絶対に人の心を傷付けない嘘をつく。 そして、氷河がマーマの姿を見ることができたなら、その後、嘘をついた人に心から謝る。 それで許してもらえなかったとしても、それは自分のことだけで、氷河の心が少しでも明るいものになってくれたなら、そのこと自体は 自分に嘘をつかれた人も喜んでくれるだろう――。 瞬に、きつねの窓を手に入れるために嘘をつく決意をさせたのは、『マーマに会いたい』と呟いた時の氷河の寂しげな様子だった。 氷河の あんなにも寂しげな姿は、誰だって見たくはないはず。 そう信じる心が、瞬に その決意を促したのである。 だが、それとは別に 問題が一つ。 瞬は、嘘のつき方というものが よくわからなかったのだ。 『事実ではないことを言えばいいだけ』と 銀色の神は言っていたが、その嘘で人を騙さなければならないとなると、それは非常に難しいことである。 まさか『嘘をついて 人に媚びるくらいなら、正直に本当のことを言って殴られた方が ずっとまし』と常々 口にしている兄に 嘘のつき方を教えてもらいにいくわけにもいかないし、兄は おそらく、自分以上に 嘘のつき方を知らないだろう――。 悩み抜いた末に、瞬は、星矢と紫龍の許に相談にいったのだった。 星矢や紫龍も 嘘つきは嫌いだろうが、事情を話せば 何か いい方策を思いついてくれるかもしれない。 何といっても、氷河は、彼等にとっても大事な仲間なのだから。 瞬は、そう考えたのである。 「でね、嘘をついて、人を騙さなきゃならないの。星矢、紫龍、僕に 嘘のつき方を教えて。どうすればいいか、わかる?」 そんなことを、もし兄に行ったなら、兄は怒髪天を衝いて怒るに違いないが、星矢と紫龍なら激怒することまではしないだろう――という、瞬の推測は的中した。 激怒するどころか、星矢などは きつねの窓の話を面白がって、積極的に協力する姿勢を瞬に示してくれたのである。 その協力が有効なものかどうかという問題は、さておいて。 「おまえ、なに そんなに難しく考えてんだよ。嘘つくなんて、簡単だぜ。『辰巳の髪の毛、ふさふさ〜』とか言ってれば いいじゃん」 「誰が、そんな嘘に騙されるというんだ」 紫龍が、星矢の提案に呆れた様子で ぼやく。 そうしてから 紫龍は、 「それでは瞬も騙せない」 と、褒めているのか 貶しているのか わからないことを、褒めているのか 貶しているのか わからない口調で言った。 その後、少しばかり 真顔になる。 「人類がつくことができる最大の嘘は、『嘘をつけない』『嘘をついたことがない』だというが……」 紫龍は どうやら 瞬の兄のように激怒はしないが、“嘘をつく”という行為を是認することができず、それゆえ 星矢ほどには この事態を愉快に思ってはいないように見えた。 だが、瞬は どうしても嘘をついて誰かを騙さなければならなかったのだ。 「でも、嘘をつかなきゃ、氷河をマーマに会わせてあげられない……」 瞳に涙を にじませ始めた瞬を見て、星矢が 慌てて紫龍の言を遮る。 「泣くなよ! えーと、ほら、嘘っていうと、あれだ。嫌いな奴を 好きな振りすんの。オトナってのは、そういう嘘をついて、シャカイセイカツをエンカツにするんだろ」 「嫌いな人を好きな振り? でも、僕、嫌いな人なんていないよ」 「えーっ、おまえ、辰巳とかも好きなのかよ! 嘘だろー !? 」 瞬の発言に 心底から驚いたらしく、星矢が巣頓狂な雄叫びを辺りに響かせる。 瞬は慌てて、周囲をきょろきょろ見まわした。 城戸邸の裏庭は、エニシダの花が満開。 幸い、周辺に人影はなかった。 それを確かめてから――何といっても それは、兄や氷河には聞かれたくない相談事だったのだ――瞬は 星矢の雄叫びへの答えを考え始めたのである。 改めて考えてみても、それは嘘ではなかった。 「嫌いなんじゃなく、恐いの」 「普通、恐い奴は嫌いだろ」 「そんなことないよ。恐いと嫌いは、違うことだよ。僕、怒られてる時は兄さんが恐いけど、兄さんが大好きだもの」 「ああ、そういう理屈かぁ。おまえが一輝を嫌いなわけないもんな」 星矢は大いに納得したようだったが、それでは話が進まない。 では いったいどうすればいいのかと、瞬は顔を曇らせることになった。 そこに、星矢が、今度は逆転の発想を持ち出してくる。 「ならさ、好きな奴に嫌いだって言えばいいじゃん。そうだなー。インパクトでいうと、沙織オジョーサマあたりがいいんじゃないか? 沙織オジョーサマに『嫌い』って言ってみるとかさ。あっちは、俺たちに好かれても迷惑だって思ってるだろうから、嫌いだって言われても、傷付いたりしないだろ。かえって喜ぶかもしれない。それなら、おまえも嘘をつきやすいんじゃないか?」 「え……」 星矢は、何という恐ろしいことを思いつくのだろう。 星矢の提案に、瞬は震えあがった。 「ぼ……僕……僕……」 あまりに恐くて『恐い』という言葉も出てこない。 本音を言えば、瞬は、辰巳より沙織オジョーサマの方が恐かったのだ。 全身を小刻みに震わせ始めた瞬を見て、紫龍が 気の毒そうに、だが 心を安んじたように、頷く。 「嘘をついて人を騙すなんてことは、やはり おまえには無理なんだ。無理はやめておけ」 「……」 瞬に嘘をつくことを思いとどまらせようとする紫龍の言葉は、しかし、瞬に逆の効果をもたらした。 『マーマに会いたい』 そう呟いて 寂しげに瞼を伏せた氷河の横顔。 沙織オジョーサマが どれほど恐くても、それが どれほど つらい試練でも、氷河を寂しくなくするために、自分は嘘をついて人を騙さなければならない。 無理だから諦めろと言われても、諦めるわけにはいかない。 むしろ 無理だからこそ――その無理を成し遂げてこそ、願い事は叶うものなのだと、瞬は逆に自分を奮い立たせたのである。 すべては氷河のため――氷河に 明るい笑顔を浮かべてもらうためなのだ。 そのためになら 自分は何でもできる――何でもする――と、瞬は決意したのである。 決意したまでは よかったのだが。 |