瞬が 瞬の『もしかしたら』を仲間たちに語り出したのは、「『もしかしたら』は、もはや『もしかしたら』ではない」と確信するに至ったから――確信せずにいられなくなってしまったから――だった。 氷河の独り言の相手は、神でも人間でも動物でも幽霊でもない何か、なのである。 しかも、死ぬことのできる何か――生きている何か――だというのであれば、無機物でもない。 そこまで範囲を狭められれば、瞬の『もしかしたら』は もう、ただの推察ではなく、“証拠のない現実”としか考えられなかったのだ。 「氷河は……寂しいんだと思うの。氷河は、孤独感に苛まれているんだよ、きっと。かわいそうに……」 仲間たちに話を切り出した時点で 既に、瞬の瞳は涙で潤んでいた。 「孤独?」 水芸使いの紫龍が、瞬の口にした言葉を抑揚のない声で反復し、 「孤独ぅ〜 !? 」 じめついた梅雨の嫌いな星矢が、声で湿気を吹き飛ばそうとするかのような勢いで、その単語を復唱する。 二人の声の共通項は、二人共が、『瞬は突然、いったい何を言い出したのだ』と奇異に思う響きが含まれていることだけだった。 だが、たった一つの その共通項は 極めて重大な共通項である。 命をかけた戦いを共に戦い、一瞬の迷いもなく その命を預け合うことができるアテナの聖闘士たちの どこに、“孤独”という要素が入り込む隙間があるというのだろう? それが 星矢たちの疑念で、星矢たちが そういう疑念を抱くのは ごく自然なことだと、瞬も思っていた。 瞬とて、こんな『もしかしたら』は語りたくなかったのである。 だが、では、氷河の独り言に、他にどんな説明がつけられるというのか。 瞬は やはり、その『もしかしたら』を仲間に語らないわけにはいかなかった。 「イマジナリーフレンドって知ってる?」 「イマジナリーフレンド? 何だよ、それ」 「ん……。想像上の友だちっていうか、架空の友だちっていうか、空想で作った、その人の脳内だけにいる友だちのことなんだけど――。氷河が話してる相手って、それだと思うんだ」 「へっ」 一度 間の抜けた合いの手を返してから、 「ソウゾウジョウのドーブツなら、俺も知ってるぜ。ペガサスとか ドラゴンとか フェニックスとか」 と、およそ どうでもいい情報を、全く どうでもいい情報と認識している声音で、星矢がぼやく。 瞬は、星矢の言に 縦にとも横にともなく首を振った。 「小さな子供が、空想の友だちを作って、空想の中で その友だちと会話を交わしたり、遊んだりするのって、よくあることなんだよ。物心ついてから 小学校に入るまでの 一人っ子や 弟妹が生まれる前の女の子の長子に多いの。ただ、そういう友だちは 幼児期がすぎると、自然に忘れられ 消えていく。現実の世界で友人関係が構築されていくから。でも、幼児期がすぎても 空想の中の友だちを消えないのは 病気。氷河のあれは、幼児期に作ったイマジナリーフレンドが消えなかったんじゃなく、むしろ幼児期が終わってから生まれたイマジナリーフレンドだろうから、事は一層 深刻だと思う」 「解離性同一性障害か。いわゆる多重人格」 紫龍が口にした病名に、 「うん……」 暗い面持ちで、瞬が頷く。 神でも人間でも動物でも幽霊でもない、命のある何か。 氷河の独り言の相手を、瞬には それしか思いつけなかったのだ。 星矢が、少し腹を立てたように、瞬の『もしかしたら』に反論してくる。 「なんで、氷河が孤独なんだよ! 俺たちがいるだろ!」 「もちろん、そうだよ。でも……」 「でも、何だよ!」 予想だにしていなかった、瞬の『もしかしたら』。 瞬の『もしかしたら』を事実とは認めていないから――認められないから――星矢の憤りは、そんな“友だち”を生み出した(のかもしれない)氷河ではなく、そんな馬鹿げた推測を真顔で語る瞬に向けられていた。 今はまだ。 「氷河は、マーマやカミュを失った。そして 多分、氷河はそれを自分のせいだと思っている。そんな人たちを失った喪失感は、僕たちでは埋めることができないんじゃないかと思う。生きている僕たちでは」 「はあ !? 」 「もちろん、氷河には僕たちがいるよ。僕は、氷河に『氷河は ひとりぽっちじゃないよ』って伝えたい。でも、どうすれば その気持ちを伝えられるのかが わからないんだ。どうすれば、その気持ちを氷河に わかってもらえて、氷河の心を安んじさせることができるのかが わからない……」 「んなの、今更 改めて伝えなきゃならねーことかよ! 氷河は そこまで馬鹿なのかっ!」 「……」 星矢の憤りは わかる。 同じ憤りを、瞬とて 感じていないわけではなかった。 だが、事実はそうなのだから仕方がない。 そういう人間は、この世界に少なからず存在するのだ。 絶対の、永遠の、不滅の愛を求める人間は。 「氷河が 僕たちの気持ちを わかってくれていないっていうんじゃないの。氷河は わかってくれているよ。ただ、僕たちだけでは駄目――僕たちの存在だけでは、氷河の喪失感を埋めるには足りないんだよ」 「俺たちだけじゃ足りないー !? 」 「うん……。きっと、マーマやカミュを失ったことで生じた氷河の喪失感を埋めるには、亡くなった人たちと同じことを――僕たちが氷河のために命をかけることでしか証明できないと思うんだ。だって、マーマやカミュは、氷河のためにそれをしたんだから。だから、彼等は 氷河にとって かけがえのない人たちになった――なれたんだから」 「おまえは、自分の命をかけて氷河を救ってやったことがあるじゃないか。マーマやカミュとどこが違うんだよ」 「でも、死ななかったから――僕は氷河のために死ななかったから……」 まるで それが悪いことであるかのように 力ない口調で呟いた自分を見て、星矢が 口を への字に歪めたのが、瞼を伏せていたにもかかわらず、瞬には感じ取ることができた。 「失われた命の隙間は、他の命で埋めるしかない。僕たちが氷河を、氷河のマーマたちと同じくらい大切に思っていることを 氷河に信じてもらうためには、この命を差し出すしかない。でも、それで僕が死んでしまったら――僕が氷河を大切に思っていることは証明できるけど、氷河は自分が一人ぽっちじゃないっていうことを信じてくれるようになるかもしれないけど、その途端に、氷河はまた一人になってしまうんだ。僕は どうすればいいのか わからない……」 自分の無力が悲しくて、瞬は両の肩を落とした。 「瞬……」 そんな瞬を、星矢と紫龍は 言葉もなく見詰め、やがて二人は、やはり言葉もなく互いの顔を見合わせたのである。 瞬が何を案じているのか、瞬が何を嘆いているのかは わかった。 だが、星矢と紫龍には どうしても、瞬の懸念は間違っているような気がしてならなかったのである。 自らの命を投げ出して 友情の証を示すこと。 氷河が、彼の仲間たちに そんなことを望んでいるとは、星矢と紫龍には どうしても思うことができなかった。 |