似ていることには、最初の一瞥から 気付いていた。 あれから長い年月が経っている。 片時も忘れたことがないと言えば、それは明確に嘘になるが、一目見て『似ている』と思うほどには その面差しを記憶している友人。 かつて 自分が青銅聖闘士だった頃に、他に致し方がなかったとはいえ、拳を交えた相手。 倒したくはなかったが倒した男。 奪いたくはなかったが、その命を奪った男。 彼は、アイザックに似ていた。 ただし、アイザックより――亡くなった時のアイザックより――10歳は年上。 勝気そうな眉、意思的な瞳、唇。 造作は似ている。 アイザックが あの海の底で命を落とすことなく大人になっていたら、こういう姿の男になっていただろうと思える姿 そのまま。 そういう姿をしているのに、だが、印象は全く違う。 彼は、アイザックにそっくりな瞳の中で、憎しみの炎を燃やしていた。 「アイザック……?」 その名を口にしてから、そんなことがあるはずがないと思い直す。 アイザックの命が絶えたことを、あの時 氷河は 自分の目で確かめていた。 万が一にも、あの時 アイザックが死んでいなかったということは考えられない。 死の直前に、彼は、海闘士たちの戦いが海皇ポセイドンの意思によるものではないことを 氷河に伝え、その最後の息を引き取った。 あの時 アイザックは、確かに氷河の兄弟子――無謀な後輩の命を救うために我が身の危険を顧みなかった、本来の心優しく強い男に戻っていた。 もし 彼が生きていたのなら、どんな障害があっても、己れが生きていることを氷河に知らせてくれていたはずなのだ。 アイザックは、あの時 確かに死んだ。 今 水瓶座の黄金聖闘士の前に立っている男が アイザックであるはずがない。 実際 彼は、現在の氷河より 幾つか年下に見えた。 そもそも、もし彼が本当にアイザックその人だったとしても、彼が こんなところにいるはずがないではないか。 日本の、東京の、押上――夜の街に。 “アイザック”の名を氷河の口から聞くと、彼は、嘲るような笑みを氷河に返してきた。 そして、 「俺は そんな名の男じゃない。イズマイル――貴様に殺されたクラーケンのアイザックの弟だ」 と告げる。 声は、アイザックのそれに似ていなかった。 「アイザックの弟? そんな話は――」 聞いたことがない――と言いかけた氷河を、イズマイルと名乗った男が遮ってくる。 どうやら、彼は かなり短気な男らしい。 それとも、アイザックの命を奪った男に言いたいことがありすぎて、気が急いているのか。 「名前で察したらどうだ。母親が違うんだ。あっちは正妻の子。こっちは妾の子。母たちは仲が悪かったが、アイザックは俺には優しかった」 「……」 アブラハムと その正妻サラの息子である聖イサク。 アブラハムと 女奴隷ハガルとの間に生まれた、アラブ人の祖イシュマイル。 つまり、彼とアイザックは そういう関係――異母兄弟であるらしい。 創世記の二人とは異なり、イサク――アイザックの方が兄のようであるが。 ともあれ、血のつながった兄弟なら、似ていても不思議ではない。 そのこと自体は全く不思議なことではないが。 「アイザックの弟が なぜ ここに――なぜ 今ここにいるんだ」 それは奇妙なことだった。 白鳥座の青銅聖闘士が 海闘士クラーケンのアイザックを倒してから、長い時間が――あまりにも長い時間が経っている。 なぜ今になって、アイザックの弟が水瓶座の黄金聖闘士の前に現れるのだろう? 「顔の無い者の つてでね。『おまえの兄を殺した男が日本にいる』と教えてくれた者がいたんだ」 「顔の無い者? あれの首領は既に――」 「そう。貴様に倒された。だが、組織はまだ残っている。俺は その組織の一員――ということになるかな」 「……」 常の人間には持ち得ない力を持つ暗殺者たちで構成されているギルド“顔の無い者”。 社会から その存在を隠し常に歴史の闇に潜み、依頼を受けて、標的を消し去る暗殺者集団。 ギルドに所属するためには、自らの顔を削ぎ落として 自分の顔を消し、何者でもない一人の暗殺者にならなければならない(はず)。 だから、その組織は“顔の無い者”と呼ばれている(はず)。 彼が その組織の一員だというのなら、なぜ この男の顔はアイザックに似ているのか――似ていると わかるのか。 あるいは 彼の この顔は 偽りの顔なのだろうか? 氷河が その疑念を言葉にする前に、アイザックの弟は その答えを氷河に手渡してきた。 親切な男だと、氷河は思ったのである。 それとも、“若い”のか――と。 「俺は、これから 自分の顔を消し去ってギルドの一員になる。その前に、俺の顔を見せて、自分のしたことを 貴様に思い出させておかなければならないと思って、ここに来たんだ」 “若い”――若いという言葉は、“未熟”という意味を含んでいる。 彼は、まさに“若い”男だった。 ギルドの全くの部外者である氷河にすら わかる“顔を消すことの意味”を、彼は理解していないらしい。 「俺の目的は 兄アイザックの復讐だ。なのに、何者でもない一人の暗殺者として 貴様を倒したら、その復讐が片手落ちになる。クラーケンのアイザックの弟に殺されることを、貴様に知っていてもらわなければ――。貴様も、自分が 何のために、誰の手にかかって死んでいくのかを知らずに死ぬのは無念だろう」 「復讐?」 氷河の反応の鈍さに、アイザックの弟は苛立っているようだった。 やはり、若い。 そして、彼は、やはり未熟だった。 「アイザックは、貴様に殺された。だが、貴様は 自分がアイザックを殺したことを、今の今まで忘れていたんだろう? 忘れて、のんきに正義の味方ごっこをしていたんだ」 「……」 彼の兄の仇の正義の味方ごっこが のんきなものに見えていたのなら、それは悪いことではないだろう。 それは、彼の目に、“正義の味方”が余裕のある戦いをしているように見えていたということなのだから。 と、氷河は思った。 事実はどうだったのだ? と、自分に問うてみる。 その答えを、だが、氷河は知らなかった。 これまでに戦ってきた戦いが多すぎて。 多すぎた戦いの内容を いちいち憶えているのも面倒で。 そんなふうでいられることこそが“余裕”で、“のんきなこと”なのかもしれない。 しかし、氷河は、自分が青銅聖闘士だった頃にアイザックを倒したことは――その戦いが どんなものであったのかは――明瞭に憶えていた。 それは、つまり、青銅聖闘士だった頃の“氷河”の戦いには 余裕がなかったということなのだろう。 あの頃の“氷河”は、今のアイザックの弟のように 若く未熟だったのだ。 |