ハーデスは強大な力を持つ神。
それに比して、自分は ささやかな力しか持たない、ちっぽけな人間。
それは わかっているのに、それでも どうしても瞬が諦めてしまえないのは、仲間たちの存在があるからでした。
瞬の中にいる仲間たちが、まだ思い出などという遠いものにはなっていないから。
諦めるしかないと思い、何度も諦めようともしたのですが、仲間たちのことを思い出すと そのたびに諦めたくないという気持ちが湧き起こってきて、瞬は どうしても仲間たちの許に帰ることを諦めてしまうことができなかったのです。


その日も(朝も夜もない世界で、“日”というのも おかしなことですが)、エリシオンに姿を現わしたハーデスに、瞬は頼みました。
「みんなのところに帰りたい。みんなのところに 僕を帰して」
と。
ハーデスが、瞬の望みと そんなことを望む瞬を 理解できないというような目で、瞬を見下ろしてきます。
「なぜ、そのようなことを言う。ここで、何か不足があるのか。ここは、余の理想の国。そなたにとっても 理想通りの国のはずだ」
自信に満ちて そんなことを言ってしまえるハーデスこそが、瞬には 理解できない存在だったのですけれど。

争いのない世界は、確かに素晴らしい。
ですが、その素晴らしさは、皆で享受し 皆で喜び合えて初めて、意味あるもの、意義あるものになるのです。
花々の咲き乱れる世界に たった一人で ぽつねんとしている孤独な人間を見て、そんな世界を見て、この場所を理想の国と思えるハーデスの気持ちが、瞬には理解できませんでした。
ハーデスは、この国を“寂しい”と感じないのでしょうか。

「ここには仲間がいない。あなたは神だから知らないの? 人間は一人では生きていけないものなんです」
「そなたは生きているではないか」
「それは身体だけのことだよ。あなたが僕を ここに連れてきて、僕を死ねないものにしたから。でも、僕の心は死にかけている」
「そなたの心は、以前と変わらず清らかなままだ。死にかけてなどいない」

“瞬”の心が死にかけていないことが、“瞬”ではないハーデスに、なぜ わかるのでしょう。
もしハーデスの言うように、本当に“瞬”の心が死にかけていないのなら、それは“瞬”の心が まだ希望を失っていないからです。
諦めずにいれば いつかまた仲間たちに会えるかもしれないという希望。
その かすかな希望だけが、今の瞬を生かしている たった一つの力でした。

「争いのない世界に一人でいるより、たとえ争いの絶えない世界でも、僕は仲間たちと一緒にいたいんです」
まさか、多くの人間たちが争い戦う世界を、自分が恋しがることになろうとは。
自分で言った言葉だというのに、瞬は 自分が口にした その言葉に驚きました。
ですが、それは、瞬の偽りのない本心だったのです。
仲間たちと共にいられるのなら、たとえ そこが苛酷で悲惨な戦場でも構わない――というのが。
ハーデスは、その端正な顔を僅かに歪め、争いのない世界に また瞬を一人残して、どこかに消えていってしまいました。






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