あなた






「魂って、永遠に変わらないもんなのか?」
ギリシャ聖域に向かうジェットヘリの中。
星矢が突然 そんな素朴な疑問を口にした原因は、1個の中華まんだった。

1個の中華まんといっても、ただの中華まんではない。
特大の中華まんである。
某中華料理店で、毎年 秋から冬までの期間限定で売り出す、豚肉、筍、椎茸、マッシュルーム、海老、ウズラの卵と銀杏が入った贅沢な一品。
去年の秋、初めて その存在を知った星矢は その中華まんが いたく気に入り、土曜日を中華まんの日と決めて、中華まんシーズンが終わるまで毎週欠かすことなく それを食していた。
今年も例年通りに販売開始というので、早速購入。
聖域に向かうヘリの中で食べようと持ち込んだ、星矢 お気に入りの中華まん。
その中華まんの味が、昨シーズンまでのそれとは 微妙に変わってしまっていたのだ。
それも、星矢の好みから外れる方向に。
「諸行無常って、こういうことを言うんだなー……」
それで すっかり意気消沈してしまった星矢は、この世に不変のものはないのかと、突如 哲学的思索に耽りたい気分になってしまったのだそうだった。

「YOURS EVER だったっけ? ハーデスが 瞬に唾つけたって主張するために、パンドラ経由で 赤ん坊だった瞬に押しつけたペンダント。瞬が 地上で最も清らかな魂の持ち主だってことには、俺も異議は唱えないけどさ。でも、人間の魂って、永遠に変わらないものなのか? 生まれた時に清らかだったら、ずっと清らかで い続けるものなのか? 同じ店、同じ商品名の中華まんの味ですら変わるっていうのに?」
星矢の呻きは、嘆き節なのか恨み節なのか。
それは 星矢の仲間たちにも わからなかったのだが、ごく自然に 中華まんの味が 人間の魂の在り方に 結びつく星矢の哲学(?)に、彼等が感嘆(?)したのは 紛う方なき事実だった。
ヘリの中に空いた席は いくらでもあるのに、今日も氷河は しっかり瞬の隣りの席に陣取っている。
星矢の哲学的疑念に 最初に意見を述べたのは、そんな氷河に距離を置き、だが、そんな氷河を きっちり見物できる席に着いていた某龍座の聖闘士だった。

「実に根本的なところを突いてきたな。が、まあ、常識的に考えれば、それは不変のものではないだろう。人の魂をどう定義するかにもよるだろうが、一般的な解釈で、人間の魂を“人間の身体に宿って 心の働きを司るもの”とするなら、魂は美しくも醜くも変化成長するもの。将来 どう変わるか わからない赤ん坊の瞬の魂の清らかさを見込んで、ハーデスが赤ん坊だった瞬に 所有権主張のペンダントを押しつけたのは、運命や未来を見通す力がハーデスにあったのだと考えるのが妥当なのではないか? ハーデスには、赤ん坊の瞬の魂の清らかさが 大人になっても守られるということが わかっていたんだろう」
「アテナの聖闘士ともあろうものが、乗り物酔いか? なに、とぼけたこと言ってんだよ、紫龍。ハーデスに未来を見通す力があったなら、奴は アテナに戦いを挑んで倒されたりなんかしなかっただろ」
「む……」
星矢は、本当に 根本的なところを突いてくる。
信じていた中華まんに裏切られた星矢の思考は、平生の5割増しで 鋭いものになっているらしい。
紫龍は、星矢のその意見に反論できなかった。

「生まれたばかりの赤ん坊は、みんな無垢じゃん。清らかじゃあ ないかもしれないけど、汚れてはいないよな? 人間が大人になるにつれて、その魂が汚れていくか、もっと美しくなるか、現状維持か。それは 人間が生まれた時点では、神様にだって判断できないもんだろ? なのに、どうしてハーデスは瞬を選んだんだよ? 結果的に大当たりだったけど、たとえば瞬が最初の くじ引き通りにデスクイーン島に送られていたら、瞬も一輝みたいに ぐれて帰ってきてたかもしれない。そんで、一輝の方が清らかになって帰ってきてたかもしれないだろ」
「……」

星矢は 本気で そんなことを言っているのか。
星矢の本気度を確かめるために、紫龍は、通路を挟んで2席 離れた席に着いている星矢の方に視線を巡らせたのである。
そこにあった星矢の顔は、いたって真面目。
少なくとも、星矢は へらへら笑ってはいなかった。
当然である。
これは 人間が その命を維持継続するために必要な 食べ物に関わる重要な問題なのだ。

「確かに。いっそ、その方がハーデスの依り代が一輝になって よかったかもしれないな」
味が変わってしまった中華まんに真剣に憤っているらしい星矢の言に紫龍が首肯する。
そんな紫龍とは対照的に、ハーデスが( = 自分以外の男が)瞬に関わらないでいてくれる事態を 誰よりも望んでいるはずの氷河が 苦虫を噛み潰したような顔になったのは、“フェニックス瞬”が嫌だったからなのか、それとも“アンドロメダ一輝”が嫌だったからなのか。
ともあれ、氷河は、紫龍が口にした仮定文に 遠慮会釈なく渋面を作った。

「えーっ、一輝とハーデスがタッグを組むなんて、恐すぎだろ!」
自分が言い出した話だというのに、星矢が紫龍に反対意見をぶつけてくる。
紫龍は、星矢の反対意見にも、気を悪くした様子を見せずに首肯した。
彼が口にした仮定文は、決して実現しないことを承知の上での希望にすぎなかったのだ。
「その心配は無用だろうな。どんなことになっても、ハーデスが 一輝を 自分の魂の器にすることはなかっただろうから」
「なんでだよ。一輝は、どこに行っても ぐれて帰ってくるっていうのか?」
「そうは言っていない。そうではなく――つまり、一輝はハーデスの好みのタイプではないんだ」
「へ」

真面目な時と ふざけている時の判別が容易な星矢と違って、紫龍は(その本音はどうあれ)恒常的に真顔である。
紫龍の真面目な時と ふざけている時の判別は、命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間たちにも 極めて難しい(案外、それは紫龍当人にも わかっていないことなのかもしれない)。
が、冗談であっても 真面目な意見であったとしても、それは星矢には大いに納得できる意見だったらしい。
「納得」
「それは道理だ」
瞬がハーデスに白羽の矢を立てられたことを 決して快く感じてはいないはずの氷河までが、紫龍の その決めつけには全く異議を唱えなかった。
おそらく、この場に 一輝がいたなら、一輝も喜んで(?)納得していただろう。
自分がハーデスの好みのタイプであることを、一輝が嬉しく思うことは考えられない。
一輝がハーデスの依り代に選ばれることはないという紫龍の判断の根拠に 納得できずにいるのは、その場では瞬一人だけのようだった。

「そんなことないよ。僕は もちろん、兄さんに ハーデスの依り代になってほしいと思ってるわけじゃないけど、一輝兄さんは、強くて優しくて、正義を重んじる清廉潔白の士。兄さんは僕なんかよりずっと高潔で清らかだよ」
“清らか”の定義も人それぞれである。
瞬には、自分の兄が清らかな魂の持ち主に見えているらしい。
そして、それ以前に 瞬は、紫龍の言う“ハーデスの好み”の内容を誤解しているようだった。
“地上で最も清らかな魂の持ち主。ただし、美少年に限る”という、ハーデスの好みを。

「おまえは そう言うけどさ。清らかな人間ってのは、『頼る親のない孤児は 拳で成り上がるしかない』なんてことは 絶対に考えないと思うぜ?」
「……」
お気に入りの中華まんの変貌のせいで 気持ちがすさんでいるのか、今日の星矢は 瞬に対しても容赦がない。
星矢の指摘に反駁の言葉を思いつけなかったらしい瞬は、半分 泣きそうな目になって眉根を寄せることになった。
その様を見てとった紫龍が、迅速に、瞬の心の慰撫と 仲間たちの仲裁作業に取りかかる。

「まあ、その、何だ。一輝のことは さておくとして、魂が不変という考えは、確かに一般的なものではないだろうな。仏教等では、魂は輪廻転生を繰り返し、成長するものだということになっている。この世は魂の修行の場、人間は 肉体を通して 喜びや悲しみを経験し、慈愛に目覚め、それによって 人の魂は霊的に高い次元へと移行する――というわけだな。キリスト教には転生の思想はないが、ただ一度きりの人生をどう生きたかで霊魂の最終的な姿が決定し、最後の審判で裁かれる。生きている間に 清らかな魂を育むことができた者は天国へ、その魂を汚した者は地獄行きというわけだ。ギリシャは――死んだ人間が植物や動物に生まれ変わる変身物語は多いが、人間の魂の転生の思想はないから、仏教よりはキリスト教の方に近いと言っていいだろう。ただ 一度の人生をどう生きたかで、エリシオンの住人になれるかどうかが決まる」

「てことはさ。転生するにしても、一回こっきりの人生でも、人間の魂は、その人間が生きているうちに 清らかにもなるし、汚れもするってことだよな? 魂はやっぱり不変じゃなくて、変わるもんなんだ。なのに ハーデスは赤ん坊の瞬に、これは自分のものだっていうペンダントを押しつけた。それって、どう考えても変なことだろ。人は生きていれば変わってく。人間の魂も、中華まんと同じなのに」
「僕、ハーデスはただ、僕が清らかな人間だと勘違いしただけだと思うけど……」
「勘違いかなあ? ま、どっちにしても、おまえがハーデスの好みのタイプだったのは 疑いようのない事実だよな。おまえは あんまり嬉しくないだろうけどさ」
「……」

もちろん 瞬は嬉しくなかった。大いに嬉しくなかった。
だから、そういう顔になった。
きゅっと、少々 きつめに唇を引き結ぶ。
瞬の隣りの席で その様子を見てとった氷河は、瞬に そんな表情を作らせることになった星矢を睨みつけたのである。
一輝より瞬を好むハーデスの嗜好はわかるが、だからといって ハーデスが瞬にちょっかいを出すことを致し方なしと許すことはできない。それは極めて不愉快。
そして、瞬の魂を中華まんと同列に語られることも はなはだ不愉快だった氷河は、不愉快の連鎖を断ち切るために、魂と中華まんの変化と不変に関する星矢の哲学的思索を、そこで終わらせることにした。






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