「星矢。何を そんなに かっかしているんだ。瞬は無事に帰ってきたんだし、そんなに苛立つことはあるまい」
よくよく考えてみたら、湿布などに頼らなくても 白鳥座の聖闘士の凍気で冷やせばいいだけのことだった――という氷河に引っ張られて(正確には、お姫様抱っこで)、瞬は自室に連れていかれてしまった。
それがまた不愉快だったらしく、星矢は、瞬のいなくなったラウンジで、頬を膨らませたり 口を尖らせたりを繰り返している。
社会的に“大人”と認められる年齢に達していない星矢を“大人気ない”と評するのも奇妙なことだと思いはするのだが、他に適切な言葉も思いつけない。
そういう事情で、“大人気ない”という言葉を用いて星矢を たしなめた紫龍に、星矢は、
「全然 無事じゃないだろ!」
と怒鳴りつけてきた。
苛立った声のまま、星矢が自らの苛立ちの訳を わめき始める。

「俺はな! 俺は、瞬が氷河のせいで危険な目に会うのが やなんだよ! 瞬は人が好すぎて、氷河が我儘だってことにすら気付いてなくて、氷河に振りまわされてばっかりで!」
「まあ、確かに、瞬は氷河を甘やかしすぎているきらいがあるように思うが」
「甘やかしすぎなんだよ!」
吐き出すように そう言ってから、これは怒ってもどうにもならないことと悟ったのか、星矢が 少し その声の調子を大人しめなものに変える。
比較的(あくまでも比較的)落ち着いた声音で、星矢は彼の事情を語り始めた。

「俺はさ、ガキの頃から 無鉄砲ばっかりして、いつも怪我ばっかりで、悪さして大人たちに叱られてばっかだった」
「同じ無鉄砲でも、おまえや一輝の無鉄砲は、氷河のそれより あからさまで わかりやすかったな。いや、過去形ではなく、今でもそうか」
星矢は、無鉄砲なのは氷河だけではないということを、ちゃんと 自覚しているらしい。
紫龍は 少し感心してしまったのである。
氷河は その自覚があるのかどうかも疑わしい。
氷河に比べたら、自覚がある分、星矢は氷河より はるかに“大人”である。
大人な星矢は、紫龍の言を素直に認め、そして 頷いた。

「そのたびに、瞬が 俺の怪我の手当てをしてくれて、瞬が 俺の代わりに 大人たちに泣いて謝ってくれて、だから、俺は これまで生き延びてこれたようなもんなんだ。瞬がいなかったら、俺は、デスクィーン島に送られた時の一輝みたいに 辰巳に半殺しの目に会わされて、そのまま死んじまってたかもしれない。俺は 瞬に 数えきれないくらいの恩義があるんだよ!」
「恩を恩と思っていたのなら、次から 無鉄砲を控えて 大人しくしているのが、いちばんの恩返しだったろうに。おまえは いつまでも懲りずに無鉄砲を繰り返していた」
「無鉄砲をやめて 大人しくするなんて、んなこと できたら、俺だって苦労しねーよ!」
「ははは」
褒められたことではないという自覚があっても、それを直せないのでは、自覚するだけ無駄というもの。
紫龍は 乾いた笑い声を響かせた。

「とにかく、俺は、瞬には誰よりも幸せになってほしいんだよ。瞬には そうなる権利と資格がある!」
「その点に関しては、俺にも異論はない」
「なのに、何だよ! 気がついたら、氷河の奴が ちゃっかり 瞬を自分のものにしてて、瞬に迷惑かけまくってて!」
「おまえといい、氷河といい、一輝といい、瞬は つくづくトラブルメーカーに好かれる(たち)の人間なんだな。瞬自身、世話好きなところがあるから、そういうタイプの人間を自分でも気付かぬうちに 引き寄せているところがあるのかもしれん」

まるで 瞬の仲間の内では 自分だけがトラブルメーカーではないような顔をしたのが よろしくなかったのか、星矢が むっとした顔を龍座の聖闘士に向けてくる。
紫龍は(顔には出さずに)慌てて、話を本筋に戻した。
「つまり、おまえは、多大な恩義のある瞬の幸せを心から願っているが、氷河が その願いの実現を阻害しているように思われて、はなはだ不愉快である――と、そういうわけだな」
「そうだよ! だいたい、なんで氷河なんだよ! 瞬なら 優しいし可愛いし、瞬を好きだっていう奴なら、氷河の他にも 腐るほどいるだろ。なのに、よりにもよって、氷河! 絶対 おかしいだろ!」
とてもではないが、『おかしくない』と言える空気ではない。
とはいえ、現に そうであり、しかも瞬が 自分の意思で受け入れている状況を『おかしい』と言うわけにもいかず――紫龍は 沈黙を守ることになった。

星矢が 氷河のトラブルメーカー振りに苛立つのには、少なからず嫉妬の感情も含まれているのだろう。
そう、紫龍は思った
瞬に向けられる星矢の思いは、あくまでも友情であり、同志愛であり、仲間意識であって、恋愛感情ではないが、それに似た感情は確かに含まれている――と。

同い年で最も身近にいた友、仲間。
それが、普通の美少女が束になって かかっても敵わないほど綺麗で可愛らしい姿を持ち、姿同様に優しく清らかな心も持っている。
そんな特殊な人間が、星矢の性格を熟知していて、生来の優しい心で 許し、認め、愛してくれているのだ。
星矢にとって 瞬は、疑似恋人のようなものなのかもしれなかった。
星矢にとって 瞬は、ずっと、親友と 精神的恋人の役を一身に 担っているような存在だったのだ。
姉に再会するまでは、案外 姉の役も。
もしかしたら、母の役も。

その瞬が、氷河――自分に似た無鉄砲な男――に振りまわされていることが、星矢は不愉快でならないのだろう。
案外、瞬に対する星矢の友情も、氷河同様 混じり気なしの恋愛感情であったなら、問題は もっと単純で、解決も容易だったのかもしれない。
だが、現実は そうではなく、氷河は恋愛感情、星矢は友情。
異なる次元、異なる感情で、同じ人を求めているから、星矢の心情は複雑で、星矢の苛立ちは いや増しにましていくのだ。

星矢と氷河は、似た者同士。
瞬に対して抱いている感情の次元は違うが、無茶で無鉄砲なトラブルメーカー同士。
氷河に向けられる星矢の苛立ちには、近親憎悪も一役買っているのかもしれないと、紫龍は思ったのである。






【next】