「変わってしまった中華まんの味は、魂の不変について考察しても 元には戻らん。潔く諦めろ。どうしてもハーデスの振舞いについての考察をしたいのなら、もう少し地に足のついたことを考えるんだな。魂の不変なんて小難しいことを いくら考えても、おまえの頭で答えに辿り着けるとは思えん。考えても、時間を無駄に浪費するだけだ」
氷河の言い草も 随分と失礼である。
味の変わった中華まんへの嘆きを軽々しく扱われた星矢は、むっとなった。
「地に足のついたことって、どんなことだよ」
思いきり口を尖らせた星矢に そう問われ、氷河が しばし考え込む素振りを見せる。
氷河は、星矢に 瞬の魂の考察をやめさせたかっただけで、代わりの議案など考えてもいなかったのだ。

とりあえず 氷河が思いついた“地に足のついた”議案。
それは、
「たとえば、ハーデスの あのペンダントに刻まれていた文言は なぜ英語だったのか――という問題はどうだ」
だった。
氷河が提示した議案について、
「そりゃ、ギリシャ語で書かれても、読めない奴が多いからだろ」
と、すぐさま 星矢から 答えが返ってくる。
それは、星矢には考察するまでもない問題だったのだ。
少なくとも、中華まんの味以上に重要な問題ではなかった。
星矢の即答に、今度は氷河が むっとした顔になる。

価値観が違いすぎる二人の間に、価値観が違いすぎるゆえに生じた険悪な空気。
紫龍などは、星矢と氷河が どれほど険悪な空気をかもしだしても、ジェットヘリの機内で小宇宙を燃やすようなことさえしなければ無問題――くらいの気持ちで 気楽に構えているようだったが、責任の一端が自分にあると思っている瞬は、紫龍のように のんびりしてもいられなかった。
慌てて、その場の険悪な空気を治めるために動き出す。

「星矢。魂の不変とか、そんな難しいことを考えなくても……。そんなに去年までの味が好きだったのなら、去年までの味を味わいたいって、お店に要望を出してみたらいいんじゃないかな」
「店に要望? そんなことできるのか? それで元の味に戻るのか?」
「元の味に戻るかどうかは わからないけど、新旧両バージョンの中華まんを販売するようになってくれるかもしれないでしょ。(たち)の悪いクレーマーだと思われないように、そのお店の中華まんのファンだっていうことを しっかり伝えて、あくまでも要望っていう形で訴えてみるの。人気店の目玉商品なら ファンも多いだろうし、案外 星矢と同じ意見が多く寄せられてるかもしれない。何事も お客様あってのことだもの。よほど頑固な経営者でない限り、お客様の意見を無下に退けたりはしないと思うけど」
「へー、そんなこともあるんだ。ま、こんなとこで ぶつぶつ文句 言ってるよりは、その方が建設的で前向きだよな。もしかすると もしかするかもしれないし」

そんなふうに地に足のついた対処方法があったとは。
魂の不変可変を考察しているよりは はるかに現実的で 地に足のついた対処法を瞬に教示され、微かな希望の光が見えてきた星矢は、途端に哲学的思索に興味がなくなってしまった。
だから、星矢が、ヘリに同乗していた沙織に、
「沙織さん。ハーデスが赤ん坊だった瞬に目をつけた理由が、沙織さんには わかってるのかのか?」
と尋ねていったのは、彼自身が哲学的思索の答えを得ることを望んでいたからではなく、彼に 地に足のついた対応法を教えてくれた瞬のためだったろう。

星矢が希望の光を見い出したことで、ジェットヘリ機内の険悪な空気は半減した(氷河はまだ不機嫌なままだった)。
それで安堵の息を洩らした瞬の表情は、だが、完全に明るく晴れやかなものには なっていなかったのである。
なぜ ハーデスは、清らかでなくなるかもしれない魂を持つ赤ん坊に、あのペンダントを与えたのか。
その答えがわかっていれば、自分は、ハーデスに身体を支配され 冥府の王の地上支配の企みに加担させられる事態を回避できたのかもしれないという思いが――悔いが――瞬の心に根を下ろしてしまったらしい。
瞬を そんなふうにしてしまったことに、星矢は責任を感じたのだ。

それまで 中華まんにも魂の不変にも興味を示さず、建築用石材のカタログを眺めていた沙織が、おもむろに顔を上げる。
彼女は、彼女の聖闘士たちの 低俗なのか高尚なのか わからない議論を 全く聞いていなかったわけではなかったらしい。
特に戸惑うふうもなく、沙織は 星矢の質問に答えてきた。
「そうねえ。それは、なぜ聖戦が二百数十年に一度しか起きないのかということを考えれば わかることなのではないかしら」
「聖戦が二百数十年に一度しか起きない訳? え? それって、アテナの封印の有効期限のせいじゃないのか?」
「そんな理由のはずがないでしょう。あの封印は、封じられた者には破ることはできないけど、無関係の人間の手でなら 簡単に破ることのできるものよ」

言われてみれば、その通りである。
『有効期限中は絶対に破られることがない』と保証されているのなら、二百数十年間もの長きに渡って、天秤座の黄金聖闘士がハーデスの封印を監視している必要など なかったはずなのだ。

それはさておき。
星矢の哲学的思索の答えを、どうやら沙織は知っているようだった。
「知ってるなら、勿体ぶらずに、その訳を教えてくれよ」
「それは 自分で考えなさい」
そんなことを言われても、中華まん問題についての解決策が見えてきた星矢は――星矢自身は、“自分で考える”などという面倒なことをしてまで その答えを手に入れたいわけではないのだ。
そこまでのことをしようとする意欲と情熱は、もはや星矢の中にはなかった。

「俺はもう、その訳は わかんなくてもよくなっちまったんだけどさ。その訳、今後のために、瞬が知りたいみたいだから。そうなんだろ、瞬」
「え」
星矢に水を向けられた瞬が、暫時 ためらってから、遠慮がちに、ごく浅く 首肯する。
「それは……知りたいですけど……」
沙織は そんな瞬を見詰め、
「自分で考えなさい」
という言葉を、涼しげな顔と声で繰り返した。






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