夢見る頃を過ぎても






彼女と過ごす時間が楽しくないわけではないのである。
長く美しい金髪、生き生きと明るく輝く青い瞳、健康的な肌、女性であることを誇っているかのように見事なプロポーション。
性格は さばさばしていて、基本的に陽性。何事に対しても好悪の判断が明瞭で、陰湿なところは全くない。
目鼻立ちもはっきりしていて、それらが適切な位置に配置されており、面立ち自体も美しい。
言葉使いや所作には 少々 粗野なところがあるのだが、これだけの美貌と肢体を持つ女性が、言葉使いや所作まで しとやかで なよやかだったら、人は(男女を問わず)、その濃厚な女性性に辟易してしまうだろう。
そういう意味で、彼女は実にバランスのとれた女性だった。
“一人の女性として”というより、“一個の人間として”好感が持てる。

瞬は彼女が好きだった。
もちろん、瞬は彼女が好きだった。
にもかかわらず、瞬は彼女に対して、『何かが足りない』と感じてしまうのである。
あるいは、『何かが余分だ』と。
そして、『何かが違う』と、どうしても思わずにいられないのだ。

彼女は日本で百年以上続く薬品会社に顧問として招聘された北欧系エチオピア人の令嬢で、瞬より一つ年上。
ジュネという名だが、6月生まれというわけではない。
曾祖父がエチオピアのコーヒーの貿易で財を成した人物で、彼女自身、14歳までアフリカにいたという、少々 変わった経歴の持ち主だった。
父親の会社の研究開発部門で、研究データの解析の業務に携わっている。
働く必要はないのだが、彼女曰く、
『自宅で、深窓の令嬢ごっこをしていても、退屈だからね』
瞬が2ヶ月ほど前まで勤務していた病院の院長に紹介され、いつのまにか、週に1度は会うようになった。

誘ってくるのは、いつも彼女の方で、このエスニックレストランも、彼女のセレクト。
瞬の勤務スケジュールを把握していて、必ず 翌日の午前に勤務のない日を指定してくるので、仕事を理由に誘いを拒むことができず、いささか 彼女には振りまわされ気味。
彼女が嫌いなら、あるいは 誘いが迷惑なら、頻繁な誘いも断れるのに、嫌いになれず、はっきり迷惑と思うこともできない。
彼女が嫌いではないのだ。
ただ、『何かが違う』と感じてしまうだけで。

「この店、大きな店じゃないせいもあって、予約を取るのが難しいんだよ。フルーツや野菜を たくさん使ってるっていうんで、女性に人気の店なんだ。コーヒーも、アフリカ風で ちょっと変わってるけど、いけるだろ。コーヒーほどには、酒が いけてないのが玉に瑕だね。ここを出たら、酒の飲める店に行こう」
自分が女性であることに満足しきっているような姿をしていながら、言葉使いが 全く女性らしくないのは、母国語が日本語ではないからなのだろう――と、瞬は思うことにしていた。
瞬は 他国語で話すことを提案したのだが、
『日本に来て、日本語を使わなかったら、何のために 苦労して日本語を覚えたのか わからないじゃないか』
と、ジュネは その提案を一蹴してくれた。
彼女の そういうところも、好ましいと思う。
どうしても、『何かが違う』という感じを拭い去れないだけで。

「遅くなったら、おうちの方が心配するでしょう」
「遅くなったらって、まだ9時半だよ。子供じゃあるまいし、9時半なんて、まだ宵の口だろ」
瞬が用心して告げた言葉に呆れた顔で、ジュネが肩をすくめる。
まだ宵の口だと ジュネは言うが、これから すぐに帰宅しても、家に着く時刻は10時を過ぎるだろう。
そう 瞬は思った。
その時刻が、大人には早い時刻なのか遅い時刻なのか、瞬には判断しきれなかったが。
「だいたい瞬は、酔わないくせに、酒は弱いなんて言い張って、それって矛盾してるだろ」

痛いところを衝かれ、瞬は答えに窮した。
が、そこに 突然 降ってきた声のおかげで、瞬はジュネに下手な返事をせずに済んだのである。
「瞬先生じゃないですか!」
瞬の名を呼んで、瞬とジュネが着いているテーブルに歩み寄ってきたのは、同じ病院に勤めている三人の若い看護士たちだった。
「瞬先生、デートですか?」
「彼女、いたんですかぁ? びっじーん」
「いえ。そういうわけでは……友人です」
「またまたー」
このレストランが女性に人気があり 予約が取りにくいというのは事実のようだった。
早い時刻の予約を取れなかったせいで、彼女等は 来店が この時刻になってしまったらしい。
おそらく仕事を終えてから、どこかで時間を潰していたようで、彼女等には 既に軽く 酒が入っている。

瞬は本来は、練馬の光が丘病院の勤務医なのだが(現在もそうなのだが)、医師に欠員の出た 中央区のS国際病院の総合診療科に、研修という名目で出向してきていた。
滅多にないことなのだが、両院の院長同士が友人で、『このままでは総合診療科を廃科にしなければならなくなる』とS国際病院の院長に泣きつかれた光が丘病院の院長が、瞬に、半年間という期限付きで出向を依頼してきたのである。
瞬に声をかけてきた三人は、S国際病院勤務の看護士のようだった。
『ようだった』というのは、その三人のうち、瞬が見知っているのは一人だけだったから。
あとの二人は、勤めている病棟が違うのだろう。
言葉を交わすのも、これが初めてで――にもかかわらず、妙に親しげな 彼女等の口調に、瞬は少々 戸惑うことになったのである。
一方的に知っているだけの瞬を、彼女等は 一方的に 知り合いと見なしているようだった。

給仕が、彼女等を、瞬たちのテーブルから少し離れたテーブルに案内していく。
案内していったのはいいのだが――。
「瞬先生に、彼女がいるなんて意外ー」
「どうして意外なのよ。瞬先生、綺麗だし、優しいし、稼ぎもいいし、看護士なら誰だって――女なら誰だって、あわよくばって思うじゃない」
「綺麗すぎるのが問題なのよー」
声を抑えてはいるつもりなのだろうが、酒が入っているせいなのか、彼女等のテーブルと瞬たちのテーブルの間には他のテーブルが2つあるというのに、その会話が筒抜けなのだ。

「だって、瞬先生の彼女、かなり美人だけど、でも、瞬先生と比べて、どっちが綺麗かって言われたら、ねえ」
「うんうん。私も瞬先生を射留められたら、絶対 幸せになれるだろうって思うけど、二人でいるところを人に見られるたび、『容姿で夫に劣る妻』なんて陰口叩かれるかと思うと、二の足踏んじゃう。いくら優しくて経済力あっても、あの綺麗すぎる顔は やっぱりマイナス要因よー」
間に他のテーブルがあることに油断して、彼女等は自分たちの声が 瞬たちの耳に届いていることに気付いていないのだろう。
しかし、実際には、 まるで わざと聞こえるように言っているのではないかと疑わずにいられないほど、彼女等の声は はっきりと瞬たちのテーブルにまで届いている。
瞬は いたたまれなくなって、通常より音量の大きい声を張り上げることになった。

「ジュ……ジュネさん。お酒を飲めるところに行きましょう!」
まさか、自分から そんなことを言い出すことになろうとは。
ジュネは そんな瞬を見て、くすくすと楽しそうな笑い声を洩らした。
「声の大きい彼女たちに、あたしが礼を言っていたと、あとで伝えておいておくれ。おかげで、瞬に2軒目を誘ってもらえたってね」
聞こえていないはずがないと思ってはいたが、やはり 聞こえていたらしい。
ジュネだから、『礼を言っていたと、伝えておいておくれ』で済むが、これが 容姿以外に誇れるものを持っていない女性だったら、どんなことになっていたか。
腹を立てるのか、傷付くのか。
いずれにしても、“笑って『礼を言っていたと、伝えておいておくれ』”――ということにはならないだろう。
“笑って『礼を言っていたと、伝えておいておくれ』”になるジュネだから、自分は 彼女に好意を抱かずにいられないのだと、少し複雑な気持ちで 瞬は思った。






【next】