アンドレアスの帰国当日。午前8時ちょうど。
城戸邸の正面玄関の 車寄せに、運送屋のトラックが乗りつけてきた。
トラックの荷台には 船に運び入れるコンテナが載せられていて、その中に 次々とアンドレアスの収穫物が運び込まれていく様を、星矢たちは ぽかんと見物することになったのである。
星矢たちは 一応、荷物運びを手伝おうと言ったのだが、それは、大切なオタクアイテムを手荒に扱われたくないアンドレアスによって、厳に断られた。
コンテナに運ばれる荷物には、大小様々なダンボール箱、紙袋、トランク、中には吸血鬼の旅行用棺桶のようなものまであって、アテナの聖闘士たちを驚かせてくれた。
アンドレアスは、それを、特に壊れやすく繊細な物を安全に運ぶために わざわざ買い入れたらしい。

細心の注意を払って、荷物の運び込みを完了するのに 約1時間半。
とても短期旅行者の買い物量ではない。
一人暮らしの人間の引っ越しの方が よほど お手軽なのではないかと思える積み込み作業を終えると、アンドレアスは意気揚々とトラックの助手席に乗り込んだ。
これから、このトラックで T県の境港に向かうという。
渋滞に巻き込まれるような時季ではないらしいのだが、船の出港に遅れると事なので、ゆっくり別れを惜しんでもいられない――と、アンドレアスは楽しそうに星矢たちに告げた。
彼の中では、オタク発祥の国を離れる寂しさより、手に入れたオタクアイテムたちと共に 故国に帰る満足感の方が大きいらしい。
そして、それは、実は 城戸邸に起居する青銅聖闘士たちも同じだったのである。
もっとも、青銅聖闘士たちの中の別れの寂しさより大きいものは、『とにかく、アンドレアスの 男の娘とBLへの関心が大事件を引き起こさずに済んでくれてよかった』という安堵感の方だったが。

「なーんか、俺の知らない世界を垣間見れて、楽しかったぜ」
トラックの助手席のアンドレアスに そう声を掛けた星矢が、その段になって、この見送りの場に――氷河でさえ、これでやっと厄介払いができると(比較的)機嫌よく 見送りに出てきている、この別れの場に――瞬の姿がないことに気付く。
「あれ?」
『瞬は?』と星矢が口にする前に、それと察したらしいアンドレアスが、瞬が この場にいない事情を説明してくれた。
「オタク発祥の国で出会った 生きている芸術品との別れがつらかったので、瞬くんには、今朝方 用を頼んだのです。アキハバラで今日 発売になったフィギュアを購入して、私の乗る船の出港に間に合うように、即日配達便に乗せてほしいと。瞬くんに見送りなどされたら、私は彼を故国に連れて帰りたくなってしまいますから。私は、親切にしてくださった皆さんから 大切なお仲間を奪うようなことはしたくありません」

それが オタクなりの精一杯の良識にして気遣い――と言わんばかりの口調で告げるアンドレアスに、氷河が むっとする。
瞬が この場に姿を現わさないのは、瞬がアンドレアスと顔を会わせたくないからなのだろうと、氷河は一人で勝手に決めつけていたのだ。
瞬の恋人に断わりもなく、瞬を そんな使い走りに使われたことに、氷河は大いに気分を害したようだった。
「まあ、自制心があって結構なことではないか」
せっかく(表面上は)和やかな別れの場を 和やかな別れの場のままにしておきたい紫龍が 氷河をなだめ、
「また来いよー」
星矢が 速やかなアンドレアスの出立を促す。

「二度と来るなっ!」
最後の最後で、結局 氷河はアンドレアスに本音を ぶちかましてしまったのだが、初来日の収穫への満足感の前では、氷河の本音など アンドレアスには気に留めるほどのことではなかったのだろう。
彼は 氷河の暴言に 機嫌を悪くした様子は見せなかった。
「お世話になりました。近日中にまた。アテナによろしく お伝えください」
腹の底から湧き起こってくる満足感達成感を隠しきれていないような明るく にこやかな笑顔を維持したまま、アンドレアスは無事に(?)帰国の途に就いてくれたのである。


アンドレアスの異様に明るく嬉しそうな笑顔の訳を、その時、青銅聖闘士たちはまだ気付いていなかったのだ。
彼の初来日の最大の収穫物が何だったのか、瞬の仲間たちは その時にはまだ気付いていなかった。
瞬の仲間たちが異変に気付いたのは、アンドレアスが城戸邸を出立して数時間後。
アンドレアスと彼の収穫物は今頃は海の上、これで日本国から争乱の種は消え去ったと、星矢が安堵の胸を撫で下ろしていた頃だった。


日が暮れても瞬が帰ってこない。
携帯電話にも つながらない。
連絡がつかないと 氷河が騒ぐことを知っている瞬が 携帯電話の電源を切ることは滅多にないのだが、氷河は それを『勝手に アンドレアスの用を引き受けたことに腹を立てている恋人の機嫌を直すために、瞬は手土産の物色でもしているのだろう』と思い、騒がずにいたのだそうだった。
「機嫌取りの物品などなくても、『ごめんなさい』の一言があれば、俺は すぐに機嫌を直すのに」
とは、氷河の弁。
星矢としては、なぜ瞬が氷河に『ごめんなさい』を言わなければならないのか、そこのところが どうにも釈然としなかったのだが、今となっては そんなことは大した問題ではなかった。

「アキハバラというのは、アンドレアスみたいなのが うじゃうじゃいるところなんだろう? あのオタク野郎が言っていたように、瞬をフィギュアのモデルにしようとしたオタクが、瞬をどこかに拉致監禁したのでは……」
「おまえ、瞬がアテナの聖闘士だってことを忘れてないか?」
氷河の あり得なさ満載の懸念を 言下に否定することはできたが、その星矢自身、自分の中に生まれてくる悪い予感を打ち消すことはできずにいたのである。
それがカタギでもオタクでも、いわゆる一般人が瞬に危害を加えることは不可能だろうが、だが、だからこそ 瞬と連絡が取れないことは 深刻な異常事態なのだ。
瞬の小宇宙の気配を感知できないことが、瞬の仲間たちの不安を より大きなものにした。






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