「氷河、入ってきちゃ駄目!」
瞬の叫びで、氷河はすぐに 自分の失策に気付いたのである。
氷河の背後で 透明ドームに生じた隙間が消え、そこは再び閉鎖空間になっていた。
「しまった……!」
氷河の舌打ち。
ドームの外で、アンドレアスが高笑いを響かせる。
その笑い声が癇に障って仕方がなかったが、氷河は 今ばかりはアンドレアスを責める気にはなれなかった。
悪いのはアンドレアスではない。
アンドレアスが狡知に長けていたのではなく、白鳥座の聖闘士が迂闊に過ぎただけなのだ。

「すまん、瞬……」
瞬に会わせる顔がなくて 項垂れた氷河の胸に、瞬が飛び込んでくる。
瞬が優しすぎ、寛大すぎて、氷河は胸が詰まった。
オタクで朴念仁のアンドレアスは、この感動的なシーンに何の感慨も抱かなかったらしく、彼は ただただ 自分の作戦が図に当たったことに満悦至極のてい
何もかもが、あまりに計画通りに運ぶので、アンドレアスは口が軽くなったらしい。
彼は 得意満面、透明ドームの中の二人に思いがけないことを語り始めてくれた。

「噂通りに――いや、聞いていた以上に愉快な男だな、君は。実は 私は、先日、聖域の黄金聖闘士たちに会う機会があったのだ。彼等の黄金聖衣は まとった姿は 今一つだったが、オブジェ形態になると なかなかユニークで、私は どうしても あれが欲しくなった。そこで 私は、オタクの神ロキの力を借りて、あれを手に入れようとしたのだよ。そうしたら 彼等が、アテナの許には青銅聖闘士という、もっと面白いものがいると、口を揃えて言うではないか。早速 情報を収集して確認したところ、君たち青銅聖闘士の神聖衣のデザインは黄金聖衣のそれより秀逸。その上、中身はもっと面白いということがわかった。当然、私は、どうしても君たちが欲しくなり、黄金聖闘士たちに 君たちに関する情報提供を求めたのだ。彼等の解放と引き換えにね」

「ご……黄金聖闘士たちが、自分と自分の聖衣を守るために、俺たちを売ったというのか!」
「そんなふうには思わないでいて やりたまえ。彼等は、君たちなら、どんな危機も必ず退けてのけると信じていたようだったから」
「売ったんだな!」
どんな綺麗事を言っても、事実は事実、変えられるものではない。
あまりに情けなくて、氷河は 泣くに泣けなかった。
あの黄金聖闘士たちは、地上が滅亡の危機に瀕していても、彼等の後輩や弟子たちが命をかけた戦いを戦っている時にも、のんきに 酒をかっくらって 賭け事に興じるくらいのことは しかねない。
否、必ず する。
――と、氷河は確信したのである。

「私は、最初は 君たち5人全員をコンプリートするつもりで日本に向かったのだが、なんと フェニックスが不在。コレクションは、コンプリートできないのでは意味がない。私は、今回は 青銅神聖衣と愉快な青銅聖闘士たちの入手を諦め、次の機会を待とうと思いかけていたのだ。ところが、瞬くんが男の娘、君たち二人がBLカップルだというではないか。私は狂喜乱舞、すぐに目的物を変更、計画を練り直したのだ」
なぜ そこで大人しく諦めてくれなかったのか。
オタクの臨機応変、優れた行動力に、氷河は軽い目眩いを覚え始めていた。

「絵に描いたように 可愛らしい男の娘。その男の娘を熱愛する、黙っていれば貴公子然とした美男子。そんな二人で構成される、理想的なBLカップル。君たちを見た時、私は、必ず君たちを私のコレクションに加えると決めたのだ。何といっても、二人でコンプリートしたことになるのがいい」
なぜ、そこまでコンプリートに こだわるのか。
オタクの気持ちが、氷河には まるで わからなかった。

「事情は、わかりたくないが わかった。だが、俺たちには、地上の平和を守るという重要な義務がある。俺たちを ここから出せ!」
「もちろん、大切な君たちに 生活面での不自由はさせない。衣食住、あらゆる面で最高のものを提供することを約束しよう。ここは君たち二人のために用意した特別の部屋だ。ガラス張りの鳥籠。美しいスイートルームだろう。欲しいものがあったら、何でも言ってくれたまえ。遠慮はいらない」
アンドレアスは とにかく、理想的なBLカップルをコンプリートできたことが 嬉しくてならないようだった。
嬉しすぎ、楽しすぎて、氷河の声など耳に入っていないらしい。
とにかく、自分のオタク趣味が最優先。
趣味のためなら、地上の平和が乱されようが、人類が滅亡しようが、そんなことはどうでもいい。
それが彼の生き方にして、絶対に譲れない価値観のようだった。

「私は 一度 見てみたかったのだ。BLカップルのセックスというものを。創作物のように、本当に感じるものなのか? 感極まって失神するほど? なんなら、今すぐ始めてくれてもいい。録画のための機器は最高レベルのものを用意してある。高解像度、高コントラストのワイドダイナミックレンジ映像の記録が可能。当然、どんな小さな音も洩らさず録音できる超高性能録音機器もある。喘ぎや歓喜の声は言うに及ばず、肌と肌、肉と肉が こすれ合う音も、心音も、体液が奔出し、体内を流れる音さえ録音できる優れものだ」
「こ……この変態がーっ !! 」
こんな危険な男を、なぜ ヒルダは野放しにしておくのか。
こんな男の目が 瞬の姿を映していることに 我慢がならず、氷河は 瞬を自分の腕と胸ですっかり覆い隠した。
瞬は、オタクの狂気に すっかり怯え、全身を かたかたと小刻みに震わせている。
だが、真に恐ろしいのは、アンドレアスの狂気というより、自らの狂気にアンドレアス自身が気付いていないことの方だった。

「HENTAI、OTAKU は世界の共通語。そんなに褒めないでくれたまえ。私など、まだまだ 駆け出しの初心者だ」
「褒めとらんっ! 俺たちを ここから出せっ!」
「せっかく手に入れた最高のアイテム。手放してなるものか。君たちをコレクションに加えることで、私も そろそろ中級者の仲間入りだ」
これで中級者なら、上級者はいったい。
つい うっかり そんなことを考え始めた自分を、氷河は胸中で厳しく叱責した。
そんなことは知りたくない。
たとえ 殺されても、氷河は そんなことは知りたくなかった。

だというのに、その数分後。
氷河は、決して知りたくない その事柄を知る機会に恵まれてしまったのである。
氷河が、たとえ殺されても知りたくないと思った その情報を その場に運んできたのは、彼が 命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間たち――某天馬座の聖闘士と某龍座の聖闘士だった。






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