星の数は“無限”の代名詞のように使われるが、この街では、星の数より人工の照明の方が はるかに多く、しかも明るい。
『でも、僕には、こんな街の中にいても、そして昼間でも、星が輝いているのが見えるよ』
微笑みながら、そして 真剣な目をして そう告げる瞬が、氷河は好きだった。
強く、聡明で、美しく優しい瞬。
だが、自分が瞬に惹かれるのは、そして 離れられないのは、その強さでも聡明でも美しさでも優しさでもない何かのためであるような気がする。
そんな瞬に向かって、イズマイルは、毒を凍りつかせたような言葉を吐き出した。

「……俺は、今は、氷河より あんたの方が憎い。あんたを苦しめたかったら、氷河を殺せばいいのか」
「君には無理だよ。氷河は強いの。もちろん、僕も君の復讐を阻む」
「氷河を苦しめ悲しませたかったら、あんたを殺せばいい――んだったな」
「うん」
「俺が もし あんたを殺したら、氷河は俺に復讐するのか」
「しないよ。僕が復讐なんて、そんなものを望まないってことを、氷河は知ってるもの」
「俺が もし 氷河を殺したら、あんたは俺に復讐するのか」
「しないよ。氷河が そんなものを望まないってことを、僕は知ってるから」

ビルの谷間に、少しだけ見える星。
その星より明るく温かい瞬の瞳を見ているのが つらいのか、イズマイルは 空の星を仰ぎ見るように 顔を上向かせた。
そして、ぼんやりと明るい都会の夜空に向かって、力なく呟く。
「あんたたちが羨ましい。俺は、アイザックが俺にどうしてほしいと思っているのかが、わからない。アイザックは いつも俺に優しかったが、俺はアイザックを いつも憎んでいたから」
「憎んでいた――って……。アイザックは君の お兄さんでしょう?」
「ああ、そうだ。フィンランドの最北、都会からも文明からも隔絶されたようなラップランド奥地の小さな村。その族長の正妻の息子と 妾の息子。アイザックは部族の期待の星で、何をしても俺より優れていた。そんなアイザックが俺に優しくしてくれるのは、誰からも期待され認められた未来の首長の傲慢からのことなんだと、俺は ずっと思っていた。俺はアイザックを嫌い、憎んでいた。アイザックが 俺を たった一人の兄弟として本当に愛してくれていたことを、俺はアイザックが死んで何年も経ってから――生まれた村から人が減って 村そのものが消えてから、息を引き取る直前の実母から知らされたんだ」
「そう……」

「俺に どうしろっていうんだ! 詫びたくても、アイザックはもういない。アイザックを信じず 憎んでいた自分を――自分で自分を恨むことや憎むことはできない。俺には 憎む相手が必要だった。アイザックの仇を討てば、アイザックが喜んでくれると信じることが必要だったんだ! 俺にだって、それが俺の逆恨みだってことはわかってるんだ。アテナの聖闘士は地上世界の平和を守るために戦う者。で、アイザックと戦った時の氷河もそうだったんだろうって、俺は それも ちゃんとわかってる」
わかっていても、イズマイルが生きていくためには、自分の外に 憎む相手が必要だったのだろう。
自分は兄を憎んでいたと イズマイルは言うが、兄の仇を討つため、兄への贖罪を果たすために、こんな極東の国までやってきたというのなら、兄を思う彼の心が、それほど強く激しいものであることは事実なのだろう。
イズマイルが“憎しみ”と呼ぶものは “愛”と呼んでいいものだと、二人の黄金聖闘士たちは思っていた。

「あのね、イズマイル。氷河は優しいの。地上の平和を脅かすことをしない人には、とっても優しいの。だから、もし君が生きていくために憎む対象が必要なのなら、氷河は君に憎まれ続けてくれるよ。もちろん、君が氷河に復讐しようとしたら、それは僕が阻むけど」
そうしているうちに、イズマイルは いずれ復讐とは別の生きる目的を見付けることができるだろう。
それが瞬の提案だった。
瞬は人の弱さを知っているが、人の強さを信じてもいる。
そんな瞬を、氷河は知っていたから――瞬の提案には、氷河にも特段の異議はなかった。
瞬のその提案は 実際的で建設的なものだとも、氷河は 思ったのである。
瞬の提案に異議を唱えてきたのは、その提案をされたイズマイル当人だった。

「だから、俺は 今は あんたが憎いと言っただろ! そんなふうに、当たりまえのことみたいに 互いを信じ合ってて、わかり合えてる あんたたちが、俺は憎いんだよ!」
「なら、僕たちを憎めばいい。僕たちは、それで構わないよ。君に倒されてあげることはできないけど」
事もなげに瞬が言う。
そんな瞬の上に 改めて視線を戻し、イズマイルは苦しげに眉根を寄せた。

「帰る」
随分と長いこと、無言で瞬を見詰めていたイズマイルが、やがて短くぽつりと呟く。
「え……」
「一人になって、これからどうするか考える」
「あ……うん。あの……捨て鉢にならないでね。僕、昔、アイザックがどんな人だったのかを、氷河から 何度も聞かされた。直接アイザックを知らない僕が言うのは おこがましいことだけど、アイザックは 君が幸せになることを願ってるよ。君のお兄さんは そういう人だったと、僕は思う」
「……」

イズマイルの目には、まだ 迷いの光しかなかった。
彼は、自身のこれからの生き方を決めかね、瞬の人の好さに呆れ、戸惑ってもいる。
それがわかっていても、アテナの聖闘士にできることは ここまでだった。
彼が地上の平和を脅かす邪悪の徒にでもならない限り、アテナの聖闘士は他者の人生や運命を決めてやることはできないのだ。

無言で、もう一度 瞬の瞳を見詰め――それから、イズマイルは 二人のアテナの聖闘士に背を向けて、街の人工の灯りの中に その姿を溶かしていった。






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