誰に禁じられても――王に禁じられても、恋する人の肉親に禁じられても、神に禁じられても――止められないのが恋というもの。 もちろん、瞬を思う氷河の心は、一輝国王の牽制ごときでは、委縮することも消えることもありませんでした。 逆に、一輝国王の その言葉は、瞬王子を手に入れるためには、黒い髪と瞳でない者の価値を認めようとしない この国の価値観を変えるしかない――という決意を、氷河に促すことになったのです。 そのために、一輝国王をしのぐ力を手に入れるのだ――という決意を。 神が 氷河を この国に運んだのは、氷河の思い上がりを戒めるためだったのかもしれませんが、同時に、この国の黒髪黒い瞳至上主義をなくしたいと考えてのことだったのかもしれません。 そうとでも考えなければ、氷河が瞬王子に出会った日以降、オオヤシマの国に起きた様々なことが、あまりにも――不自然なほど――氷河を利することばかりだったのです。 氷河がオオヤシマの国軍に籍を置くようになって まもなく、以前から一輝国王が懸念していたペルシャの大船団が、オオヤシマの国に攻撃を仕掛けてきました。 その攻撃を、戦慣れしていないオオヤシマの国の船団を率いて 3度に渡って撃退したのは、氷河の立てた作戦、氷河の的確な指揮、氷河に鼓舞された海兵たち。 敵の船を幾艘も沈め、将軍級の人質も多数確保。 氷河は、一躍 オオヤシマの救国の英雄として 称えられるようになったのです。 氷河の 奇跡的大勝利と戦果によって、オオヤシマの国の価値観は逆転を果たしました。 ある人間が、他の多数の人間と異なっているということは、時に偏見や侮蔑の理由になりますが、同時に憧憬の対象にもなり得るもの。 あまりにも大衆と異なる人間は、『彼は 凡百の人間とは違うのだ』という意識を、大衆の胸中に生むのですね。 とはいっても。 オオヤシマの国の価値観が逆転したという表現は、正しいものとは言えないかもしれません。 ほとんどのオオヤシマの国の民は、相変わらず黒い髪と黒い瞳こそが美しいと信じていましたから。 彼等は、自分たちの立ち位置を変えたわけではなく――自分たちを金髪碧眼の氷河の下位に置くようにしたわけではなく――氷河を置く場所を変えただけだったのです。 それまでは、自分たちとは違うから 自分たちより劣るものと見なして下位に置いていたものを、自分たちとは違うから上位に置くようになっただけ。 強大な力を持つ冥府の王ハーデスを、その強大な力ゆえに嫌悪し忌避するか、その力ゆえに崇め奉るか。 オオヤシマの国で起こった価値観の逆転現象は そういうものにすぎなかったのです。 変わったのは、氷河という一人の人間への評価だけ。 髪や瞳の色による不平等、不公平、偏見が是正されたわけではなかったのです。 それは、ある意味では非常に正しいことだったのかもしれません。 『氷河が英雄だから、金色の髪の人間は すべて優れている』と考えることは おかしなことですから。 ともあれ、そういう経緯で、氷河は 他の人間とは次元が違う存在、オオヤシマの すべての人間に優越する存在と見なされるようになったのです。 そして。 氷河がペルシャの海軍を撃退し、救国の英雄として祭り上げられるようになった その直後、平穏を取り戻したオオヤシマの国に、またしても災難が降りかかってきました。 オオヤシマの国王に、その親族を生贄として差し出せという神託が下ったのです。 その神託が、もし 氷河がオオヤシマの救国の英雄と祭り上げられる以前に下されたものだったなら、オオヤシマの国民は、それを海を騒がせたことへの海皇ポセイドンの怒りの現われと解していたかもしれません。 ですが、その時には、氷河の価値はオオヤシマの国民すべての上位に位置するものと考えられるようになっていましたので、彼等は そうは考えなかったのです。 オオヤシマの国民は、それを、氷河を この国の王位に就けろという神託なのだと解しました。 王の親族を生贄として差し出したくなかったら、親族のない者を王にすればいい。 つまり、氷河を王にすれば、その神託は無効になる。 それこそが神の真意だと、オオヤシマの国の民は解したのです。 瞬の命を犠牲にすることなどできるわけもなく―― 一輝国王は速やかに王位を退き、国民の総意を受ける形で、次の王位に就いたのは氷河でした。 オオヤシマの国で最も低い場所にいた者が、オオヤシマの国の王に。 それら一連のことは、氷河がシビルの国を追われてオオヤシマの国にやってきてから、僅か1年のうちに為されたのです。 すべてが あまりに めまぐるしくて、氷河自身、自分が置かれている状況を冷静に、客観的に把握しきれていなかったかもしれません。 ともあれ、瞬を自分のものにするために、オオヤシマの国の価値観を変え、一輝に勝る力を手に入れるという氷河の目的は果たされたのです。 次に 氷河が為すべきことは決まっていました。 すなわち、今は氷河のものとなった王宮に瞬を呼び、ずっと自分の側にいてほしいと頼むこと。 そして、もちろん、氷河は 自分のすべきことを ただちに実行に移しました。 この国の黒髪黒い瞳至上主義のせいで、ずっと肩身の狭い思いをしてきた瞬は、金色の髪と青い瞳を持つ新王の望みを 喜んで叶えてくれるに違いない。 そう信じて。 ――なのに。 なのに、瞬王子――王子でなくなった瞬は、氷河の望みを叶えてくれなかったのです。 「新しい王が即位して、氷河がシビルの国を去ったように――王が変わった国に、以前の王と その親族がいるのは、あまり好ましいことではないと思うの。僕は、兄さんと、この国を出ます」 そう言って。 微笑んで そう言う瞬の前で、氷河の頬は蒼白になってしまいました。 それでは、何のために 異邦人である自分が この国の王になったのか、わからないではありませんか。 黒い髪と黒い瞳を持たない最下層の人間だからという理由で、瞬に会うことを 瞬の兄に禁じられて、氷河は この国の価値観を変える決意をしたのです。 瞬を自分のものにするという目的を果たすために必要だと思ったから、一輝以上の力を欲し、一輝から王位を奪う形で、この国の王にもなったのです。 そうして、ついに、この国の誰をも 自分の意に従えることのできる力を手に入れたというのに、瞬が その力の及ばないところに去ってしまうなんて、そんなことがあっていいものでしょうか。 それは、黒髪黒い瞳至上主義より理不尽。 決して あってはならないことです。 『瞬を手に入れるために、この国の価値観を変える。一輝をもしのぐ力を手に入れる』と決意してから、話ができすぎているのではないかと思えるほど、何もかもが とんとん拍子。 氷河は、今になって、それらはすべて、シビルの国の元王子の思い上がりを罰するための神の画策だったのではないかと疑うことになったのです。 そうとでも考えなければ、今 自分が瞬を手に入れられないことに説明がつきません。 すべては 神の惨酷な企てだったのだとでも思わないことには。 そして、そう思った途端、氷河の頭に血がのぼり、氷河の心は神の惨酷な企てに屈してなるかという考えで いっぱいになってしまったのです。 「そんなことは許さん」 氷河は、自分でも驚くほど冷たい声で、瞬に そう言ってしまっていました。 「え……?」 瞬が 氷河の言葉に驚いたように――いいえ、瞬が驚いたのは、氷河の その言葉ではなく、その言葉を作った氷河の声の冷たさだったのかもしれません。 瞬は 氷河のために この国を出ることを決めたのですから、引きとめられるにしても、それは命令ではなく要請という形で為されるものと、瞬は思っていたのかもしれませんでした。 「氷河……あの……僕が兄さんと この国を出るのは、氷河のためで――」 「だから、そんなことは許さんと言っているんだ」 「ど……どうして……?」 「どうして? おまえの兄が、俺に王位を奪われたことを恨みに思って、反逆を企てるかもしれないじゃないか。今 ここで おまえとおまえの兄を 俺の力の及ばないところに追うのは、翼を持った虎を野に放つようなものだ」 「そんな……。兄さんは そんなこと、考えてません。兄さんは、氷河が この国の王になれば、髪や瞳の色で人を差別するような悪習もなくなるだろうって……」 「口では何とでも言える。一輝に悪足掻きをさせないための、おまえは大事な人質だ」 「氷河……!」 氷河は、自分は何を言っているのだろうと、自分で自分を疑っていたのです。 一輝が王位奪還を企んでいるなんて、たった今まで 氷河は考えてもいませんでした。 そもそも、王位に執着があるのなら、一輝は こんなにもあっさりと王位を退いたりはしなかったでしょうから。 氷河は ただ、瞬を失うことが恐くて――瞬を失わずに済むのなら、どんな口実を作ってでも、瞬を この国に――自分の許に――引きとめておきたかったのです。 ですから、氷河は、瞬から自由を奪うしかなかったのでした。 王宮の、もともと瞬の部屋だったところに瞬を閉じ込めて、王弟だった時と同じ生活を許す代わりに、外に出ることだけは許さない。 そんな日々を、氷河は瞬に強いることになったのです。 瞬の側にいるために 力を欲しはしましたが、氷河は 決して この国の王になりたかったわけではありません。 やりたくもない王としての仕事を あれこれこなし、夜になってから やっと瞬の許に行くと、瞬が氷河に求めるのは、 「僕を兄さんのところに帰して。兄さんに会わせて」 と、そればかり。 瞬のために力を手に入れ、瞬のために この国の価値観を変えようとし、実際に その目的を成し遂げたのに、瞬の心は手に入らない。 氷河の苛立ちは、日を追うごとに募る一方でした。 |