次にイズマイルが氷河の店にやってきたのは、それから3日後の夜。
その夜は、瞬が来ていた。
瞬が来店している時には、男女の区別なく 客の誰もが その隣りの席に着きたがる。
せっかく復讐のターゲットに巡り会えたというのに、その両隣りのカウンター席が埋まっているのに、イズマイルは不快になったらしい。
だが、カウンター席は今夜は すべて埋まっている。
彼は いかにも機嫌が悪そうに テーブル席に着き、カウンターに立っている氷河の視線で彼の来店に気付いた瞬は、自分のカクテルグラスを手にして 彼の向かい側の席に移動した。

「そんなぁ。瞬せんせ、それはないでしょ!」
瞬の右隣りにいた女性客が不満を訴え、
「すみません。友人なんです」
瞬が、与える必要もない詫びを彼女に与える。
その場で瞬の行動を喜んだのは、遅れてやってきた復讐者一人だけだったろう。
カウンター席に着いていた客が全員、もちろん氷河も、瞬の振舞いを不満に思った。
イズマイルだけが、表情は険しいまま、その瞳だけを明るく輝かせる。
オーダーも確かめずに、氷河は先日と同じ酒をイズマイルのテーブルに運んでやったのだが、イズマイルは氷河に一瞥もくれなかった。

「あんた、学校の先生なのか」
「僕、これでも医者なの。病気になったら、僕のところに来て。ただし、僕は 顔のない人は診ないよ」
「医者 !? 」
瞬に 賢明な生き方を示唆されたことに気付いているのかいないのか、イズマイルが およそどうでもいいこと――彼の復讐には どんな関係もないこと――に驚き、瞬の顔をまじまじと見詰める。
氷河の店は、客が どの席に着いてもバーテンダーが その表情を確かめられるように フロアのあちこちに鏡が配置されているのだが、カウンターに背を向けている瞬が イズマイルの驚きを微笑で受けとめる様を、氷河は その鏡で確かめた。
瞬にしてみれば、その職業を意外に思われることなど、“女の子”と断じられることに比べれば 楽しいことでさえあるのだろう。

「僕を倒す秘策でも思いついた?」
「いや。だが、憎たらしい あんたの顔を見ていれば、復讐心が一層 強くなるだろう。臥薪嘗胆。薪の上に寝たり、苦い肝を嘗めるより、直接 あんたの顔を見ている方がモチベーションが上がる」
「会わずにいるだけで萎えるような復讐心なら、その復讐は しなくていい復讐だと思うけど」
「逃げようったって、そうはいかないぞ」
「逃げるつもりはないよ。いつでも受けて立つと言ったでしょう? 君が氷河でなく、僕を見ていてくれさえすれば」
瞬の声は大きくはないが、鏡に映る唇の動きで、瞬がイズマイルに何を言っているのかが、氷河には わかった。

「そんなに あの男が心配か? あんな奴を庇ったり 心配したりしても、いいことなんか 何一つないだろう。あいつは、自分の命を救ってくれた人間を平気で殺すような奴だ」
瞬の声に比して、イズマイルの声は通常ボリューム。その内容は、物騒の極み。
他の客の耳にも、もしかしたら イズマイルの声と言葉は入っていたのかもしれないが、幸いなことに、善良な市民には 彼の語る言葉はゲームか映画の話にでも聞こえているらしく、誰も その内容を不審に思っている様子は見せなかった。

「平気じゃなかったよ。カミュの時も 君のお兄さんの時も、氷河は とても悲しんで、とても苦しんだ。だから、僕は氷河を守りたいの。氷河が 二度と あんな思いをせずに済むように。勝手で ごめんね」
「勝手だってことは わかってるんだな」
「うん……。君は――君は、お兄さんが大好きだったんだね。君に、君のお兄さんを返してあげられたら いいんだけど……」
「……」
鏡に映る瞬の眼差しは切なげで、同情心に満ちている。
そして、カウンターから直接 確かめることのできるイズマイルの顔は、奇妙に歪み、引きつっていた。

「あんたは馬鹿だ。馬鹿すぎて、腹が立つ」
それが その夜のイズマイルの捨て台詞で、あれほど気に入っていたようだったウオッカを、彼はグラスに半分以上残して、店を出ていった。






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