瞬が行き先を告げずに お城を出ていった――という報告を侍従長から受けた氷河王子は、その報告の意味するところが すぐには理解できなかったようでした。
怒ればいいのか、泣けばいいのか――それ以前に、これは驚くべきことなのかどうかさえも。
時間をかけて、瞬が この城を出ていったということの意味を理解した氷河が最初にしたことは、
「瞬は 本当は俺を愛してはいなかったのか」
と呻くことでした。
氷河王子に そんな誤解をさせることだけはできません。
侍従長は、すぐに、きっぱりした口調で、氷河王子の疑念を否定しました。
「王子を愛していないなら、そんなことはいたしません。王子を愛していないなら、瞬さんは この城に留まり、王子の寵愛を利用して権力や財を得るために 策を弄していたでしょう。王子が立派な王子になることが 瞬さんの望みで、そのためには自分が王子の側にいない方がいいと、瞬さんは考えたのです」
「俺の望みは、立派な王子になることじゃなく、瞬の立派な恋人になることだ」
「ええ。存じあげています」
それが氷河王子の――否、氷河の望み、それ以外のことを氷河王子は望んでいないのです
それは、侍従長も よくわかっていました。

「だいいち、立派な王子とは どんな王子だ? 自分の幸せを諦めて、自分の心を曲げて、民のために 命も時間も自由も捧げ、恋を諦める王子のことか? 俺が そんなものになることが、俺のためになることだと、瞬は思ったのか? それが俺の幸せだと !? 」
「その通りです」
氷河王子が 眉を吊り上げ、瞳を怒りで燃え上がらせていることが、侍従長には 氷河王子の顔を見なくてもわかりました。
怒り狂った氷河王子が 次にどういう行動に出るのか、それが侍従長は恐かったのです。
いったい どんなことになるのか、侍従長には 想像もできなかったので。
氷河王子のお母様が亡くなった時、氷河王子は ひたすら無気力になり、こんなふうに感情を昂ぶらせたりはしませんでした。
それは おそらく、死んだ者を生き返らせることはできないのだということが わかっていたから、何をどうしても お母様を取り戻すことはできないのだということがわかっていたから。
けれど、瞬は生きているのです。

「それが俺の幸せだと、なぜ瞬は決めつけるんだ。幸せの内容なんて 人それぞれ、人によって違うものだろう!」
「瞬さんは、それが王子の幸せだと思ったのです」
「人の役に立つことが 瞬の幸せだったから、俺の幸せもそうだと、瞬は思ったわけだ」
「そ……その通りです」
氷河王子は、無知でも愚鈍でもありません。
頭の回転が速く、理解力に優れ、判断力、決断力、実行力にも恵まれている人間です。
けれど、そのことが むしろ厄介だったのです。
英邁で怜悧な人間が我儘なことが。
一国の王子としての資質に恵まれた人間が、常軌を逸して我儘だということが。

「だが、あいにくだったな。俺の幸せは、瞬が俺の側にいて、そのために瞬が幸せでいてくれることだ。国や国の民など どうなってもいい!」
怜悧で我儘な氷河王子は、その潔さに感動するほど潔く言い切ってくれました。
そして、そう言い切った舌の根も乾かないうちに、氷河王子は、
「国のためになることをすればいいんだろう。してやろうじゃないか」
と、まるで真逆の宣言をしてくれたのです。

そう言って 薄く笑う氷河王子は いったい何を考えているのか――。
氷河王子の お母様亡きあと、このお城の中で誰よりも氷河王子の気性を知っているだけに、侍従長は 途轍もない不安に囚われてしまったのです。






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