敵味方の判別がつかないアンドレアス・リーセ氏は、翌日早朝、ワンダーフェスティバル会場であるMメッセに、一人でタクシーで出掛けていき、夜の9時過ぎに、車体にアニメキャラクターの絵が描かれたワンボックスカー ――いわゆる痛車――に乗って帰ってきた。
どうやら それはアンドレアスが言っていた“日本の同志”の車らしく、アンドレアスが購入したとおぼしきオタクアイテムを城戸邸内に運び込む数人の男たちは皆、アニメキャラクターのイラストが描かれたTシャツを着込んでいた。
彼等は、アンドレアスが何者なのかを知っているのか いないのか、ワルハラ宮の宮廷医師に対して 完全にタメ口で、あろうことかアンドレアスを『アンちゃん』呼ばわり。
アンドレアス当人にも、同志たちの そんな態度を、特段 不快に感じている様子は全く なかった。

「初参加のワンフェスに興奮する気持ちは わかるけど、アンちゃん、さすがに ちょっと買いすぎじゃね?」
「いい、いい。俺たちは、このために 日々 労働にいそしんでるんだからな。不満ばかり言う従業員たちを なだめすかしながらさ」
「それでも おまえ等は一国一城の主だからなー。俺も 早いとこ独立して、自分の会社を持ちたいぜ」
とか何とか 大声で騒ぎながら、幾つものダンボール箱や紙袋を城戸邸のエントランスホールに運び入れた彼等は、
「んじゃ、アンちゃん、明日 またな!」
と言って、来た時 同様、颯爽とピンクの痛車で帰っていった。

彼等は、自分たちが 遠来の客に親切にしているつもりも、国際親善に努めているという意識も抱いてはいないようだった。
おそらく 彼等は、オタク世界という 同じ世界の住人。
いわば 同胞、同国人。
彼等には、同志のために車を出すことも、荷物運びを手伝うことも、ご近所付き合いの一環。そんなことは 隣りの家に回覧板を持っていく行為と大差ない些事なのかもしれなかった。
星矢たちの前では礼儀正しいアンドレアスが、彼等には大袈裟に謝意を伝えることもせず、アンドレアスの同志たちも 全く恩着せがましい態度を見せない。
それがオタク世界のルール、お約束なのだろうかと、星矢は思うともなく思ったのである。

それはともかく。
「うへー。これ、全部、美少女フィギュアなのかよ!」
エントランスホールに雑然と置かれた大小様々のダンボール箱や紙袋を眺めながら、星矢は、感心しているのか 呆れているのかが 自分でもわかっていない奇天烈な声をホールいっぱいに響かせることになったのである。
アンドレアスは、相変わらず 外見だけは温和な青年紳士然として、星矢の誤解を正してきた。

「いや。美少女フィギュアは ほとんどない。私は、どちらかというと、アクションヒーロー系の方が専門なんだ。そして、それに付随する武器や鎧。人体フィギュアは、血沸き肉躍るバトルの最も美しい一瞬を切り取って形にしたようなものが好きだし、武器や鎧なら、それ単体で装飾品になるような、合理的な攻撃性と芸術性を兼ね備えたものが好きだ。昨今は、企業の量販品は もちろん、アマチュアのオリジナル一品物も、アスガルドにいながら通販で購入できるのだが、それでは 顔や質感を自分の目と手で確かめないまま買うことになる。それが不本意だったので、私は わざわざ この国にやってきたのだ。型番の同じ量販物は 製品も全く同じだと思っているなら、それは大きな誤りだぞ。Bナム社の神話シリーズの作品など、同型・同キャラクターであっても、その顔は皆――」
「オタクって、そこまで こだわるのかー」

オタクに薀蓄を語ることを許すと、夜が朝になっても 話は終わらない――かもしれない。
そうと察して、星矢は、いかにも素人くさく アンドレアスの話の腰を折った。
アンドレアスが星矢の意図に気付き、話のレベルを素人レベルに落としてくる。
彼は、氷河よりは 状況判断能力に恵まれているらしい。
自分の中のオタクモードスイッチを切ると、アンドレアスは、その言葉使いも丁寧語に戻った。

「ワンフェス会場では、ラバー製マスコットの顔を確かめながら どれを購入すべきか迷っている婦女子も大勢いましたよ。さすがは オタク発祥の国。ワンフェスに足を運ぶほどの者になると、店頭に並べられている商品を ろくに吟味もせず購入する素人観光客とはレベルが違ってきます。ミドルティーンくらいの少女たちが、『人形は顔が命』と言い合っている光景には、私も感動しました」
話をオタクレベルから一般人レベルに落としても、アンドレアスの お祭り気分は 鎮静には ほど遠い状態にあるようだった。
用いる言葉が丁寧語になっても、声が まだ興奮している。

「マスコット一つ買うのに、顔の吟味ねー。そんなことに感動すんのか」
「ええ。その光景を見ているのが楽しくて、つい 私もラバー製マスコットを買ってきてしまったのですが、これを使ってくれるような人はいないでしょうか。アテナにでもと思ったのですが、彼女はヒルダ様と同じで、こういったものを あまり喜んでくれるような女性ではないと拝察しました」
そう言って アンドレアスが 手近の紙袋から取り出したのは、体長5センチほどの柴犬のラバー製マスコットだった。
わざわざイベントに出すだけあって、形、色共、見事な再現性。
それは、ドラ○もんのスモールライトで縮小した本物の犬と言われても信じてしまいそうなほどの優れものだった。

「あんた、こういうのプレゼントできるカノジョはいないのかよ」
「オタクに 女は不要です」
アンドレアスが、穏やかな声で、実に潔く きっぱりと言い切る。
その あまりに自然体な断言に気圧(けお)されて、星矢は 我知らず1歩2歩と後方に後ずさってしまったのである。
とはいえ、まさかアテナの聖闘士が、『オタクの潔さが恐い』などという理由で 敵に背中を見せて逃げ出すわけにはいかない。
幸い、彼には、命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間がいた。
それまで エントランスホールに積まれたアンドレアスの収穫物のパッケージを興味深げに検分していた紫龍が、仲間の危機に気付いて、さりげなく救いの手(口)を差しのべてくる。

「そういう可愛い系は、瞬が喜ぶんじゃないか」
「瞬? ああ、あの美少女」
つぶらな瞳の柴犬のマスコットを指で つまんでいるアンドレアスの応答は、あくまで出来のいい美少女フィギュアを評するオタクのそれ。
星矢が彼の口調に不快を覚えたのは、大切な仲間を、心のない物品扱いされたからだった。
瞬のいちばんの売りは、少女めいた面差しなどではなく、優しく清らかな その心である。
だというのに、アンドレアスは、瞬の真の価値に気付いていないのだ。

「あんた、医者なのに、男女の区別もつかないのか」
「なに?」
それまで 外見だけは温厚な青年紳士を装えていたアンドレアスの瞳が、なぜか 急にオタクモードに戻る。
アンドレアスは、彼が気付いていなかった瞬の価値に――瞬が特別製の人間だということに――やっと気付いてくれたようだった。
もっとも、彼の“気付き”の内容は、星矢が期待していたもののとは、かなり趣を異にするものだったが。
アンドレアスは、その瞳を爛々と輝かせ、
「さすがは オタク発祥の国。あれが、噂に高い“男の”か! まさか、ホンモノに会えるとは! ぜひ お近付きにならなければ!」
と、超興奮気味に言ってくれたのだ。

「瞬は 男の娘なんかじゃねーよ。だいいち、瞬に お近付きになるのは、氷河に喧嘩を売るようなもんだぞ!」
「氷河というと、あの金髪。さすがはオタク発祥の地。BLだな!」
「びーえる?」
“男の娘”なら、星矢が定期購読している少年漫画誌にも登場してくるが、“BL”は、そもそも書店でも一般誌コーナーには置かれていない。
当然 その意味するところを知らなかった星矢は、ほとんど反射的に アンドレアスに その言葉の意味を尋ね返していた。
答えが、彼の仲間から返ってくる。
「“BL”というのは、“Boys Love”の略だ。男同士の恋愛を主題とした創作の分野だな」
「うげ」
奇声をあげて星矢が顔を歪めたのは、彼が男同士の恋愛を快く思っていないからではない。
そうではなく、そんなことを知っている紫龍が嫌だったから、だった。

が、知っているものは仕方がない。
そして、今 問題なのは そんなことではなかった。
「あんたさー……」
今にも破壊光線を発射しそうな勢いで 瞳を輝かせているアンドレアスが、とにかく不気味すぎる。
星矢は決して、『オタクだから』などという理由で 人を差別するつもりはなかった。
なかったのだが、この 一見しただけなら二枚目の良識人間である男の 中身と外見のギャップが強烈すぎて、星矢は どうしても、自らの中に生まれた不快の念と嫌な予感を拭い去れなかったのである。
それは、瞬の仲間としての、一種の勘だった。
この男は、瞬にとって危険すぎる。
どう危険なのかは わからないのだが、ともかく危険すぎるのだ。

だから。
だから 星矢は、瞬に ちょっかいを出して 氷河を本気で怒らせると、氷雪の聖闘士に どんな嫌がらせをされるかわからない――ということを、過去の事例つきで こんこんとアンドレアスを諭してやろうとしたのである。

ワルハラ宮の宮廷医師なら、海皇ポセイドンに操られたヒルダに従う神闘士と戦ったアテナの聖闘士たちのことも知っているだろう。
オタクが いかに一般人から かけ離れた生き物であっても、アテナの聖闘士ほどではない(はず)。
オタクの知識や根性をもってしても、永遠に融けない氷の棺を作ったり、敵対者をオーロラでエクスキュートするような真似はできない(はず)。
触らぬ神に祟りなし。
寝た子は起こすべきではない。
そんなことを、星矢はアンドレアスに言いきかせてやろうとしたのである。
残念ながら、星矢が その作業に取りかかろうとした時にはもう、アンドレアスは 彼の憧れの(?)男の娘の許に飛び立ってしまっていたのだが。






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