寡作というわけではないのだが、積極的に自分を売り出すこともしてこなかった氷河が、それまでに注文を受けて制作した作品の数は多くなく、瞬はフィレンツェにある氷河の作品をすべて 見てしまったらしい。
瞬が『あのマリアを描いた人に会いたい。見たい。話をしたい』と切望しているという話を 氷河の許に運んできたのは、またしてもリヴォルノ侯爵だった。
「好奇心旺盛で物見高いのは、無責任な噂を流している第三者たちだけではなかったのか」
パトロン志願なら、後援したい芸術家を 静かに画業に いそしませてほしいと思う。
それとも この老侯爵は、競作相手の情報を もう一方の競作相手の耳に入れることが芸術家への刺激になり、芸術家の創作意欲が増すとでも思っているのだろうか。
もしかしたら、この老侯爵が 本当に後援したいのは瞬一人きりで、彼は本心では もう一方の画家が潰れてしまうことを望んでいるのではないか。
氷河は つい そんなことまで勘繰ってしまったのである。

その勘繰りが正鵠を射たものなのかどうかという問題は さておいて、リヴォルノ侯爵が フィレンツェの希望の二つの光を出会わせたいと考えているのは事実のようだった、
老侯爵は、しれっとした顔で、
「君が次に新聖堂の下見に行く時を、瞬に知らせておいた」
と、氷河に告げてきたのだ。
パトロン志願の老侯爵の真意が掴めず、かといって 彼の真意を確認するために改めて大真面目に問い質すのも面倒で、氷河は口をつぐんだ。

「迷惑かね。君は、あの温かいマリアを描いた画家当人には関心はないか」
「……」
「だが、私は、瞬の絵の感想は聞けなくても、瞬自身の感想は聞きたいのだ。君から、ぜひとも」
リヴォルノ侯爵は、氷河の不機嫌そうな顔を見ても 全く悪びれた様子を見せず、どこまでも幼い子供のように好奇心旺盛である。
あくせく働かなくても食うに困らないフィレンツェ有数の資産家が心底から求めているのは、優れた芸術家のパトロンとして功名心を満足させることでも、フィレンツェの芸術の隆盛に寄与することでもなく、ただ ひたすら老後の娯楽。
それで十中八九 間違いないと、リヴォルノ侯爵の楽しそうな笑顔を見て、氷河は確信した。






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