アテナの思惑が そこにあるのなら、彼女の聖闘士たちは 彼女が彼女の聖闘士たちに知らせようとしていることを知らなければならないだろう。 そのために、彼等は、ハーデスのペンダントを身につけている その子供に、それが なぜ、いつ、誰によって、どういう経緯で 彼の胸を飾ることになったのかを確かめなければならなかった。 過去の人間との接触を できるだけ少なくしたかったので、世話係の女性が城内に戻っていった機を捉え、小さな少年の前に姿を見せる。 その子供は、突然 目の前に現れた見知らぬ人間の姿に驚いた様子を見せなかった。警戒する様子も見せない。 “敵”がいないのなら 警戒心のない子供というものもいるだろうが、どこからともなく ふいに現れた見知らぬ人間に驚く様子を見せない子供の存在は、奇異と言っていいだろう。 だが、その子供は 驚いた様子は全く見せず、屈託のない目と声で、 「あなた方はだあれ? 神様のお使い?」 と、瞬たちに尋ねてきた。 「神様の お使いだから、そんな変わった服を着ているの? フランスでも イングランドでも、そんなふうな服は見たことがない」 「ハーデスが目をつけたにしては、十人並みのツラだな。このガキは、どう見てもハーデスの好みから外れているぞ」 日本語は わからないと思って、氷河は言いたい放題である。 軽く彼を睨んでから、瞬は こころもち腰を屈めて、その子供に名を尋ねた。 「これは 動きやすさを重視した服なの。君、お名前は?」 「ジョン」 「ジョン?」 “ジョン”という名は、イングランドの王室では 忌み嫌われている名前――と、瞬は記憶していた。 13世紀初頭に即位したイングランド史上最悪の君主ジョン欠地王の不人気が その原因というのが通説だが、ジョン王以降 イングランド王家には ジョンの名を冠した王は一人もいないし、そもそも王家の男子にジョンという名がつけられることが ほとんどなかったはず。 さすがにイングランド王家の男子全員の名を憶えているわけではないので、ジョンという名を冠し『殿下』と呼ばれる この少年が何者であるのかは、瞬には わからなかったが――瞬は少し 嫌な予感がした。 が、瞬は すぐに その嫌な予感を振り払ったのである。 彼が何者であれ、今 瞬の目の前にいるのは、素直な目をした純真な子供なのだ。 そして、アテナの聖闘士にとって重要な問題は、その純真な子供の胸でハーデスのペンダントが きらめいているということだった。 「そのペンダントは、ご両親からの贈り物?」 「ううん。これは他の神様の お使いからもらったの。ちょっと前に、父上が、羽が真っ青で おなかが真っ赤な小鳥を僕にくれたの。オリエントにしかいない、すごく珍しい鳥だって言ってた。でも、その鳥が外に出たがって 籠の中で暴れるんだよ。だから、僕、その鳥がかわいそうだったから、鳥籠から逃がしてあげたんだ。そしたら、その夜、綺麗な女の人が来て、僕の優しくて清らかな魂へのご褒美だって言って、このペンダントをくれたんだよ」 「そう……優しいんだね」 オリエントから運ばれてきた その珍鳥が、はたして このヨーロッパ大陸で生きていくことができるのか。 案外、鳥籠の中で 人間に与えられる餌を ついばんでいた方が、その鳥は より長く生きることができたのではないだろうか。 そう思わないでもなかったのだが、ジョン少年は 優しい気持ちから その鳥を逃がしてやったのだろう。 瞬は彼を責める気にはなれなかった。 瞬に『優しい』と言われたジョン少年が、素直に嬉しそうに笑う。 「そのペンダント、もしかして、『YOURS EVER』って刻まれてる?」 「うん。どうして知ってるの。あなた方は、あの髪の長い神様のお使いのお友だちなの?」 「そういうわけではないんだけど……その綺麗な女の人って、長い黒髪で、瞳も黒かった?」 「うん、そうだよ。やっぱり お友だちなんだ。だから、このペンダントのことも知ってるんだね」 ジョン少年に ハーデスのペンダントを与えたのは、パンドラ――この時代のパンドラのようだった。 では やはり、この少年はハーデスの魂の器として選ばれた少年なのだろうか。 だとしたら、この時代に聖戦が起きていないのは、いったい どういうことなのか――。 「友だちではないんだけど、僕も……以前、同じものを持っていたから」 「以前? 今は?」 「今は……遠いところに置いてきたんだ」 「せっかく もらったのに?」 ジョン少年が 不思議そうに首をかしげる。 それを神からの ご褒美と信じているのなら、ジョン少年の疑念も当然のことである。 瞬は、彼に曖昧な微笑を返すことしかできなかった。 そこに、ジョン少年の上着を手にした世話係の女性が戻ってくる。 「僕たち、あまり人に姿を見せるわけにはいかないの。またね」 瞬はジョン少年に そう言って、氷河と共に城壁の上に飛びあがった。 ジョン少年が、常人離れした二人の跳躍に驚いたように目を 見張り、やがて城壁の上に立つ瞬たちに向かって大きく手を振ってくる。 世話係の女性に気付かれぬよう、瞬たちは城壁の上に点在している物見の塔の陰に身を隠した。 |