「僕を兄さんのところに帰して。兄さんに会わせて」 瞬は いつまで経っても 現状を受け入れようとせず、毎晩 涙ながらに同じことを繰り返すばかり。 こんなはずではなかったのに、いったい 自分はどこで何を間違ったのか。 氷河には、どうしても その訳がわかりませんでした。 「おまえの兄はもう、王じゃない。今は、俺が この国の王だ。少しは 俺の機嫌をとったらどうだ」 こんなことは言いたくないのに、兄を慕う瞬の涙が、氷河を攻撃的で悪意でいっぱいの男にしてしまうのです。 自分は何を言っているのか。こんなことは言いたくない。 そんな自分に苛立って、氷河の瞬への言葉や態度は ますます刺々しいものになり、それが更に氷河を苛立たせる。 氷河は、そんな自分を、どうしても 止めることができませんでした。 止められなくて――。 「俺が いつまでも大人しく、おまえの心が俺に向くのを待っていると思うなよ。俺は、おまえを力づくで、俺のものにすることもできる」 瞬の腕を掴みあげ、ある日、氷河は 絶対に言ってはいけない言葉を、瞬に向かって言ってしまったのです。 瞬は 氷河の気持ちに――それが友情や同志愛とは違うものだということに――気付いていたのでしょうか。 それとも 気付いていなかったのでしょうか。 その実否は氷河には判断できませんでしたが、今は もうわかっているはず――少なくとも、それが穏やかな友情でないことには、瞬はもう気付いているはず。 だというのに――力の加減をしていない手で、その腕を掴みあげられ、愛情より怒りの勝った目で、この国の王に睨みつけられているにも かかわらず――瞬は その瞳に 恐怖の色を浮かべることはしませんでした。 緊張した様子さえ見せません。 瞬は、逆に 全身から力を抜き、ただ ぽかんとした顔で、怒りに燃えている(はずの)氷河の瞳を覗き込んできたのです。 やがて気を取り直し、それでもまだ何か確信を持てずに迷っているような様子で、瞬は氷河に尋ねてきました。 「嘘でしょう? 氷河、冗談だよね?」 「冗談? なぜ そう思うんだ。俺は――」 その地位に就いたばかりとはいえ、仮にも一国の王が冗談で こんなことをするはずがありません。 それとも 瞬は、この軟禁を冗談だったことにして、すべてをなかったことにしようとしている――その機会を 氷河に与えてやろうとしている――のでしょうか。 そうなのであれば、その思い遣り(?)は、この国の王の激情を更に煽るもの。 実際 氷河は そうなのだと決めつけて、かっとなり、瞬の腕を掴んでいた手に更に力を込めました。 その途端――おそらく、これが冗談ではないと確信して――瞬は 思いがけないことを氷河に問うてきました。 「あなた、誰」 と、瞬は氷河に問うてきたのです。 冗談を言っているようにではなく、完全に真顔で。 「なに?」 ほとんど反射的に問い返した氷河を、瞬は まるで責めるような目で睨んでいました。 「あなたは、僕の知ってる氷河じゃない。僕の知ってる氷河は、僕みたいに みすぼらしい人間にも優しくて、自分の方が つらい立場にいるのに優しくて、決して力で 人を自分に従えたり 傷付けたりするような人じゃなかった。むしろ、権力だの権威だのを嫌っているような人だった。姿でもなく 力でもなく、心で 人に接する人間だった。そんな氷河だから、氷河が この国の王になれば、この国とこの国の民を 良い方向に導いてくれるだろうと、僕は思った。そんな氷河のために、身を切られる思いで、この国を出ようと思った。僕は、そんな氷河を好きになったんです。あなたは、僕が好きになった氷河じゃない! あなたは誰!」 「瞬……」 それが恋なのか、恋でないのか。 それが友情なのか、同志愛なのか、尊敬なのか、感謝なのか。 その心に冠される名が何であるのかは、もはや 氷河には どうでもいいことでした。 瞬は、氷河を好きでいてくれたのです。 なのに 今 瞬の前にいる“氷河”は、“瞬が好きな氷河”ではないのです。 氷河が自分で、自分を“瞬が好きな氷河”でないものに変えてしまったのです。 怒りで煮えたぎっていた氷河の胸と頭が 一瞬で冷たくなり、氷河は自分が取り返しのつかない過ちを犯してしまったことに気付きました。 欲しかったのは、笑顔の瞬が自分を見詰め、自分を思っていてくれること。 決して、瞬の自由を束縛し、自分の側に置くことではなかったのに。 瞬の前に、これ以上、“瞬が嫌いになった氷河”の姿を置きたくなくて、氷河は瞬の腕を掴んでいた手を離し、そして そのまま 何も言わず――何も言えず――瞬の部屋を出たのでした。 |