住人が魔法使いなのか、鬼婆なのか、自分の妻をターゲットにした連続殺人者なのかは わからないが、その城館は――城館自体は、豪奢なものだった。
規模は さほど大きなものではないが、レンガと鉄製補助剤でできたゴシック様式。
尖塔アーチが幾つもあって、それらが挑むように空に突き刺さっている。
こんな人里離れたところに、魔法を使わずに こんなでかい城を建てたのなら、そいつの経済力は かなりのものだ。
資材を運ぶだけでも、一苦労だろう。
この城が せめて もう少し人気のある場所に建っていたら、俺は この城を どこぞの王族もしくは相当の大貴族の別荘か何かだと思っていたに違いない。
いや、こんなところに建っていても、その可能性は皆無ではないか。
うんざりするほどの金と権力を持っている人間が、偏屈な人嫌いの変人だというのは、よくあることだからな。

魔法使いと偏屈な人嫌いとでは、どっちの方が今の俺に都合がいいのか。
そんなことを考えながら、俺は、その城館の 重たげな扉の前で、声をあげて 自分の来訪を告げたんだ。
門兵は立っていなかった。
ドア自体は鉄製。そこに青銅の凝ったレリーフが嵌め込まれている。
“重たげな扉”ではなく、“重い扉”だな。
その重い扉が、やがて少しだけ開けられて、そこから小間使いらしき若い女が顔を覗かせた。
「どなたですか」
と訊いてきたのは、南方訛りのきついロシア語。
してみると、ここはロシアなのか。

俺は、
「どうやら、俺は、いわゆる行き倒れらしい」
と、自分にわかること(それは、わからないことでもある)を正直に告げ、この城に泊めてほしいと頼んだんだ。
小間使いは何も答えずに 顔を引っ込め、まもなく そこに 黒いビロードの上着を着た 一人の年配の男を連れてきた。
この城の主ではなく、この城の執事らしい。
まあ、こんな城の主が、行き倒れ(らしい)男の顔を見るために わざわざ出てくるはずはないか。
男は、俺の顔や姿をじろじろと品定めでもするように眺めまわし――そいつの眼鏡に適ったのか、俺は城の中に入ることを許されたんだ。

名乗る名を知らない俺は、当然 名を名乗らなかったし、執事は俺を怪しんでいるようだったのに、それでも何も言わず――もとい、『お疲れでしょう』と言って、俺を やたらと立派な部屋に案内してくれた。
おそらく、この城館の主人の部屋。
そうでなかったとしても、賓客用の客室だ。
暖炉には火が入れられ、寝台には天蓋がついている。
ここまでのサービスは、俺も期待してはいなかったんだが。
俺は、とりあえず、真冬の屋外で夜を明かさずに済み、軽く腹ごなしができれば、それで十分と思っていた。

ともかく 執事は、名も身分も告げず 無理に この城に転がり込んだも同然の俺の方が面食らうほど見事に、俺に何も訊かなかった。
この城が魔法使いや鬼婆の城で、この城が ここに建っている目的が、道に迷った旅人を誘い込むこと、迷い込んできた旅人を食らうことだというのなら、俺の名前や身分なぞ どうでもいいものだろうが――少なくとも、執事と小間使いは普通の人間に見えた。
妙に古めかしい服を着てはいるが――小間使いの これは、民族衣装なんだろうか? ――普通でない力は感じられない。
俺に危害を加えられるような どんな力も備えていない、ごく普通の人間だ。

それとも、この辺りでは、信教の関係で、旅行者には親切にしなければならないことになっているんだろうか。
確か、コーランには『旅人には、3日間まで、無償で宿と食事を与えるように』という記述があったはずだ。
まあ、この館の住人がイスラム教徒ということは、まず考えられないが。
ムスリムの女が、家族以外の男に髪を見せるはずがない。
俺の部屋に食事を運んできた小間使いは、長い黒髪を首の後ろで一つに まとめてはいたが、髪を隠そうとはしていなかった。
それどころか、自分を飾ること以外 どんな役にも立ちそうもないリボンをつけていた。
どう見ても、彼女はイスラム教徒ではない。
その小間使いは、明日になったら、山向こうにある村から食材を運ばせて、もう少し まともな食事を提供すると、申し訳なさそうな様子で俺に告げた。
パン、スープ、獣肉の燻製と魚の燻製。
その食事は、俺には十分“まとも”なものに思えたんだがな。

贅を尽くしたものではあるが、華やいだ空気は感じられない この城で、彼女は退屈していたらしい。
彼女はまだ10代、黒服の執事は、おそらく40代後半。
まあ、同じ話題で盛り上がれる組み合わせの男女ではないな。
そのせいかどうか、彼女は誰かと話をしたかったらしい――声を出すという行為をしたかったらしい。
俺が 少し水を向けると、隠す様子もなく、この城のことを あれこれと教えてくれた。
何でもいいから 声を出して喋りたがっていた、その小間使いの話によると。

この城には、俺を出迎えた執事と小間使いの他に、執事より年かさの料理人の女が一人と、主に建物の保全作業を仕事にしている下働きの男が二人、合わせて五人の使用人がいるのだそうだった。
主人は不在。
俺が来たから、明日から人手を増やすことになるようだと、彼女は言った。
『行き倒れの男が一人 やってきただけなのに、なぜ?』と俺が問うと、『そうしなければならないと、執事が言っていた』という、要領を得ない答えが返ってきた。
人里から離れているといっても、この城は 完全に人界から隔絶されているわけではないらしい。
人手を増やすと決めたら、翌日から増やせる程度には、外界とのつながりがあるらしい。
してみると、ここは やはり、大金持ちの偏屈が 他人に煩わされることなく、だが 不便のない暮らしをするために建てた別荘のようなものなんだろうか。
不可解なことに、小間使いも執事も、俺が わざと名を名乗らないのだと思っているようだった。






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