すごい捧げ物が必要なのかと思った。

「死ぬのはやめる。頑張る。マーマのために」
それから、瞬のために。
そう 瞬に宣言した時、俺の目は すっかり乾いていて、涙は もうなかった。
まだ ちょっと心配顔だった瞬が、そんな俺を見て、俺の髪を撫でてくる。
マーマみたいに優しく。
「頑張って、挫けずに生きるんだよ。運命に負けちゃ駄目だ。運命は必ず 変えられる」
春の花みたいに優しい目をした瞬が、永遠に解けない氷の壁みたいに きっぱりした声で そう言うから――だから、俺は瞬に訊いたんだ。
「瞬も変えたのか」
って。
きっと そうなんだと思った。
でなかったら、瞬は、こんなに迷いのない口調で そんなこと言えるはずがない。
瞬は俺に頷いてみせた。

「うん。ある人に出会って――それまで僕は すごい泣き虫だったんだけど」
「こんなに綺麗で可愛いのに、瞬は神と戦うんだ。もっと力の強い大人たちも諦めてるのに。人間は神には敵わないって」
「君の方が綺麗で可愛いよ」
「マーマも そう言ってくれた。私の綺麗で可愛い氷河。愛してるわって」
俺は もう死なない。
うんと強くなって、瞬がそうしたみたいに、神とだって、運命とだって戦う。
そう決めたばっかりだったのに、マーマの声を思い出したら、俺の目には また涙がにじんできた。
なんでだろ。
マーマ――マーマに褒めてもらうために、俺はもう泣かないで、強くなって、神とだって戦うって決めたばっかりなのに。

でも、それは ちょうどよかった。
きっと 俺がまた泣きそうになったから、瞬は俺を抱きしめてくれたんだ。
抱きしめて、俺の髪に頬擦りして、瞬は マーマの代わりに、
「綺麗で可愛い氷河。愛してるよ」
って、俺に言ってくれた。
「ほんとか? 会ったばかりなのに?」
俺が訊いたら、瞬は俺を抱きしめたまま頷いた。
「ほんとだよ」
俺は すごく嬉しくて――すごく すごく嬉しかった。
俺は、マーマがいなくなったら、俺を愛してくれる人は もう誰もいないんだって思ってたんだ。
でも、そうじゃなかった。
それに、瞬はすごく綺麗で優しいし。

「愛してるよ。僕は君を」
綺麗で優しい瞬が、俺を愛してるって言ってくれる。
きっと それは嘘じゃない。
だって、俺も瞬をアイシテルから。
だったら、もう決まりだな。
「じゃあ、俺が大きくなったら、俺と結婚してくれ」
「えっ」
「瞬は、マーマの次に綺麗で可愛い」
俺は これまで、マーマ以外の誰かを綺麗だなんて思ったことはなかった。
マーマ以外の人を そんなふうに思うことがあるはずないって思ってた。
でも そうじゃなかったんだから、俺たちは ずっと一緒にいるべきなんだ。

「あ……あのね、氷河。僕が言ったのは、そういう意味じゃなくて――」
俺はもう一人じゃなくなるんだって、すごく嬉しい気持ちになってたから、俺を抱きしめてた腕を 瞬に解かれて、急に不安になった。
「駄目か? やっぱり、マーマの他に俺を愛してくれる人は誰もいないのか……?」
そんなはずないよな?
瞬は、俺をアイシテルって言った。
それが嘘のはずないよな?
「あ……」

俺は その時、人が人を愛するってことが、本当は どういうことなのか わかっていなかった。
優しく抱きしめてくれることがそうなんだと思ってた。
瞬は そうしてくれた。
だから。瞬は俺を愛してくれてて、俺は ずっと俺を愛してくれる人の側にいたいと思ったんだ。
瞬に突き放されたくなかった。
そんなことしないでくれって、懸命に胸の中で願った。
「あ……あの……」
瞬は 困ったように もじもじして、何度も瞬きをして、それから、
「君が聖闘士になったらね」
って言ってくれた。

そっか。
そうだよな。
結婚ってのは、大人同士がすることだもんな。
俺が瞬より強い大人にならないと、瞬に 釣り合わないんだ。
なら、俺は 急いで大人になるぞ。
弱い大人じゃ駄目だ。
強い大人になって、瞬を俺のものにするんだ。
「約束だぞ」
「うん」
「瞬はマーマとおんなじくらい綺麗だ。マーマより小さくて可愛い」
『マーマの次』ばっかりだとシツレイだし、瞬が俺を嫌いになるんじゃないかと思って、俺はそう言った。
瞬が 顔を真っ赤にして、そわそわして、俺の顔を見たり 瞼を伏せたりを何度も繰り返す。
うわ。ほんとに可愛い。
今はまだ俺より強くて 俺より大人なのに、瞬は ほんとに可愛い。
ここは かっこよく決めなきゃって思って、俺は 俺の可愛い瞬に向かって、もう一度 はっきり きっぱり言ったんだ。
「俺は必ず聖闘士になる。そんで、瞬と一緒に みんなの幸せのために戦うんだ」
って。

俺は多分、うんと かっこよく 言えたんだと思う。
瞬はまた 俺を強く抱きしめてくれたから。
あったかい何かが俺を包んで、俺の中に入ってくる。
瞬が やわらかくて、あったかくて、何か 身体と心が むずむずする。
何か変な感じがして、叫び出したい気分になって――けど、そんなことしたら、瞬に変な奴だって思われそうだから、俺は 瞬にしがみつくことで、その変な感じを懸命に我慢した。



あの時――あの時、俺に必要だったのは、自分が生きる目的、自分が生きている理由だった。
ただ一人の肉親を失い、自分が何のために生きればいいのかが わからなくて、俺は俺の生から逃げようとしていたんだ。
そんな俺に、瞬は 俺が求めていたものをくれた。
俺が生きる目的、俺が生きている理由を。
俺が瞬を愛したのは当然のことだったろう。


気がつくと、そこに瞬はいなくて、俺は元の――マーマと俺の家にいた。
あれは夢だったんだろうか――と、一瞬 思った。
俺は切なくて悲しくて優しい夢を見ていたんだろうか――と、一瞬だけ。
だが 俺の心と身体は、瞬の温もりを憶えていた。
瞬の言葉を憶えていた。

『運命は変えられる』
瞬が俺に与えてくれた、俺が生きる目的、俺が生きている理由。
すべてを夢だと決めつけて 諦めることは、俺にはできなかった。
瞬との出会いが、俺を“諦めることのできないもの”に変えていた。
だから、俺はヒュペルボレイオスの都の外れにある万神殿に向かったんだ。
アテナに俺の願いを叶える方法を 教えてもらうために。






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