兄の行方が わからなくなって2年。 その間、瞬は、“力”のことを誰にも知られることなく、村の中で生き続けることができていた。 平穏な暮らし、村人たちの親切。 微力ながら 村人たちの役に立つこともでき、彼等に必要とされてもいる。 力のことを 人に知られさえしなければ、自分は いつまでも この平穏な暮らしを続けていられるのかもしれない。 それは 決して不可能なことではないのかもしれない。 瞬は そう思うようになっていた。 そう思うようになっていたのに――。 肉親を失い、家族を持たず、一人で生きている人間など、この世界には いくらでもいるのに。 そういう境遇にいる人間は自分だけではないのに。 どうして自分は、寂しく、悲しく、孤独なままなのか。 どうして自分は一人でいることに慣れてしまえないのか。 瞬は、それが不思議でならなかった。 その日、瞬は、瞬が育てている真珠貝の様子を見るために、一人で浜に下りていったのである。 そして、この辺りでは見たことのない金色の髪の若い男が波打ち際に立っていることに気付いた。 その男の視線が、瞬が 村人たちに秘密で貝を育てている海域の上に据えられている。 彼の視線に誘われるように 沖に視線を巡らせた瞬は、“畑”の周辺の海の色が冷たい色に変わっているのを認め、慌てることになった。 そんなことがあっていいのだろうか。 冬でもないのに、氷が海に浮き、揺れている――。 「や……やめて、やめて! 貝が死んでしまう!」 瞬が その金髪の男の腕に飛びついていったのは、これは彼の仕業だと、瞬の直感が瞬に教えてくれたからだった。 でなければ、海は広いのに――彼の前には海しかないのに――彼が 何の目印もない海の その一点だけを じっと見詰めてることに説明がつかない。 「あれは おまえの真珠畑か」 突然 見知らぬ子供に しがみつかれ 驚いてしかるべき金髪の異邦人が、驚いた様子もなく――全く 驚かなかったわけでもないだろうが――あまり抑揚のない声で、瞬に問うてくる。 短く 素っ気ない その問い掛けは、幾つかの重要な情報を瞬に もたらしてくれた。 まず、彼が“普通の人間”ではないこと。 瞬が守っている貝は、さほど沖ではないが 相応の水深がある場所に置かれていて、しかも それは瞬が作った温水の風に守られている。 尋常の人間には 近付くことはできないし、見ることもできない。 だが、彼は そこに貝の畑があることを知っている。 もちろん海水温を下げたのは彼で、その力は普通の人間が持ち得るものではない。 そして、彼の声は冷たい。 温かい感情、人間らしい感情が ほとんど込められていない。 かといって、怒りや悲しみの感情が感じられるわけでもなく――とにかく、彼の声は ひたすら冷ややかなのだ。 おそらく、彼は“味方”ではない。 これまで 瞬は、そんなことを考えたことがなかった。 考えることさえ思いつかずにいた。 だが、それは考えるまでもないことだったのだ。 普通の人間が、“力”を持つ人間を倒すことは容易ではない。 力を持つ人間を葬ることができるのは、力を持つ人間だけ。 力を持つ人間の敵は、力を持つ人間以外ではあり得ないのだ。 つまり、この金髪の青年が そうなのだ。 彼こそが排斥者なのだと――暗殺者と言うべきか――瞬は思った。 そして、その暗殺者に、自分は 自分が普通の人間でないことを知らせてしまった。 はっきり明言したわけでも、力を示したわけでもないが、十中八九 知られた。 では、もはや 自分の運命は決したも同然。 瞬は、暗殺者の腕に絡みつかせた 自身の手を解くことも、その場から逃げることも思いつけず、逆に、自身の身体を支えるために“敵”の腕に 絡みつかせていた腕に力を込めたのである。 あまりに切実な死の予感が、瞬の心を乱し、瞬の身体に重心を見失わせ、瞬は、彼の支えなしに一人で――自分の足だけで その場に立っていられる自信が持てなかったのだ。 そんな瞬の上に、思いがけない声と言葉が降ってくる。 「貝の周囲の水までは冷えていないから、大丈夫だ」 「え……」 「妙に水温が高いから、海底に熱水噴出孔でもあるのかと思ったんだ。温度によっては危険だから、どれほどの温度の湯が沸き出ているのか 様子を見ようと 氷を投じてから、奇妙な水流に貝が守られていることに気付いた。氷は水流に阻まれて海底には届いていない」 「……」 それを、“よかったこと”のように、彼は瞬に知らせてくる。 彼の意図、彼の目的が、瞬には わからなかった。 彼は 彼の目の前にいる子供の力に気付いていないのだろうか――? 「おまえが、あの辺りの水温を上げて、あの貝を育てていたのか」 そうではない。 もちろん、彼は 瞬の力に気付いている。 瞬は、敵に しがみついたまま、びくりと身体を震わせた。 「こんな力を持つ人間が、俺の他にもいたとは」 彼に、何と言えばいいのか。 「まあ、俺は おまえとは真逆で、ものを凍らせることしかできないんだが」 彼に どんな目を向ければいいのか。 すぐには その答えを見付け出すことができず、瞬は 敵の腕で自分の顔を隠した。 そして、震える声で――瞬の声を震わせているのは、人間らしい感情のはずなのに、なぜか無機質に聞こえる声で――彼に尋ねた。 「あなたは、僕を捕まえて 殺しに来た人?」 問われた金髪の男が、ふいに黙り込む。 『そうだ』と答えれば、獲物に逃げられるかもしれない状況での沈黙の意味は決まっている。 やはり そうなのだと、瞬は覚悟を決めた。 その途端、なぜか瞬は 憑き物が落ちたかのように 気持ちが楽になってしまったのである。 もう 暗殺者の腕に すがらなくても、一人で立つことができる。 瞬は、敵の腕に絡めていた手を解き、自分の足だけで砂浜に立った。 そして、金髪の異邦人の顔を見上げる。 彼は、驚くほど端正な面立ちの持ち主だった。 こんなに綺麗な人に殺してもらえるなら、それはとても幸せなことだろう。 海の青と空の青が混じったような色の瞳。 この瞳に見詰められながら死ぬ機会を持てるなら、自分は素晴らしく美しく死ぬことができるに違いない。 瞬は、喜びに似た思いに支配されていた。 これで兄の許に行くことができる。 力を隠し、この異端の力を いつ 人に知れてしまうかと怯え、毎日を緊張して生きる必要がなくなるのだ。 安堵にも似た思いが、自分の中に広がっていくのを、瞬は感じていた。 だが。 「やはり、この辺りでも、こういう力を持つ者は異端なのか」 彼の唇が生みだしたのは、落胆の声と言葉。 その落胆が失望に、その失望が諦観に変わっていくのが、彼の周囲の空気から感じとれる。 そうして瞬は、彼が敵ではないこと、彼が暗殺者ではないこと、彼が排斥者ではないことを知ったのである。 彼が 自分と同類、自分の仲間なのだということを。 |