雨がやみ、重い灰色一色だった空は 少しずつ明るさを取り戻し始めていた。 というのに、星矢は むしろ、雨が降っていた時よりも すっきりしない気分で ぼやくことになったのである。 「俺、瞬は絶対に何か勘違いしてると思うんだけど……」 と。 「同感だな」 紫龍が即座に賛同の意を示す。 命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間同士、アテナの聖闘士たちは 互いに それぞれの性格も価値観も承知している。 時には、当人より、仲間たちの方が “彼”の本質を把握できているところすらあった。 そんなアテナの聖闘士たちの中でも、瞬は 最も洞察力に優れ、細かなところにまで気がまわり、濃やかな気配りができると評されている聖闘士である。 その瞬が、どうして ここまで頓珍漢な思い違いができるのか。 善意と好意だけで人を判断しようとすると、時に人は こういう罠に はまり込んでしまうものなのか。 それとも これは、瞬が ある分野に関してだけ鈍感すぎるゆえの誤りなのか。 星矢には、どうにも この事態に合点がいかなかった。 「愛に証拠を求めるタイプの人間が 世の中に存在することは事実だが、氷河は そういうタイプの男ではないぞ」 「だよなぁ。氷河は むしろ、その対極にいる男だろ。求めるタイプじゃなくて、押しつけるタイプ。それも かなり独善的に。マーマにだって カミュにだって、氷河は別に 自分を愛してる証拠を示せなんて言ったわけじゃないし――。こういう言い方は何だけどさ。あの二人は、氷河はそんなこと望んでもいなかったのに、勝手に命をかけて氷河への愛を証明しちまった二人だよなあ」 「うむ。そもそも 愛に証拠を求めるタイプの人間というものは、自分の存在理由を確信できず、自分に自信を持てずにいるから、自分ではなく他人の行為によって それを確かめようとするわけで――氷河は そんな男ではない。もう少し謙虚さを身につけた方がいいと言いたくなるくらい、根拠のない自信に満ちている男だ」 「そうそう。変に自信あるもんだから、押しつけがましいんだよな。一輝がいても、平気で、自分ほど瞬を好きでいる男はいないとか思い込んでたりしててさ」 「求めることをせず、押しつけることばかり考えている男だから、人に 思いがけない好意を示されると、過剰に感激するんだ。天蠍宮での時のように」 「でもって、自信満々、鼻高々で、俺たちに『立って戦え』とか、偉そうに指図するんだよな。自分は それまでずっと、のんきに昼寝してたくせにさ!」 天蠍宮での氷河の居丈高な態度を思い出すと、今更ながらに腹が立ってくる。 星矢の声と言葉には 毒と棘が混じり始めた。 「あの氷河が 孤独に苛まれてるだの、かわいそうだのって、いったい どこから そんな阿呆な考えが湧いてくるんだよ、瞬の奴! 氷河が孤独なわけないだろ!」 「母親が生きていた頃には、母親のために一生懸命、修行中は 師のために一生懸命。一生懸命振りを示す相手を失って 孤独感や喪失感を抱いていた時期もあっただろうが、今は瞬がいるからな。瞬は 氷河を残して死ぬようなことはないだろうから、氷河は この先 死ぬまで、愛情を押しつける対象に不自由することはない。氷河としては万々歳というところだ。もし 氷河が病気なのだとしたら、その病気の名は 恋煩いだろう」 「そんな綺麗な病名 つけてやることねーって。ただの欲求不満でいいんだよ、あれは」 「そうとも言う」 命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間に対して 随分と辛辣な物言いである。 あるいは、命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間同士だからこその、忌憚のない評価といったところか。 だが、星矢の意見には 大筋で紫龍も 同意見。 賛同しないわけにはいかないからこそ――そんな氷河が 命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間だということに、紫龍は苦笑せずにはいられなかった。 そんな紫龍を見て、星矢が 軽く ふんと鼻を鳴らす。 「言っとくけど、俺は一応、氷河の美点は美点として認めてるからな」 「美点? どんな美点だ」 「そりゃあ、あいつのいちばんの美点は、瞬を無理矢理 押し倒して返り討ちに会う愚を犯さない賢明さだよ。その判断は正しいし、氷河の自制の利いた振舞いは チョー立派なことだと、俺は思ってるぜ」 「チョー立派、ね」 真面目に仲間の美点を褒め称えているとは 到底 思えない。 紫龍の苦笑は呆れ顔になり、その後、彼は真顔になった。 「しかし、確かに、さっきの氷河は変だったぞ。どういう聞き方をしても、あれは 独り言ではなく、誰かに話しかけている人間の口調だった。だというのに、氷河の部屋には誰もいない――」 氷河が孤独感に苛まれているという瞬の懸念は 杞憂にすぎないと思うが、氷河の会話形式の独り言を このまま捨て置くのは よろしくないことのような気がする。 普通の独り言なら、アスペルガー症候群、高機能自閉症、統合失調症等、比較的ありふれた病気の症状だが、会話形式の独り言となると、やはり 瞬の言っていた解離性同一性障害の可能性が最も大きいのだ。 紫龍の真顔を、しかし 星矢は一蹴した。 「瞬が言ってたみたいに、氷河が架空の友だちを作って、孤独を紛らせてるっていうのか? んなこと、あの氷河がするわけないだろ。自分の脳内にいる瞬に いかがわしいことしたり させたりすることはあるかもしれないけど、それはイマジナリーなんとかなんて大層なものじゃなく、ただのオカズだろ」 「氷河への おまえの信頼も大概だな。もう少し 品のある言い方はできないのか」 「高級惣菜とか、副食とか、おばんざいとか?」 「……おまえに品を求めた俺が間違っていた」 瞬の悲観的な心配性と、星矢の楽観的な太平楽。 足して2で割れば、どれほどバランスのとれた優れた人格ができあがることか。 そう考えて、紫龍は溜め息をついた。 が、現実は そうではなく、心配性の瞬と 太平楽な星矢は、独立した別の個人として存在する。 であればこそ、人は 一人では生きていられず―― 人は 一人で生きるべきではないのだろう。 互いに長所と短所を補い合って、人は一人の個人としてではなく、仲間という集団や 社会全体の調和を目指すのだ。 しかし、今 問題なのは、瞬と星矢の調和では、氷河の病気(?)の原因解明と治癒は為されないだろうということ。 瞬の懸念は全く解消されていないということだった。 |