「初恋の美少女が 初恋の美少年だったそうね!」
瞬と瞬の兄を伴って聖域に帰還した俺を出迎えたアテナの第一声が それだった。
その事実に、俺が どれだけショックを受けたか、それくらいのことは 恋に興味のないアテナにだって わかるだろうに、何なんだ、その嬉しそうな顔は!
――と言ってしまえないのが、宮仕えの悲しさだ。
「ええ、ええ。私には、こうなることが わかっていたのよ。アトス自治修道士共和国に あなたを派遣すれば、あなたは あなたの大切な人に巡り会えるということが、私には わかっていた。だから 私は、この任務に黄金聖闘士ではなく、あなたを抜擢したの」

嘘だ。
どうして、そんな見え透いた嘘をつくんだ。
アテナは自分が しでかしたドジの尻拭いをさせるために、あえて下っ端の俺を選んで、あの ろくでもない国に派遣したんだ。
そんな見え透いた嘘で 自分のミスを隠蔽する気なのか、アテナは。
そうは させるか!
「瞬の兄は、ハーデスではなく アテナから瞬の身を守るために、あの国に逃げ込んだと言っていますが――」
「10年振りなんですって? 氷河が ずっと思い続けていただけあって、本当に可愛らしいわね。私とどちらが可愛い?」
「……」

俺の告発を、アテナが、実に堂々と聞こえなかった振りをする。
そして、お馴染みの質問。
俺に どう答えろというんだ。
もちろん、アテナより瞬の方が1億倍 可愛いと思うが、そんなことを口にしたら、瞬が男子と わかっても、そう思ってしまう俺が悲しすぎるじゃないか。
俺が 俺の口で、俺の言葉で、瞬に告げるはずだった、俺の10年間の思い。
それをアテナなんかに 先に言われてしまったことに腹を立てる気力は、俺の中に生まれてこなかった。

アテナの言葉に驚いた瞬が、困ったような眼差しを俺に向けてくる。
――可愛い。
可愛すぎる。
可愛すぎるから――俺は無言でいた。
そんな俺を見て、一輝が まるで的外れなことを感心してみせる。

「なるほど。黙秘すればいいのか。俺は てっきり、アテナは 瞬の可愛らしさに嫉妬したのだと思ったんだが……俺の立ち回りも まずかったか」
瞬を10年 思い続けていた俺が、アテナの前で しおれていることが、その姿が、一輝の機嫌をよくしているようだった。
アテナこそハーデス以上の邪神と決めつけていたくせに、俺を いじめるアテナが、今の一輝の目には正義の味方に見えているらしく、一輝は アテナの前で 自らの対応のまずさを率直に認めることさえしてみせた。
そんな一輝に、アテナが大仰に首を左右に振る。

「一輝。それは誤解よ。あなたは誤解したの。私は あの時、瞬の姿を見て、いつも清らかな美少年を自分の依り代に選ぶハーデスが、なぜ 今回に限り 美少女を選んだのかと 怪訝に思ったのよ。あなたに弟だと言われても、すぐには信じられないほど、瞬は 本当に綺麗で可愛くて――。神といえど、千里眼というわけではないから。それで思ったの。ハーデスは絶対に 瞬の水浴か着替えを覗き見して、瞬の性別を確認にしたに違いないって。あの澄ました顔で、内心 嬉々として、ハーデスが そんな破廉恥行為をしたのだと思ったら、それがあまりに不愉快で、つい顔が歪んでしまっただけ。なにしろ 私は潔癖な処女神、そういう性的放縦が大嫌いな神なのよ」
「ああ、そう言えば、アテナは三大処女神の一柱だったな。アテナの統べる この聖域は、さぞかし清潔清浄な場所なのに違いない。ここでなら、瞬の身も安全か」

さすがはアテナ。
(悪)知恵の女神の面目躍如。
アテナは、勝手な想像でハーデスを助平男に仕立て上げ、すっかり一輝を手懐けてしまった。
これは、一輝が本当に求めているものが何なのかを、きっちり正しく見抜いているからこそ できる芸当。
瞬に目をつけるくらいなんだから、ハーデスの美形好きは事実なんだろうが、それにしても見事な仕儀だ。
『アテナは確かに処女神だが、だから アテナが清らかで潔癖だとは限らないぞ』と、一輝に忠告してやる気にもならない。

「アトス山では、相当 苦労していたそうね。この聖域には、浅ましい欲にかられた不届き者も不埒者もいないわ。もしいたとしたら、そんな輩は、私が すみやかに成敗します。ここにいる限り、あなたの最愛の弟の清らかさは守られる。私が必ず守ります」
その台詞を、なぜ 俺を見ながら言うんだ、アテナ。
瞬が済まなそうな目を、俺に向けてきて――俺が10年間 瞬を思い続けていたのは、俺が勝手にしたことで、瞬のせいじゃないのに。
瞬は、やっぱり可愛い。
そして、優しい。
瞬は、俺を いたぶって悦に入っているアテナなんかとは、住む世界、存在する次元が違う。

俺は、今でも憶えているぞ。
二度とマーマに会えないことが確実になり、悲しみと恐怖と孤独の予感で 正気を失いそうになっていた俺を 優しく強く抱きしめてくれた、瞬の言葉を。
『泣かないで。僕が 氷河のマーマの分も氷河の側にいてあげる。僕が 氷河のマーマの代わりに 氷河を守ってあげるから』
瞬の小さな手。
涙で いっぱいの瞳。
あの時の瞬の優しさ、温かさが、俺の恋を決定的なものにした。
瞬に、マーマの分も側にいて守ってもらうのだと決めて、俺は死ぬまで瞬と一緒にいるんだと決意して――俺は瞬に恋をしたんだ。

あの時と同じように、今も、俺を見詰める瞬の目は優しい。
あの時以上に、瞬は綺麗になった。
この瞬が男だったなんて、俺は 立ち直れない。
いや、そうじゃない。
俺は、諦められないことが苦しいんだ。
瞬への思いを絶ち切れないことが、俺は つらいんだ――。






【next】