まるで氷が燃えているような青い瞳。
視線だけで 人間の心臓の止めることさえできそうな、鋭い眼差し。
あの人は、いったい何なのだろう――?

初めて会った その瞬間から、瞬は彼の視線に心を鷲掴みにされ、そのまま握りつぶされてしまいそうな感覚に囚われていた。
彼がどこにいるのか わからない今、彼の気配を身近に感じることのできない たった今でさえ、その感覚が消えない。
瞬の中にある疑念は、『彼は誰』ではなく『彼は何』だった。
彼が誰なのかということなら、名前も住所もわかっている。
瞬に わからないのは、彼が何なのかということだった。

側に行きたい。
だが、側に行くのが恐い。
たとえば、魔法の国で 燃え盛る氷を見付けたなら、人は その美しさに目を奪われ、離れることができず、だが 恐ろしくて、自分の手で触れることもできないだろう。
瞬にとって 彼は、そういうものだった。
恐い。だが、忘れられない。
会いたい。だが、逃げたい。
そう感じてしまうのは なぜなのか。
瞬には その訳がわからなかった。

ただ一つ、瞬にわかること。
それは、彼こそが、自分が失った何かだということ。
彼こそが 自分に足りない何かだということ――だった。
ずっと、何かが足りないと感じる心を静めることができずにいた。
彼は その“何か”、彼こそが その“何か”だと、瞬にはわかっていた――感じ取れていた。
ずっと求め、探していた“何か”。
だが、瞬は、それが これほど恐ろしいものだとは考えてもいなかったのである。
恐くて――瞬は、心が つぶれてしまいそうだった。

だから――だから、瞬は、
「出ておいで。いい店を見付けたから」
というジュネの誘いに 飛びついたのである。
ジュネなら、この 震え騒ぎ恐れる気持ちを静めてくれるのではないか。
家族のように、姉のように、震え おののく非力な子供を なだめ、落ち着かせてくれるのではないか。
そう考えて。
そう期待して。
まさか、そうして出掛けた街で――何万、何十万という人間で ごった返している街の通りで、女性連れの彼と鉢合わせすることになるなどと、瞬は考えてもいなかった。

「瞬……」
「氷河、お知り合い? まあ、とても綺麗で可愛らしい方」
「氷河……さん」
「瞬。知り合いなのかい。なかなか綺麗な男じゃない」
「え……ええ」
最初は、出会ってしまったことが、ただ恐かった。
鋭く冷たく熱い眼差しは、先日同様に鋭く冷たく熱くて 瞬の心臓に負担をかける。
その鋭さ冷たさ熱さから逃げるように、瞬は急いで瞼を伏せた。
次に、先日 彼の前から 物も言わずに逃げ出したことを思い出し、彼は怒っているのかもしれないと、それを案じた。
彼は 彼の医師に危害を加えたわけではないのに、あんな態度を示されたら、誰でも不快を覚えるだろう。
そして、彼と一緒にいる可愛らしい女性は 彼とどういう関係にある人物なのかと疑う。
同じ北方系の金髪だが、彼女は氷河の血縁には見えなかった。
恋人――なのだろうか。
そうであったなら、自分は どうすればいいのか。
恐れと気まずさと不安が ないまぜになり、言葉を発することはおろか、身体を動かすことすらできない。

それは氷河も同様らしく、彼も無言。そして 動かない。
その時間が 不自然に長くなり、二人の間に横たわっている沈黙に耐えきれなくなって、瞬は 恐る恐る 伏せていた顔を上げたのである。
彼は――氷河は、瞬ではなく ジュネを睨んでいた。
鋭く冷たく熱い目で。
その段になって、瞬は初めて気付いたのである。
氷河が金髪の少女を同伴しているように、自分も女性と二人連れなのだということに。
氷河は そのことに腹を立てている――のだ。

ジュネはといえば、到底 優しく親しみやすいとは言い難い氷河の睥睨を恐れている様子は全くなく――それは瞬には驚異的な豪胆だった――知り合い同士らしいのに『こんばんは』も口にしない二人を、怪訝そうに見比べている。
いつまで経っても 何も言わず、その場から動こうともしない二人に焦れたらしいジュネが、
「瞬。店の予約は8時だよ。そろそろ 行かないと」
と瞬を促してきたのは、二組のカップルが出会って どれほどの時間が経ってからだったのか。
「は……はい」

その瞬間に、瞬は、『この息苦しさから、やっと逃れられる』と胸を撫で下ろしたのである。
短く、安堵の息さえ洩らしていたかもしれない。
しかし、更に その一瞬間後には、『彼と このまま離れてしまいたくない』という切実な欲求が、瞬の中には生まれてきた。
だが、だからといって、どうすることができるというのか。
「あ……あの、じゃあ」
瞬は、後ろ髪引かれる思いで、氷河との間に距離を置くための最初の一歩を踏み出したのである。
少しでも早く この場から――彼から――離れなければならないと思うのに、足がひどく重い。
こんなに足が重くても、人間は歩くことができるのだと、瞬は泣きたい気持ちで思った。

「綺麗な男だけど、愛想がないねえ。あんな男に くっついてる女の気がしれないよ」
おそらく、どんな他意もなく ジュネが小声でぼやく。
氷河に背を向けているのに、氷河の強い視線を感じる。
彼は、四人が出会った場所から動いていない。
そして 瞬を――瞬とジュネを――今も睨んでいる。
きっと 事実とは違うことを考えて。

そう思った途端、瞬は それ以上 耐えられなくなってしまったのである。
これ以上、彼との間に距離を置くことに。
このまま、彼と離れることに。
しかも、彼に誤解されたまま。
矢も楯もたまらず、瞬は駆け出した。
ジュネと向かうべき方向にではなく、氷河のいる方に向かって。

「氷河……氷河さんっ! あっ……あの……あの、ジュネさんとは何でもないんです!」
何よりも その誤解を解かなければならない。
そうしないと、氷河は いつまでもジュネを睨みつけている。
そして、彼はジュネに何をするか わかったものではない。
なぜか、瞬は そう思った。
彼が自分に その怒りを向けてくるかもしれないという考えは、毫も思いつかなかった。

「何でもないって、何が? どういう意味?」
氷河の隣りにいる金髪の少女に問われ、瞬は答えに窮した。
どうして この人は、そんな意地悪なことを訊いてくるのだと、泣きたい気持ちになる。
が、幸い、瞬は泣かずに済んだ。
氷河が、
「本当に?」
と尋ねてきてくれた おかげで。
「はい」

氷河が瞬を見詰めていたのは 数秒。
瞬を見詰めたまま、氷河は、彼の隣りにいる少女に告げた。
「フレア。用ができた。オネエサマへのオクリモノとやらは、自分で探せ」
「よ……用って……」
「瞬。家はどこだ」
「僕、光が丘の――」
「知っている……ような気がする」
僅かに眉根を寄せ、氷河は 自分のために呟いた。
すぐに その呟きを放棄して、瞬に告げる。

「俺の家の方が近いが、おまえの部屋の方がいい。おまえのベッドの方がいい」
「はい」
「ひょ……氷河! あなた、何を言ってるの……!」
フレアと呼ばれた少女が目を丸くして、氷河の腕を掴もうとする。
その手に捕まる前に 氷河は瞬の腕を掴み、走ってきたタクシーを止めて、その後部座席に瞬を押し込んだ。
続いて 隣りに乗り込んだ氷河が、自分の手でドアを閉じる。
その乱暴さに、もしかしたら、タクシーの運転手は 彼をタクシー強盗の類なのではないかという懸念を抱いた――のかもしれなかった。
「急げ」
と、それだけ言われても、運転手としては、その指示に従いようがなかったろう。
瞬が行き先を告げると、運転手は 即座にメーターを倒し、氷河の指示に従った。






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