「それはじゃの。――昔、衛の国に、哀駘它という、途轍もない醜男がいたんだ。それこそ、リュムナデスのカーサと 地奇星フログのゼーロスと 天間星アケローンのカロンを足して3で割ったような、途轍もない醜男だ」 童虎は いったい いつ どこで その三人に会ったのか。彼に そんな機会はあっただろうか――ということは、氷河とて気にならないわけではなかった。 だが、今の氷河には そんなことより重要な問題があったので――氷河は、自らの疑念より その重要問題の解消の方を優先させたのである。 なにしろ、その重要問題は、瞬に関係することだったので。 瞬に関係する重要問題とは、すなわち、 「悪いが、カロンは除いてくれ。瞬が、カロンはいい人だったと言っていた。瞬が そう言うんだから、そうに決まっている。カロンを醜男の代表のように言われたら、瞬が悲しむかもしれん」 ということ。 たとえ瞬が この場にいなくても、氷河は瞬の判断を尊重しないわけにはいかなかったのだ。 「では、カロンではなく、マルキーノにしようかの」 「うむ。そうしてくれ」 「……意外に細かいところに こだわる男じゃの。白鳥座の聖闘士は 大雑把で、驚くほど周囲を見ることのできない男だと聞いていたのに」 「なに?」 童虎の呟きに、氷河は僅かに眉をひそめた。 童虎が、素知らぬ振りで彼の話を続ける。 「いや。で、その哀駘它だ。その男が、異様に人に好かれる男での。誰もが、その男を好いたのじゃ。男たちはもちろん、哀駘它を知った女たちも、口を揃えて、『他の男の妻となるよりは,この人の妾になるほうがいい』と言い出す始末。そんな女たちが数十人にも及んだというから驚きじゃ。とにかく、哀駘它は むやみやたらに人に好かれる男だったんだ」 「瞬は醜くはないぞ」 「そう話を急ぐでない」 醜い男の話が一転、誰からも好かれる男の話に。 天秤座の黄金聖闘士が何を語ろうとしているのかは わからないまま、白鳥座の聖闘士は彼の話の腰を折り、天秤座の黄金聖闘士は そんな白鳥座の聖闘士の短気を たしなめた。 そして、人に好かれる醜い男の話を継続する。 「哀駘它は、ものごとを春と為す男だったと言われておる。哀駘它は、一切のものを春のように暖かい心で包み、心の内に和やかな春の時をもたらす人物だった――とな。和して唱えず。決して 自己主張をせず、すべての人を否定することなく 受け入れた。それが哀駘它の徳だった。つまり、徳が傑出していると、外形は忘れられるものなのじゃ。紫龍と星矢は通りすがりの通行人とは異なり、瞬の人となりを知っている。そういうことなのであろうよ」 「――」 童虎の語る話に 氷河が沈黙で答えたのは、決して 彼が童虎の話を理解できなかったわけでも、承服できなかったわけでもない。 むしろ、その逆。 氷河は、童虎の話が腑に落ちすぎて、それこそ ぐうの音も出ない状況に陥っていたのだ。 「つまり、紫龍たちは、瞬の徳のせいで、瞬の外見を――瞬が可愛らしいことを忘れさせられているということか。それほど瞬の徳が傑出していると」 氷河にとって、これほど納得でき、賛同でき、しかも 快い見解はなかった。 心底から得心でき、至極 理に適っていると感じるのに、目からウロコが落ちる心地がする。 これは実に稀有な事態だった。 「では、俺は安心していていいんだな」 「まあ、紫龍は堅物じゃからの。瞬はおぬしのものと認めれば、おぬしが懸念しているような感情を抱くことを 無意識のうちに 己れに禁じてしまう男じゃ。星矢は お子様じゃしの。おぬしは、これまで通り、瞬の徳を知らないまま 瞬の外見だけに目を奪われる愚かな男たちにのみ 気分を害しておればよいのじゃ」 「なるほど」 酢豚の話が出た時には どうなることかと思い、よりにもよって黄金聖闘士などに謎解きを相談にきた自分の不明を恥じかけたのだが、それは大いなる間違いだった。 さすがに 黄金聖闘士は黄金聖闘士だけある。 もとい、天秤座の黄金聖闘士は 天秤座の黄金聖闘士だけあった。 「老師。感謝する。さすがは経験豊かな聖域の重鎮。おかげで、長い間、俺の中にあった疑念が一つ消えた。なるほど、瞬の傑出した徳は、瞬の可愛らしさも 人に忘れさせるほどのものなのだな」 天秤座の黄金聖闘士は、聖闘士の善悪を判断する要の聖闘士。 彼の判断に間違いはあるまい――あってはならないし、実際に正しいと思う。 氷河は、聖闘士の善悪を判断する要の聖闘士の見解に 心底から得心がいっていた。 そうして。 童虎に心からの謝意を告げ、実に 晴れ晴れとした気持ちで、氷河は要の聖闘士の宮を辞したのである。 |