瞬の重苦しい心とは裏腹に、フィレンツェ市民は 二人の描いた一対の天使を絶賛した。 フィレンツェの町に輝かしい栄光を甦らせる二つの光。 天上のマリア、地上のマリアに続き、一対の大天使が市民の前に登場する頃には、二人の画家は不仲であるというのがフィレンツェ市民の常識になっていたのだが、その事実(風聞)すらも、フィレンツェ市民には吉兆と受け取られていた。 フィレンツェ・ルネサンス黎明期の光だったブルネレスキとギベルティは、そもそもコンペティションの勝者と敗者、フィレンツェ・ルネサンス黄金期の光だったレオナルドとミケランジェロも仲はよくなかった。 レオナルドは『絵画は、詩や音楽や彫刻等 あらゆる芸術や学問に勝る最高の芸術である』と主張して彫刻家ミケランジェロを腐しており、ミケランジェロは『絵画は彫刻の模倣にすぎない』と言って、画家レオナルドを揶揄している。 二人の天才は、たとえ不仲であっても――むしろ、不仲であるからこそ――それぞれにそれぞれを刺激し合い、己れの画業を高めていくだろう。 そして、フィレンツェに再び芸術の都としての栄光をもたらしてくれるだろう。 そんなふうに、二人の不仲な天才への市民の期待は膨れ上がる一方だったのである。 二つの光が描いたミカエルとラファエルが絶賛される中、氷河と瞬は、次作イエスとヨハネの制作に取りかかることになった。 瞬が描くのは洗礼者ヨハネ。氷河が描くのは救世主イエス――瞬が描くのは人間ヨハネ、氷河が描くのは神の子イエス。 より天上に近いところに在るイエスを氷河が描き、人間にすぎないヨハネを自分が描くのは妥当だと思う。 その決定に関しては、瞬にも異存や不満はなかった。 これまでに描いたマリア、ミカエルは市民に絶賛され、ローマやヴェネツィアから二人の絵を見るためにフィレンツェにやってくる旅行者も増えている。 マリアのコンペティション以前に比べれば、瞬の制作環境も格段によくなった。 以前は 絵の具を作るのに一日がかりだったが、今では その作業を兄弟子たちが行なってくれる。 今では 瞬には 絵の制作にだけ没頭できる環境が与えられているのだ。 その上、自分の描いた絵を 多くの人に喜んでもらうこともできている。 瞬には どんな不満もなく、迷いもない――はずだった。 自分の描いた絵を称賛されることは嬉しかったが、人に作品を褒めてもらえなくても、瞬は絵を描くことはできた。 描くことが好きだったし、他にできることもない。 いずれにしても――たとえ その胸中に どんな迷いがあっても――瞬は描くしかなかったのだが。 トスカーナ大公からの正式な注文を受け、その制作にとりかかってから、瞬は――氷河も――聖堂に出向く機会が増えていた。 絵の置かれる位置の確認、そこに日がどう当たるのか、天気によって その強さ明るさはどう変化するのか、聖堂で絵を見る者たちの視線の高さや動き等、画家には確かめなければならないことが多くあったから。 絵を描くために必要だから行くのだと、瞬は自分に言い訳をして聖堂に出掛けていく。 そこで氷河に会えるのが、瞬は嬉しかった。 挨拶をしても、話しかけていっても、答えは返ってこなかったが、氷河の視線は感じたし、何より氷河の姿を見られることが、瞬は嬉しかったのである。 最初のうちは。 ――だが。 聖堂に行けば、氷河に会える。 そして、必ず無視される。 そんなことを繰り返しているうちに、瞬は 徐々に『これなら会えない方がましだ』と思うようになっていったのである。 氷河に出会い、無視されて沈む心が、瞬から意欲と自信を殺いでいった。 氷河が描いたマリアを初めて見た時の心の高揚。 自分には決して描けない荘厳のマリア。 このマリアを描いた人の心を知りたいと切望し、胸を騒がせた日々。 画家に出会い、青い宝石のような瞳に冷たさと情熱を同時に見い出し、その謎を知りたいと思い、自分に似たラファエルに戸惑い――戸惑いながら、瞬には少しずつ氷河の心が わかるようになってきていた。 その人の創る作品を見れば、その人の心に触れることができる。 しかし、それは その人の心の全部ではなく一部にすぎない。 氷河の心の一部に触れることができたと思う側から、氷河の心は別の深淵の存在を瞬に示してくる。 全部を知りたいのに、氷河は その心のすべてを さらけだすことは決してしない。 だから、追う。 そうしているうちに、瞬は気付いたのである。 自分は氷河の心をすべて捉えられないことが つらいのではない。 人間の心は、誰の心も深く広く、その全容を捉えることは、神ならぬ身の人間には 到底 不可能なことなのだ。 それは 最初から わかっていたこと。 自分は もっと単純に――ただ氷河に無視されることが つらいのだと、やがて 瞬は気付いてしまったのである。 彼に褒めてほしいわけではない。 貶されてもいい。 だが、無視されることはつらい。 つらくて――瞬が聖堂に行く頻度は減っていた。 あれほど好きだった“絵を描く”という行為に喜びを感じることができなくなり、描きたいものを描き切れない自分の未熟が もどかしく、じれったく――。 どうして そんな気持ちになるのかが わからなくて、ただ泣きたい。 いったい 何が、自分の心を これほど不安定なものに変えたのか。 いったい 自分は いつから これほど頼りないものになってしまったのか。 それが、瞬には わからなかった。 フィレンツェ中が二人を好敵手と見なし、期待している。その画業の大成を期待している。 そうリヴォルノ侯爵に言われた時にも、それを重い負担だと感じることはなかったのに――。 いつしか瞬は、マリアを描いていた頃の瞬とは 違う瞬になりつつあった。 そして、そんな ある日。 絵筆を持つのが つらくなって、絵筆を取り落とし、瞬は愕然としたのである。 自分は、氷河の描く神聖で気高いマリアに無意識のうちに打ちのめされて、描くことができなくなってしまったのだろうか? ――と、瞬は疑った。 それ以前は――氷河の描いたマリアを見、氷河に出会う以前は――瞬は 自分の描くものに納得できないというようなことはなかった。 小さな花 一輪を描写することすら楽しかった。 子供の頃は、どれほど下手でも、絵を描けること自体が嬉しかった。 もし氷河の描いた絵に出会ったことで 自分に何らかの変化が生じ、絵を描くことができなくなってしまったというのなら、絵を描けない自分が生きていることに、どんな意味があるのだろう? そう、瞬は思ったのである。 瞬は、絵を描くこと以外に生産的なことができる自信がなかった。 様々な花や 小動物――子供の頃から、綺麗な絵を描けば 皆が喜んでくれた。 マリアを描けば、自分と同じように母のない子供たちが喜んでくれた。 その延長線上に、瞬の画業はあったのである。 それができなくなることは、瞬には恐怖以外の何物でもなかった。 ギベルティとブルネレスキは、レオナルドとミケランジェロは、ライバルの才能に圧倒され苦しむことはなかったのだろうか。 なかったとしたら、それは、彼等の精神が並外れて強靭だったからなのか。 それとも、自分は天才だという自負に支えられてのことだったのか――。 否。 そうではないだろう。 彼等はただ、実際に天才だったのだ。 だから 彼等は、彼等のライバルと反発し合い、対立し合うことはあっても、ライバルに無視されることはなかったのだ。 「そっか……そういうことだったんだ……」 声に出して小さく呟いた途端、瞬の身体と心からは すっと力が抜けていった。 何が“そういうこと”なのか、はっきり わかったわけではない。 ただ何となく、“そう”だったのだと思った。 皆が喜んでくれるから絵を描き続け、幸運にも 絵を描く技術を学ぶ機会を与えられ、それが嬉しくて絵を描き続けているうちに、自分は誤解してしまった――錯覚してしまったのだ。 自分は何かを描ける人間なのだと。 しかし、それは誤解――錯覚でしかなかった。 事実、自分は 氷河の素描一枚をそれなりに描くことすらできないではないか――。 瞬は、自室の内を――自分の周囲を見まわした。 今はヨハネを描かなければならないのに、周囲にあるのは 氷河の素描ばかり。 しかも すべてが描き損じ。 そんなことしかできない人間が 思い上がって、自分を画家だと思っていられたことが、そもそも おかしかったのだ。 氷河に無視されるのも当然。 本当に、自分は何を思い上がっていたのだろう。 今となっては、瞬は、絵を描くことに喜びを感じていられた頃の自分が不思議でならなかった。 |