竹から生まれた かぐや姫。 その美しさは輝くばかり。 姫が やってきてから後は、姫の住まう竹取の翁の屋敷には 暗い場所がなくなり、その隅々までが光で満ちあふれるようになった――。 都は その姫の噂で もちきりだという。 この世の者とも思われぬほど美しいという かぐや姫の美しさはどれほどのものか、その秘密めいた出自、美しい かぐや姫を手に入れる幸運な男はどこの誰なのか。 宮中の奥から下々に至るまで 誰も彼もが、寄ると触ると その話ばかりで、都には他に語るべきことが何もなくなってしまったような ありさまなのだそうだった。 「だからさ。ここも 一応 都の内だからさ。わざわざ 俺が その噂を運んできてやったわけだよ」 と、星矢は お為顔で 氷河に告げた。 そんな噂を 自分の宮に運び込まれた氷河は 迷惑顔の極みだったが。 星矢、紫龍、一輝、瞬の4人が、何かあるたび――何もなくても――氷河の屋敷に集まるのは、その屋敷が 都の内とは名ばかりの 人家もまばらな都の外れにあるからだった。 多少 羽目を外して騒いでも 近隣の屋敷に迷惑をかけることがなく、近隣の住人から苦情が寄せられることもない。 屋敷の主が行儀が悪い上、年長者がいないので、昼間から くだけた恰好で くつろいでいても、誰からも『高い身分の公達に ふさわしくない』などと叱りつけられることもない。 氷河の屋敷は、若い公達が集まって自由に時を過ごすのには うってつけの場所だったのだ。 この屋敷の主である氷河は、いわゆる親王宣下を受けた(だけの)先帝の六番目の皇子。 強力な後ろ盾もいないので 帝位には遠く、極めて気楽な立場にいる親王だった。 彼の屋敷は、元々は彼の母親が先の帝から賜ったもので、母の身分が更衣という低いものだったせいもあり、(氷河たちには幸いなことに)御所から離れた場所に建っている。 もう十数年も前、氷河の母が病を得て亡くなった時、氷河の幼馴染みである星矢たちは、一人きりになった氷河の心を慰めるために 折りに触れ この屋敷に通っていたのだが、そのうちに 彼等は あれこれ口うるさく干渉する大人のいない この屋敷の居心地のよさが すっかり気に入り、いつのまにか ここに入り浸るようになってしまったのだ。 氷河の幼馴染みの4人は4人共が藤原摂関家の傍流の子弟で、現在は、一輝が従四位、紫龍が正五位、星矢と一輝の弟である瞬が従五位と、昇殿は許されているが公卿ではないという、これまた気楽な身の上。 それぞれの家は国政の中枢に入り込めるほどの家格ではないが、かといって困窮しているわけでもなく、荘園の管理さえ きちんとしていれば、食いはぐれる心配もない。 そういう点で、彼等は、決して帝位に就くことはない親王である氷河と 似たり寄ったりの立場。 そんな立場にある若い公達は、大抵は恋に血道をあげて 人生の無聊を紛らせ時を過ごすものなのだが、彼等は、気の置けない仲間同士で つるんでいる方が楽しいと、氷河の屋敷に入り浸っていた。 決して 恋に興味がないわけではなく、恋を忌避しているわけでもない。 恋の歌を詠んだり、あれこれ贈り物を考えて、貴重な時間と気力を費やそうと思えるほどの姫がいないだけ――というのが 彼等の本音だったかもしれない。 ところで、ある事情があって、氷河は 女の話題を好まない男だった。 それゆえ、星矢が“わざわざ運んできてやった”かぐや姫の噂に、氷河は露骨に不機嫌な態度を示したのである。 南庭に面した母屋正面の部屋の東側には、水を張った錫の器が置かれていて、四季折々の花が飾られている。 そのすぐ横が瞬の定位置で、いつもの場所にいる瞬の上に、氷河は ちらりと視線を投げた。 噂の姫君に興味があるのか ないのか、瞬は、いつもの通りに 花の横で 仲間の話を微笑んで聞いている。 皆が脇息に寄りかかり、好き勝手な恰好で くつろいでいるのに、瞬だけは きちんと端座しているのも いつもの通り。 この屋敷では滅多に出ない女人の噂話を いつもと変わらぬ様子で聞いている瞬に、安堵していいのかどうか――を、氷河は しばし迷ってしまったのである。 迷って、『くだらん噂話はやめろ』と星矢を制止する機会を逸したのが、氷河の失敗だった。 氷河が迷っているうちに、星矢は、彼が仕入れてきた噂話の続きを 得意げに語り始めてしまったのだ。 「何でも、最近は 竹取の翁ってのが通り名になっちまった讃岐造っていう貧乏公家の爺さんが、竹林で 女の子を拾ってきたのが始まりでさ。竹の節にいるような小さな幼子だったのが、あっというまに成人して、とんでもない美形のお姫様になっちまったんだと。輝くように美しいってんで、つけた名前が かぐや姫。ご大層な名前をつけたもんだが、宣伝効果抜群の名前ではあるよな。美貌の噂が広まって、かぐや姫を一目見たいっていう男共が 竹取の翁の屋敷の周りに群がっているらしい。贈り物を満載した求婚者たちの牛車が、竹取爺さんの屋敷の前で門前市を成してるそうだ」 言いながら、星矢が、高杯に盛られていた唐菓子を摘み、口の中に放り込む。 星矢は、基本的に、色気より食い気の男。 その星矢が なぜ、そんな噂話を わざわざ ここまで運んできたのか、それを 氷河は解しかねていた。 噂話で、腹が膨れることはないというのに。 「のんきに そんなことをしていられる暇人が大勢いるということは、世の中が平和だということだな。実に喜ばしいことだ。そんな奴等の気が知れんが」 吐き出すように そう言って、氷河は、引き上げられた御簾の向こうに広がる灰色の空を 憎々しげに睨みつけたのである。 今日は本当は、皆で月輪寺に石楠花の花を見に行く予定だったのだ。 だが、いざ出掛けようという段になって 雲行きが怪しくなってきたため、大事をとって 花見の計画は中止。 白や桃色の石楠花の花の中に立つ瞬の姿を堪能できると浮かれていた氷河は、その楽しみを奪われてしまったせいで、さきほどからずっと機嫌が悪かった。 そこに、どこの誰とも知れぬ女の話。 氷河の機嫌は ますます悪くなり、彼は、その機嫌の悪さを隠そうともしなかった。 「何が、とんでもない美形だ。誰も その姫の顔を見たことはないんだろう」 「そりゃあ、貧乏公家の拾い子と言ったって、曲がりなりにも貴族の姫だ。部屋の奥に隠れてるさ。御簾越しの対面が叶った者すらいないって話だ」 「そら見ろ」 我が意を得たりといった体で、氷河が顎をしゃくる。 かぐや姫が世にも稀なる美貌の持ち主だというのは、もちろん ただの噂。 その真偽は、誰も知らない。 家族以外の男子の前に平気で顔を出すような下賤の娘なら、男たちは とうの昔に直接 姫に言い寄っているだろう。 誰もかぐや姫の姿を見たことはないのだから、竹取の翁は、好き勝手に、かぐや姫は美しいと喧伝することができる。 そして、その噂に踊らされている男が多数。 氷河は、そんな馬鹿者共の話など 聞くのも不愉快だった。 「この屋敷を賭けてもいいぞ。その姫は、瞬の百分の一も美しくない」 美しいと噂されているだけの姫を語るより、実際に美しいことが わかっている人について語る方が、百倍も有益で建設的。 そう考えている口振りで、氷河が きっぱりと断言する。 その言葉に、瞬は困ったような顔になり、瞬の兄である一輝は眉を吊り上げた。 もとい、一輝が眉を吊り上げたから、瞬は困った顔になったのだ。 『亡くなった母以外に、俺が美しいと思える人間は瞬一人だけ。宮中にも市井にも、瞬以上に美しい女は一人もいない』 いつでも どこでも 誰に対しても 堂々と そう公言する氷河を、一輝は快く思っていなかった。 一輝が氷河の屋敷にやってくる理由は、以前は“誰に気兼ねすることなく、気ままに時を過ごせるから”だったが、今では すっかり“氷河から 弟の身を守るため”になっていた。 瞬を巡っての氷河と一輝の角突き合いは いつものことなので、星矢は そんなことには動じる様子も見せなかったが。 「そりゃ そうだろうけどさー。けど、興味が湧かないか。そんな噂が立つ お姫様」 「湧かん」 「んでも、その姫がいると、屋敷の中が隅から隅まで明るく光り輝くほどだっていうんだぜ。そこまでの評判を立てられた姫なんて、これまで一人もいなかった。実際、以前は薄暗かった 貧乏公家の屋敷が、今では 夜も煌々と明るく輝いてるっていうしさ」 「灯りをたくさんつけたんだろう。求婚者たちが贈り物持参で娘への目通りを願ってくるおかげで、脂を買う金に不自由しなくなったんだ」 「おまえ、心底 詰まらん男だな」 身も蓋もなければ、夢も趣もない 氷河の推察に、紫龍が呆れた顔になる。 花見の予定が消えて、手持無沙汰な今日のこの日、今 この時。 話のための話に花を咲かせるくらいのことをしても 罰は当たらないのに。 紫龍は、そう言いたげな目を、氷河に向けていた。 「だが、事実は そんなところだろう。天照大御神でもあるまいに、その姫が本当に光り輝いていたら、夜も昼間のように明るくて、家人は言うに及ばず 噂の姫当人も落ち着いて眠れまい」 珍しく 一輝が氷河の意見に賛同したのは、結局のところは 一輝も、真偽の定かでない噂ばかりの姫より 自分の弟の方が美しいと信じているからだったろう。 そんな仲間たちに、星矢は すっかり おかんむりである。 「ほんと、おまえらって夢のない奴等だな。家中を明るく照らす お姫様だぞ。天女とか、如来様の化身とか、妖怪とか、魑魅魍魎とか、そういうものなんじゃないかって、もっと楽しいことを考えろよ!」 どうやら 星矢は、実は、かぐや姫が神仙や妖怪の類だったら面白いと考えていたらしい。 星矢の そのぼやきで、ともかく 氷河は、色気より食い気の星矢が そんな噂話を ここまで運んできた訳だけは理解したのである。 星矢は 確かに、夢のある男だった。 だからといって 星矢が、夢のない仲間たちを見捨てて(?)、 「瞬はどう思う?」 と 瞬に 話を振ったことは、氷河には やはり不快事以外の何物でもなかったが。 星矢に問われた瞬が、 「どんなに綺麗な姫君でも、氷河ほどじゃないと思うよ」 という、喜んでいいのかどうかの判断に迷う答えを 星矢に返す。 星矢には それは全く喜べない答えだったらしく、彼は派手に口をとがらせた。 「綺麗なお姫様と氷河なんかを比べるなよ。その二つって、美しさの方向性が まるで違うだろ。そんなの、菊の花と葦毛の馬のどっちが綺麗かって言ってるようなもんだ。菊の花と 美しさを比較するなら、その比較対象は百合の花であるべきなんだよ。つまり、おまえと。お姫様の方だって、おまえと比べられるのは光栄だと思うだろうけど、氷河と比べられたら、腹を立てるに決まってるぜ」 「僕なんかに比べたら、それこそ 姫君に失礼だよ。屋敷の内が光り輝いているというのは 誇張にしても、僕よりは綺麗な姫君に決まっているよ」 「馬鹿な。おまえより綺麗な女がいたら、それは化け物だ」 「え……」 謙譲の美徳に恵まれている瞬が、ただちに その徳を発揮しなかったのは、氷河の発した その言葉が讃辞なのか誹謗なのかを にわかに判断しきれなかったからだったろう。 どういう反応を示せばいいのかが わからずに、ぽかんとしているばかりの瞬。 言った当人の氷河は、褒めたつもりも 貶したつもりもなく、ただ事実を告げただけだという顔。 「どういう褒め方だよ、それ」 星矢が そう応じたのは、あくまでも 氷河が瞬を貶めるようなことを言うはずがないという考えによるもので、決して 氷河の言葉を讃辞と認めたからではなかったろう。 ともあれ、今 星矢たちに確信をもって言えることは、『氷河の褒め方は、どう考えても間違っている』という一事のみだった。 かぐや姫が どれほど美しいのか、本当に美しいのかということは、第三者には確かめようのないことなのだ。 その権勢のいかんにかかわらず、貴族の娘という立場にある女人は、肉親と夫以外の者には顔を見せることはないのだから、この手の噂を真に受けてはならないのだということを、星矢たちは よく知っていた。 贈り物を贈り、幾度も歌のやり取りをして、目当ての姫と ついに対面。 出てきた姫は、饅頭に目鼻がついているような姫君だった――という話は、どこにでも腐るほど転がっている。 しかし、ついに対面が叶った姫が、評判以上に美しい女人だったという話は、ついぞ聞いたことがない。 貴族の姫が男たちに顔を見せないのは、結局のところ、姫の肉親が よりよい条件の男を釣るための餌、男に夢を与えるための巧妙な策――むしろ、罠なのだ。 その罠にかかってから後悔しても後の祭り。 自分の人生に悔いを残したくなければ、そんな餌には食いつかないのが吉。 そう思うから、星矢たちは、恋に血道をあげる普通の(?)公達たちに背を向けて、今 ここにいるのである。 「まあ、確かめようのない姫君の容姿の話はやめて、次の遠出の計画でも練ろう」 と、建設的な提案をしてきたのは紫龍だった。 氷河が、 「竹から生まれた かぐや姫に ちなんで、塚原にタケノコ掘りに行こうぜ!」 という星矢の案を却下し、 「才の神の藤の花は まだ咲いてるかな」 という瞬の希望を採用したのは、彼としては当然の選択だったろう。 氷河の決定に不満そうだった星矢も、才の神の藤の花を見たあとに由良川で鮎釣りをしようと 瞬に言われ、その案に乗ることにしたのだった。 |