「瞬くん!」
その時、瞬は、ラウンジの窓を開け、氷河と共に星空を見上げていた。
この季節の夜空は、アンドロメダ姫絡みの星座の一大絵巻になる。
あれがアンドロメダ姫の右手、あれがペガサスの四辺形と、それなりにロマンティックなやりとりをしていた二人の前に、目を爛々と輝かせた男が突然 出現し、なぜか柴犬のマスコットを瞬に差し出して、
「ぜひ、私と お友だちになってくれたまえ。私は 最初に会った時から、君は ただ者ではないと思っていたのだ!」
と、大声で わめき出したのだから、氷河の眉が吊り上がるのも致し方のないことだったろう。

とはいえ、ここで氷河に アンドレアスをオーロラでエクスキュートされてしまっては、国際親善に支障が出る。
「いやもう、こいつ、筋金入りのオタクでさ。生きてる人間には全く興味ないフェティシスト。いい男なのに、勿体ないよなー」
光の速さで アンドレアスを追いかけてきた星矢が、外国からの客人の身を守るために、急遽 氷河をなだめにかかったのだが、当のアンドレアス自身が 星矢の その気遣いを ものの見事に無にしてくれた。

アンドレアスは、その両手で氷河の両手を がしっと掴み、その手を ぶんぶん振りながら、
「氷河くん! 水臭いじゃないか。どうして君は、君が瞬くんと愛し合っていることを 私に教えてくれなかったんだ! 教えてもらえていたら、私は 私のオタクの誇りにかけて、全身全霊で 君たちの恋を応援していたのに!」
と、気負い込んで氷河に訴えてくれたのだ。
120パーセント全開の笑顔という おまけ付きで。
が、あいにく、氷河には男の笑顔を見て喜ぶ趣味はなかった(ただし、瞬は除く)。
氷河は アンドレアスのその振舞いに 露骨に顔を歪め、彼の手を乱暴に振り払った。

「ふざけるな! 貴様の応援など、俺には全く必要ない!」
「氷河! 瞬以外の男に手を握られて嬉しくない気持ちは わかるけど、国際親善に努めろって、沙織さんから言われただろ。こいつ、かなりの親日派らしいし、親切にしてやれよ」
「何が親日派だ! オタクな親日派など信用できるか! オタクの親日派が好きなのは 日本のマンガやアニメであって、日本国や日本人ではないはずだ!」
氷河の反駁を受けて、星矢が言葉に詰まる。
氷河の主張は、ある意味 正論。
オタクな親日派と国際親善をしたかったなら、その最良の方法は、質のいいアニメーション作品や漫画作品を提供することであるに決まっているのだ。
しかし、意外や アンドレアスは、120パーセントの笑顔を80パーセントの真顔に変えて、氷河の その主張に異を唱えてきた。

「そんなことはありません。それは誤解です。新渡戸裁定のこともあって、北欧は新日国が多いんです。少なくとも 私は、日本人の技術芸術だけでなく、その賢明にも尊敬の念を抱いている」
「ニトベサイテーって何だよ」
それも“BL”同様 オタク用語なのかと、星矢が(アンドレアスではなく)紫龍に説明を求める。
さすがは 城戸邸の百科おじさん(兼 テレビのジョン)と言うべきか、紫龍からの答えは すぐに返ってきた。

「新渡戸裁定というのは、20世紀初頭、フィンランドとスウェーデンの間にあったオーランド諸島の領有権争いを収めた裁定のことだ。当時 国際連盟の事務次官だった新渡戸稲造が、二国間の争いを実に画期的な方法で解決したんだ。その画期的な方法というのが、『オーランド諸島は、フィンランドが統治するが、言葉や文化風習はスウェーデン式とする』というユニークなもの。その裁定のおかげで、オーランド諸島は 今でも平和モデルの島とされている」
「ニトベイナゾーって、前の五千円札のおっさんかよ? あのおっさん、んなことしたおっさんだったんだ。全然 知らなかった」

“ニトベサイテー”がオタク用語ではなかったことを知らされて安堵し、星矢は 少し肩から力を抜いた。
アンドレアスは、そんなふうに オタク世界とは関わりのない話をすることもできる男なのだ。
本物の男の娘とBLカップルに興奮気味だったアンドレアスの瞳に、幾分 穏やかな思慮深さが戻ってきている。
「昨今は 北極海航路の開発も進んでいますし、日本とアスガルドは、距離的にも近付いているんです。私も、帰りは、境港から ウラジオストック経由で船で帰るつもりでいます」 
「船で帰るのかよ? 飛行機じゃなく? 来る時は飛行機だったんだろ?」
アンドレアスの関心が瞬から離れてくれれば それでよかった星矢は、さりげなく アンドレアスと瞬の間に 回り込みながら、親日派のオタクに尋ねた。
アンドレアスが 温厚な青年紳士の顔に戻り、おもむろに頷く。

「来る時には、機体にムーミンの絵が描かれた特別塗装機で来ましたが、帰りは船で ゆっくり帰る予定です。船なら、収穫物を収めたコンテナと一緒に帰れますから。飛行機だと、どうしても別便になりますし、同じ便で帰れることになっても、フライト中は離れていなければならない。それでは、私のフィギュアたちが心配で、私の精神衛生上 よろしくない」
さすがはオタクと言うべきなのか。
それとも ここは、『コンテナが必要なほど大量の買い物をするな』と たしなめるべきところなのか。
ともあれ、アンドレアスは ちゃんと帰国の算段をしていて、その予定通りに帰国するつもりでいるのだ。
アンドレアスが、本物の男の娘やBLを堪能するために帰国の予定を延期するなどと言い出したりしないのなら、星矢は それで満足だった――それ以上のことを望もうとは思わなかった。

アンドレアスの奇怪なオタク行動・オタク心理に辟易していた氷河も、瞬の身が守られ、オタクに瞬との恋を応援されるなどという馬鹿げた事態になりさえしなければ それでいいという気分になりつつあったらしい。
星矢に、
「まあ、生身の瞬には興味なさそうだし、あと2日の辛抱だ。オタクのアンちゃんは、明日もオタク仲間と出掛ける予定みたいだし、瞬に ちょっかいを出すことはないだろ」
と なだめられ、氷河も最終的に アンドレアスをオーロラでエクスキュートすることは断念してくれたようだった。

オタクな親日派は、翌日は、例の痛車で オタクの同志とN市のフィギュアミュージアムと、フィギュアの造形企画製作で著名なK社のO市本社に繰り出し、またしても大量のオタクアイテムを買い込んできて、アテナの聖闘士たちを呆れさせてくれたのだが、それは ただ それだけのことである。
氷河の仲間たちにとって何より大事なことは、アンドレアスが 男の娘とBLを忘れてくれること。
アテナの聖闘士たちの切なる願いが天に届いたのか、翌日、地上世界は無事に アンドレアス帰国の時を迎えることができたのだった。






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